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二つ子の魂百まで

noteに書きたいネタは沢山あるのだけれど
落ち着いて書ける時間がなく
ついつい短文で済むTwitterに居座りがちな日々。

母がピアノをしていたので
生まれた時からピアノがあった。
その時点で私はとても恵まれていると言える。
しかも母は音大ピアノ科卒である。

なので赤ちゃんの頃から
ピアノに触らされていたはず。

ピアノは最初は母の手ほどき

3歳になる頃ヤマハ音楽教室へ入る

今でもハッキリ覚えている。
母に手を取られながら入った
白&グレー色のオルガンが並ぶレッスン室。
前の方に黒いグランドピアノがあった。
先生は当時ポンキッキに出ていた
ペギー葉山にそっくりだった。

オルガンに座って、電源ボタンをポチっと押す。
先生の言うとおりに
みんなで弾く。
お母さんも一緒にオルガンの横にいるから
安心だったけれど

「私が弾きたいのはコレジャナイ、
前の黒いピアノ弾きたいのに。
お家でピアノ弾けるのになんでココに連れて来られてるんだろう?」

そんな事を思いながら
レッスンの後、ジャスコでアイスを買ってもらえるのを楽しみに時間が過ぎるのを待っていた。

初めての発表会はアンサンブル発表会で
エレクトーンの足鍵盤だった。
ピアノが弾きたいのに
どうしてエレクトーン
しかも足って…。
3歳児けいぴゃんはとても不服だったが
口下手で人見知りだったゆえ
それを周りの人にどう言っていいかわからなかった。

2回目の発表会はソロだったのに
何故か歌だった。
後ろで先生がピアノ伴奏で、歌のソロだった。
歌いながら思った。
私はお歌じゃなくて、そのピアノが弾きたいのに…

どうしてピアノを弾かせてくれないの?

ジレンマだった。
だんだん嫌になって
レッスンに行っても入りたくないと入口で泣きじゃくった。

(ヤマハの名誉の為に
アンサンブルも大事なレッスンだと思います
人見知り内気なチビッ子けいぴゃんには向かなかっただけです
後にヤマハ講師になりましたから😆)


入口で引き返す事が多くなり
ヤマハの優秀な子しか入れない
専門コースのオーディションにも落ち
母はこの子には無理に音楽をさせるのはやめようと思ったらしい。

ヤマハはやめたけれど
家でピアノを弾くのは好きだったので
母は家に来てくれる先生を探してきた。

その先生が
美人でオシャレで優しい!!!!
もう、綺麗なお姉さん大好きな5歳児けいぴゃんは
テンションアゲアゲとなった。
しかも個人レッスンなので
レッスンの時間の間は先生を独り占めできるのだ!!!

先生に会えるのが楽しみで
レッスンの日は窓から上半身を出して
先生の車まだ来ないかなー
と何度も身を乗り出していた。

レッスンも楽しくて、
○が貰えると幸せだった。
ソルフェージュもしてくれていて
聴音を10週連続100点だったら
プレゼントあげるーと言われ
それはとてもとても集中して取り組んだ。

そんな幼少期を過ごした。

先生に外見は関係ない
と言いたい所だけれど
やっぱり可愛くてキラキラしている先生だと嬉しい!

人間だもの(みつを…

そして数十年たった今も
その好みは変わらない

かっこよくてキラキラして
最高にピアノが上手なスーパースターのような先生に
師事している。
(深田先生…かっこいい…)

現在
極わずかに生徒さんがいるのだけれど
みんな可愛くてたまらない。
そんな生徒ちゃんが
大人になってふと思い出した時に
楽しくて可愛い先生だったなー
と思われたいな

もちろん
自分の演奏の日々進化も怠らないように
楽しく模索っ

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