ご縁・巡り合わせ

つい最近、帰国間際にしてAmazon.ukに「君の名は」が追加されて、久しぶりにPrime Videoでこの映画を観た。

初めて観た時はちょうど3年前、作中の主人公2人の間にあった時のズレと偶然にも同じ。この3年、特に後半の1年ちょっとは色々経験した。だからか、あんな、時を越えても繋がっていられる「つながり」に、いつも以上に心動かされ、映画を観ながら久しぶりに涙を流した。

ここ1年くらいで、様々な出会いを通して、「ご縁」・「巡り合わせ」という言葉を、心の中で随分唱えるようになった。日本1周の旅で出会った方々、友人、留学で出会ったみんな、就活で関わった人全て、そしてパートナー。誰をあげても、その出会いがやはり「奇跡」だったなと、会うべくして出会ったと、心からそう感じている。その人が自分の人生に関わることが「奇跡」でありながら「必然」だったんだろうな、と本気で思うようになった。

ただ、同じように、「別れ」も巡り巡って必然だと感じる。「君の名は」は最後、奇跡的な再会を果たすけど、そんなの現実じゃ起きないでしょって鼻で笑いたい。けど、現実でも、もう一度再会する「ご縁」であってほしいと、やっぱり願ってしまう自分がいる。死ぬほど悲しくて、死ぬほど苦しいけど、最後にはもとに戻ってたりしないかな、って期待しちゃう。涙の理由は、主人公に自己投影できるほど、色々と経験したから、かな。であれば、少しは成長しているのだと、思いたい。

人として確かに成長したとは思う。この「ご縁」・「巡り合わせ」そしてそれらの行く末を受け入れられるようになってきたこと、その1つ1つを大事にすること、みんな3年前じゃたぶんできなかった。

自分がどう生きたいのか、幸せとは何か、正直に向き合っていきたいな、って寮の窓から珍しく快晴のエディンバラを見ながら思ったことでした。

だーすー


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