感情の轍

この前Twitterの下書き欄を久々に覗いてみたら、

沢山の下書き達があったので読み返してみた。

その中には、

「マジでくだらないなぁ、、、」と思うモノもあれば、

「お前さん、そんな事わざわざ発信しようとするんじゃないよ」

と自分に言いたくなる事まで、

様々な”つぶやき痕”が確かに残ってた。

でも一つ一つを読み返すとちゃんとその当時の記憶が蘇ってきて、

「この時の俺は確かにこんな事を感じていたっけな」と改めて見せ付けられる。

良い事、悪い事。

綺麗な言葉や、あからさまに鋭く尖った言葉。

そのどれもが、間違いなく自分が辿ってきた道であって、

一緒に寄り添って歩いてきた心の中に居る自分の本音だったんだ。

いわば、感情の轍だ。

僕らは日々、四六時中、選択をしている。

朝何時に起きて、何を着て、何を食べ、どういうルートで目的地まで行くのか。

仲良いあいつに会ったら、後ろから脅かしてやるのか、そっと声を掛けるのか。

昨日喧嘩したあの子には、一言目何を投げ掛ければ良いんだろ。

意図せずとも色んな選択をしてるんだ。

そして自分じゃ覚え切れないぐらいに

数多くの選ばれなかった選択肢がある。

そこを改めて振り返るのはなかなか出来ない事だなと思いました。

目には見えないからね。だからこうして僕はnoteで書いているのかもね。


何かを選ぶということは、何かを選ばないことでもある。

だからなるべく、

普段から最良のジャッジをしておけば後悔は少ないかもしれない。

でもね、怪我しないと分からなかった痛みもある。

年齢を重ねて、経験を重ねると

怪我しそうな場所にあらかじめバンドエイドを貼っておくような事が増える。

そうすると痛かった思い出だけが残って、

怪我をするに至るまでの過程を忘れてしまう。

だから無理はせず、当たり障りない行動が好まれて、

それをできる人を世間は”大人な人”と呼ぶ。


本当にそうなのかな。

どこにでも当てはまる最適解より

間違えても、◎じゃなく×を貰ったとしても、

その瞬間、そう思った自分は、認めてあげたいね。

ネットの中で探せばたくさんの最適解は見つけられるけど、

次の自分を作ってくれるのは、

いつだって自分の心だと思うから。


ビビらず進めよ!!!


ってどこかから聞こえた気がしました。


だけどいくらなんでも、

『サトウのご飯って死ぬほど熱いよね』

なんて呟きはしなくて正解だったぞ!!!

下書きで留めて偉いぞ!自分!!


じゃあまた。

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