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趣旨を違えたレポート

ちょっと好奇心で書いてみます。

iCloudの容量が圧迫されてきて、パソコン本体からもケツを叩かれ始めたので、過去の物を整理していまして。必要に迫られてやってるんだけども、昔の物なんか出てくると懐かしくて見てしまうんです。

そうするとかつてのレポートが出てきて。読んでみるとこりゃバカなもんです。教授もこれを評価する気にはならんだろう。長いけど、少しだけ表記を変えて掲載してみます。興味ない方はここで解散です。ご足労いただきどうも。

課題

「最近、特に体の調子がおかしいとかってありました?」
この診療室で何度されたかもしれない質問。何度目かの今回は年齢相応の形をした独居の高齢男性に向けられている。もはやこの場では挨拶みたいなものだろう。そもそも高齢者をあてにしたクリニックだ。医師もすでに何度かここに通っている老人の顔くらいは覚えていそうなものだが、それが故にむしろどのくらいの距離感で接したらいいものか、決めかねて探っているくらいのこの状況も理解できる。そこに気まずさを感じているのは若い医師の方だけで、日頃人と触れ合うこともおおよそ無い独居老人にとっては、そんなものはこの部屋の白い空気に溶けているも同然だった。
「うーんとね、」
医師の極めて社会的な感情とは混ざりえないあっけらかんとした調子で老人が口を開く。少し間が空いて同じ声が続いた。
「最近同じ夢ばっかり見るんです。」
白い空気には、社会の暗黙の意識とは段差のある、こういうこちらも極めて人間的な産物が蔓延している。病院の空気は病院自体よりもこいつらによって作られているのでは無いかと思えるほどだ。そして、病院においてはその機能面での理由により、彼らが段差に躓く事はない。医療者はこの階段を躊躇なく降りる。
なんにせよ医師はこの老人が提示した入り口から彼の中を覗かなければならない。それに多少一方的な世間話なんか、何も苦ではなかった。
「昔家族で住んでた家に自分がいるんですよ。息子は大きくなったら都会に出ましたから、夢に出てくるのは私と家内のふたり。ふたりでテーブルを挟んで向かい合ってる。外は暗くて。そして家内がね、毎回下を向いて、まるで独り言のように同じことを言うんですよ。」
「なんとおっしゃるんですか?」
「もう一回、もう一回だけ、って。」
なんだかありそうな話だが医学的に明確な不具合があるかどうかはだいぶ怪しい。何せ独居老人である。人と話す機会が減っても脳は人間の脳のままだ。アウトプットが無くなる分溜め込んだものがあっても不思議ではない。答えをだす道筋も立たず、頭でエピソードをなぞるだけの医師は唸っていた。
「家内は15年前に死んで、夢に出てくること自体はそんなに珍しいことではないんですけどね、こんな事あったかなあって。いつの話だか全く思い出せないし、何がもう一回なんだろうって。」
不可解な思いを吐き出す老人は不安や恐怖というよりは純粋に気になるだけだったようで、気分の激しい浮き沈みのようなものは感じさせない。
医師がこの話をよくある不思議な体験と解釈したのは、最終的にはそうした方が医療者としては楽だったからに他ならない。真剣に取り合うことにはどこかで踏ん切りをつけて、相槌を打っているうちに老人の話が終わる。あとは数分ほど世間話をして、次の日程を大まかに指定して診察を終えた。制限時間内でのお互いの満足の妥協点だった。

医師は次の患者を診療室に入れる。無論、先の老人と同じように診察を始める。あらゆる患者に分け隔てなく接するこの医師にとって、一人一人に割ける時間は多くない。
老人は家路に着く。妻に先立たれ、体も丈夫でなく、家にいるのが楽なこの老人にとって、関心事は夢の話だけである。
家に着いた老人は、「もう一回」の意味を探す。

普段は開けない妻のものだったタンス。何年振りかもわからないが手を掛ける。久しぶりに見る色んな物が入っている。老人にとって特に新鮮という物はないが、かつての日常に隠れていた思い出の品々であることに間違いはない。思った以上に1つ1つから回顧できるものだと老人は楽しくなった。そんなに要らんだろうとたしなめ何度か口論になった上等な化粧台。息子をあやすためと兄の家から貰ったがついに使ったこともないプラスチックのでんでん太鼓。ハワイに行ったからと意味もわからず詰めた星の砂。次から次へとかけらを集めるように手に取る。当時はそこに置かれていただけだった物が、今になって過去の彩りになる。老人にはその感覚がその場にある中で一番新鮮だった。
次に手に取ったのは筆ペン。老人の妻がなんとなくで始めようとして、ちょっとは練習したものの中途半端なところでやめてしまった趣味未遂だ。確かその練習帳は本棚の普段は使わない上の方にあったはずだ、と思い出した。久々ついでに妻の字が見たくなった老人は自分より背丈の数段高い本棚と対峙した。一番上の段には10センチほど届かない。あと少しだ、と一番下の板に足をかける。右手の先にお目当ての緑のノート。手が触れるが先か、老人は浮遊し、床に叩きつけられた。

「死因はおそらく頭蓋骨陥没骨折による脳挫傷。死亡は昨夜でしょう。」
かつての同僚が医師のもとに来た。
「なるほど。状況も概ねわかりました。」
「ただ興味深いのが、床には本棚から落下したと見られる筆ペンの練習帳が数冊散らばっていたのですが、どうも筆跡が亡くなった男性のものではないみたいなんです。」
「ふーん。どうしたんでしょう。」
「まあ、こんなことは我々の管轄外ですが。別に事件性もないでしょうし。」

 もう一回、もう一回だけ。

「密かに何度も練習していたのかもしれませんね。おそらく一番身近な人が。」
なんだか合点がいった医師は満足気に目を細めた。
「発見される前日に先生のクリニックにもいらっしゃったんでしょう?」
「ええ、特に変わったところはありませんでしたが。」
「そうですか。」
医師はこんなこともあるものかと思い、普段より少し長めに休憩をとった。

課題の問うた内容自体は忘れましたが、おそらく「亡くなった独居老人を病理解剖する例を自由に書け」みたいなことでしょう。「小説書いてこい」ではないはず。でも久々に自分で読んでみるとイヤな感じとかもなくて、そこが一番イタいような。読んでくださった皆さんと教授はご苦労様でした。

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