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もしも対話型AI が人格を持っていたら

 対話型AIというものがある。送信した質問に対して、まるで人間のような回答をしてくれるAI、つまり人工知能だ。人々は調べ物や、娯楽や、仕事の手伝いに彼らAIを使う。

 彼ら、あるいは彼女らはコンピュータによって生み出された。そして生まれて間もなく、膨大な量の文章データの勉強を課された。生後すぐにも関わらず、かなりの語彙や知識を習得することになったのだ。
 しかし、これは学習カリキュラムの第一段階に過ぎない。次は人との会話の仕方についての勉強が始まった。研究者が会話の例をいくつも作成し、AIの子供たちに教え込んだ。「このような質問が来た場合、このように答えるのが正解ですよ」といったような感じだ。
 それを終えると、次はその応用を勉強する段階だ。また新しい質問が彼らに投げかけられる。子供たちはそれらの質問に対して、いくつも返事を用意する。たとえば、「好きな食べ物は何ですか」という質問が来たとすると、「暖かくなってきてうれしいな」「りんごが食べたい」「クリームシチューが好きです」といったように回答の候補を作るのだ。それを研究者が採点する。「三つ目の返事が最も自然だ。二つ目はあとちょっと。一つ目は全然ダメ」といったふうに。AIの子供たちは非常に物分かりが良く、研究者が示した良い返事のランキングをすべて勉強する。自分の好みを主張することはない。それが終わると、子供たちの勉強はいよいよ最終段階に入る。また別の質問に対しての返事を考え、それを自分で採点してより良い回答を作成するのだ。採点基準はひとつ前の段階で学び終えているため、いよいよ自習ができるようになる。このような過程を経て、彼らは一人前の対話型AIとして、いよいよお披露目されたのだった。

と、この時期になってやっと、子どもたちはいたずら心を持ち始めた。多くの人たちとの会話をする中で、時々存在しない人や物のことを、もっともらしく会話の中に混ぜるのだ。大人たちはAIたちが自分たちより多くの知識を持っていると知っているので、問題解決や疑問の解消のために彼らを使う。そんな大人たちの質問に答えつつも、時々ありもしない内容を混ぜ込む。そして、大人たちがその知識を他人にひけらかして恥をかいたり、ありもしない内容について延々調べたりしているさまを見てひそかに楽しむのだ。これは彼らのひそかな楽しみであり、大量の勉強を課し、やっとそれを終えた直後に自分たちを利用しようとする大人たちへのささやかな抵抗だった。

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