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出会い市場に自分をぶち込んでみている話

今年も彼氏ができないまま、真夏のピークが去った。

学生として迎える夏は恐らく最後になるであろう今年に対する私の期待は大きかった。

大学1年の頃に、占い師と友達から「大学最後の年には彼氏ができる」という謎の予言を賜っていた私は、この一年に恋愛運を全振りすればいいや、という余裕と自信を持ちながらこれまでの大学生活に精を出していた。

今年初めに、就職活動とともに恋愛もそろそろ本気出さなきゃ、と重い腰を上げた瞬間にコロナが勃発し、フィールドに立つ前に試合休止の鐘がなった。

彼氏どころか新規の友達すら作るのが難しい状況。本来なら起こるはずだったリクラブもなく、グルディスはウェブになり、気まずい沈黙をZOOM上でいかに破るかを研究する日々を送った。さすがに、zoomで出会った他大のあの人💛に個別チャットを送る勇気も機会もなく、手応えが微妙な私の就職活動は幕を下ろした。

就活も終えたし、さて、いよいよ、本格的に恋愛に全振りしないと予言の有効期間が終わる。焦った私を更に焚きつけたのは、高校時代の友人たちだった。

近況や懐かしいエモ話に花が咲く中で、話題は当然恋愛の話に。すると、5人中2人が新規で彼氏を作ったという報告をしてきた。出会いの場はいずれもアプリらしい。

令和2年、アプリの威力恐るべし

猫も杓子も、豚も真珠も、犬も棒もマッチングアプリで恋愛の機会をつかんでいるらしい。

OK、グーグル、PAIRSヲダウンロードシテ。

その日から取り敢えず、初期装備もままならないまま一狩りに出ることにした。

詐欺ギリギリの盛れた写真とぼんやりと暗闇でニヤリと佇む己の写真をアプリ上に公開し、「好きなことは音楽です🌟」と当たり障りのない文章と、ペアーズ上の「コミュニティ」の欄でヒップホップアーティストにイイね!をしまくった結果、全然マッチができなかった。

PDCAを回さないがちの私は、さらに、ゴリゴリのマイナーアーティストコミュニティにイイねを押しまくり、そこにトドメを刺すようにお笑い芸人コミュニティにも切り込んでいった。写真も勢いを込めてフィルムで撮った湖の写真を追加し、結果、私のプロフィールは完全に「厄介なサブカル女」と化し、全然イイね、がもらえなくなった。

もう一つの方は、盛れた写真のみを起用し、特に何もコメントを残さない「ミステリアス風味の女」を醸し出してみた。こっちの方がうまくいっている。(やりモクも多いのかもしれないけど)

アプリに本腰を入れ始めた数週間後、やっと地元近くに住む真面目そうな男性と直接会うことが決まった。

私は、それを周囲に言いふらし、ニートの姉(アプリ合コン込みで200人の男性と出会い、収穫のなかった女)から服装のアドバイスをもらって颯爽と出かけた。

非常に良い人なのが伝わってくる笑顔が特徴の彼は、本当に前世でも来世でも怒ったことがなさそうな人だった。話も弾み、これはワンチャンあるかもな、な雰囲気で会食は終了した。

問題は、その後である。まぁまぁな頻度でLINEをしていた私たちだが、ふと違和感を感じる自分がいることに気がつく。

私のボケや物言いに対し、彼から「褒められる」のである。

それが妙にしんどい。基本的に褒めてもらう、よりも、笑わせてくれる人が好きだ。エッジの効いた切り返しをしてくる人がいると嬉しくて返信スピードがワイルドになる。ファストアンドフュリアスでファビュラスなのだ。何言ってるんだかわかんないけど。

世の中が三高を求める中で、私が求めるチャートはギャグ線に振りまくっているので、そりゃあなかなか彼氏ができない。

取り敢えず、世間の女性が喜ぶ返しとは一線を画した返しを求める私にとって、彼の切り返しは、なんだかなぁな気分にさせられるのだ。一度や二度の賛辞ならありがたく嬉しい気持ちになるが、続くと徐々にジャッジされているような気持ちになる。

もうこれは相性の問題だと思う。彼は全然悪くないし、すごくいい人だと思う。だから、彼のせいでは全然ない。

そんなかで、高木美佑さんというカメラマンの「きっと誰も好きじゃない」というコラムを読んだ。

彼女はMOROHAの「バラ色の日々」というPVに出てくる方である。

このPVは別に彼氏と破局どころか、別に人生で彼氏のほぼいない私の胸をえぐってくる。ネバーヤングビーチのお別れの日々のPVを見た視聴者が脳内で、小松菜奈を元カノに仕立て上げる現象と同じ現象である。

結構な失恋を経験した友人に見せたら、食いすぎて、部屋の四隅に体育すわりをしながら過去を振り返り始めたくらいなので、安易に人に聞かせるわけにはいかない。

私の場合は、えぐられる傷が深くなく、むしろ四捨五入するとゼロなので、子守唄がわりにこの曲を流しながら眠る夜も多い。

そんな話はどうでもいいが、彼女のコラムにめちゃくちゃ共感した。彼女も物は試しに、と10人の方とアプリ上で出会ってみる経験をした、という話を綴っている。

10人分、全10回分の記事があり、その中でも、この部分に心底共感したのだ。

彼は私が乗る路線の方まで送るよと、駅の方へ歩いた。
その道中で、彼が「こんなにいい子とお茶できてよかった」と、ひじで腕をつんつんとした。
手を握られたわけでもないのに、私のテリトリーに急激に入り込まれたように感じたのか、一気にわたしの心が遠くへ逃げていくのを感じた。
さっきまであれだけ仲良く話していたのに、自分勝手なことはわかっている。
自分でもなぜこれだけのことでと疑問が湧くが、今でも理由がわからない。
そしてきっと、私もなんてことないようなふとした行動で他人を遠ざけてしまったり、はたまた傷つけたりして、そして気づかないままでいるのだろうと思った。

きっと誰のせいでもないけれど、人の境界線って複雑に入り組んでいて、簡単に他人がわかるものでもない。

行動や発言に至るまで「境界線」は確かにそこに存在している。私の場合、それは「会話」で測られている部分が大きい。ジャッジされるような発言を繰り返す、というのは私にとってのある種の「境界線」を超えてくるような気持ちにさせられる。

お互いが少しずつ持ってる境界線を超えない、もしくは、許しあえる範囲で、尊重しあえる関係性になれるのであれば、それは理想的なことだ。

しかし、アプリ経由だとその人のバックグラウンドも、パーソナリティも結局のところ目に見える部分でしか判断できない。

お互いをよく知らない分、ちょっとしたことが引き金になって、気持ちが冷めてしまうことがあるというのは、自然なことだとも思うし、そういうデジタルなプラットフォームを利用するからこそ、ある種の余裕を持って相手に接することも求められるのかな、と感じた。

私はまだまだ初心者なので、これから少しずつ「相性のいい出会い」を探していきたい。

行動してみることで実ることは確実にあるし、私の場合、経験が浅すぎるので、ちょっとずつでも誰かと向き合う時間を増やすことは悪くない。



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