note処女を捨てました。


 2020年4月25日午前4時代。半年前から構想を考えていたnoteを始めることにした。ブログとは違った内容のことを書くにはどうしたら良いか、ほぼ毎日考えていた。しかし、一方的に案がまとまらなかった。だからとりあえずプラットフォームだけ作ろう。酔った勢いで。という結論に達した。

 このことを詳細に記憶しておきたいがために、現状を書いてみる。9%のストロング缶は4缶目。ちょっと前に寝たから目が冴えている。それ以外の情報はない。

 時折忘れそうになるからこれも書いておく。何故「赤い林檎」というタイトルをつけたのかだ。「潰れた檸檬」は、自分が日頃体験した感性をつらつらと書くというコンセプトでやっていた。あのブログは、自分が考えさせられる状況に出くわした時だけ書くことをモットーにしている。そのため、内容は本当に自分に興味を持ってくれている人だけにしか見せられない。

 梶井基次郎の「檸檬」が好きだから檸檬にしよう!→でも檸檬だとクソ被りそうで嫌だな...→そう言えばレモンと言えばフレッシュレモン→フレッシュと連想できるのは感性→でも大した感性じゃないから「潰した檸檬」→いや潰した檸檬はまだ使いどころがある。となると「潰れた檸檬」にすれば使い物にならないし、どこかある被害者意識と感性と、「まだ食べられる(通用する)檸檬(感性)の部分を探す」というコンセプトでまとまりそうだ...という理由でそのタイトルをつけた。


 赤い林檎は、誰にでも恥ずかしくない内容を個人的にまとめる為に作ったものである。リアルであるものの説明を求められた時に、個人的にはこう思います、という価値観を"ノート"にまとめておくために始めたようなものだ。檸檬に対をなせる存在感のある果物は林檎→「林檎は赤い」と思い込まれているが、実は一つ一つ見ると形が違うし赤以外の林檎もある→林檎と言われて負い浮かぶのは「赤い林檎」であるが、果たしてそれは普通なのだろうか?青でも黄でもなく赤い林檎というありそうでない存在感で個性を発揮できないか?→だとしたら檸檬よりも固く、 かつ誰にでも想像しやすいようなものを作っていこうというコンセプトである。

 あとは、全世界で広まっているiPhoneを作ったアップル社のように、普遍的なもので公にしていけたらなあ...という意味も込めて。

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