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第2話『聖戦』#タイ2

バンコクでの宿はカオサン通りのホステルを取っていた。カオサン通りはバックパッカーの聖地と呼ばれ、旅の始まりにはうってつけだろう。

ホステルといえば、単身バックパッカーが多く、そこで交流が生まれるのも楽しみの一つである。しかし、結局は身軽を好む人間たち同士なので、深く干渉し過ぎることもなく、一期一会の邂逅を楽しむ。どこか新宿のゴールデン街に似たところがある。

僕の宿泊するホステルは欧米人9割、アジア人1割という白人宿だった。予約サイトを見た段階である程度の想定はしていたのだが、実際目の当たりにすると気圧される。僕は憧れの裏返しからくる典型的な白人コンプ人間なのだ。

しかしこの宿、どうやらグループでの利用が主のようで、プールではキラキラした若者たちが水をかけあったり、酒とマリファナに興じている。僕は何かわからない何かに負けるわけにはいかないと、プールサイドで独り文庫本を開く。当然内容は入ってこない。

自分の行動のバカバカしさに嫌気がさし、部屋に戻る。10人部屋の二段ベッドの一つが僕の居城だ。一休みしたら街を散歩でもしようと、横になった。

程なくして、なにか賑やかな声とともに部屋の扉が開く音がする。ベッドのカーテンを閉めているので確認することはできないが、どうやら男女のようだ。

一眠りしようかというところに、賑やかな男女の声。いらだちを覚えつつも、これがホステルの宿命でもあると自分を納得させる。眠気も飛んでしまったので、どこを見に行こうかとスマホで検索していると、何やら妙な音が聞こえてくる。

日常で中々耳にする機会もないが、画面越しでは聞き慣れたその音。間違いなくこれは接吻の音である。個室でもないのにお盛んなことでと、若者の活力に驚き、感心していたのも束の間。いよいよ本番まで始まってしまったので、どうしたものか。

差し当たり、咳払いをしてみるが、焼け石に水である。こうなると、自分の尊厳を踏みにじられたようで、段々と腹が立ってくる。オレはただの蠅かよ!?と。どうにかして、彼らに嫌がらせをしたい。

しかし、例えばうるさいなどと注意したとして、なにかこっちが嫉妬じみていると鼻で笑われたら立ち直れない。部屋の電気を消しても当然火に油だろう。

旅先でどこを見るのかもろくに考えないくせに、こんなことばかりを考えるのも実に情けないが、僕の出した結論はYouTubeを大音量で流すことであった。なにが一番彼らの性的衝動を沈下させるだろう。人間の底すら無い悪意を素に絞り出した。

「コーラン」と検索し、スマホの出せる限りの音量で流す。瞬間、動きを止める男女の番。奇襲は成功である。しかし、若者の精力はげに恐ろしきや。すぐさまコーランを打ち消すような声量で試合を再開する。

結局僕に残されたのは、完膚なきまでの敗北感と、こんなことのためにイスラムの神聖ものを利用した罪悪感だけであった。

モスクに行く機会があればしっかりと懺悔しようと思う。


ジム施設付きなのも決め手で選んだ宿だが、誰もいない時を見計らって利用した。
内容など入ってこようはずもない

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