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弘化谷古墳と装飾壁画

弘化谷古墳

所在地:福岡県八女郡広川町

復元墳丘長:約39m

高さ:約7m

形状:大型円墳

構造:横穴式石室

石室:現存長4.5m、最大幅4.1m、高さ3.6m

築造年代:6世紀中頃(古墳時代後期)


遺体を安置する施設として石屋形を設置している。

石屋形は肥後(熊本県)で盛行したもの。

福岡県内には4例しかなく、大変珍しい。

石屋形:幅2m、高さ1.3m

童男山古墳の石屋形

こちらは別の古墳で、福岡県八女市にある童男山古墳1号墳。

奥にあるのが石屋形。

こちらの古墳はいつでも自由に入ることができる。

⏬ 童男山古墳についてはこちら
『童男山古墳1号墳と徐福と愛の話』


濠と外堤


濠と外堤を含めた外径は55m。

石室は、旧表土から地山を削り割って築かれている。

墳丘は、黄色土と黒色土とを交互に盛り上げて築かれている。

弘化谷古墳は、前回書いた「岩戸山古墳」から車で7分の場所にある。

岩戸山古墳と近いことから、岩戸山古墳と関連性があるとされている。

⏬岩戸山古墳についてはこちら


【弘化谷古墳の最大の特徴】

玄室の奥壁に接して設けられた石屋形の奥壁・両側・天井に、赤と緑で彩色が施された『装飾壁画』がある。

『装飾壁画』とそこに描かれた『双脚輪状文』が最大の特徴である。

『双脚輪状文』は、福岡県嘉穂郡桂川町「王塚古墳」、熊本県山鹿市「横山古墳」、熊本県熊本市「釜尾古墳」と、全国でも4例しかない極めて珍しい文様だ。

実際に装飾壁画を見ることはできないが、弘化谷古墳から歩いて6分の場所にある、こふんピア広川(広川町古墳公園資料館)に、装飾壁画の実物大レプリカが展示してある。

実物大レプリカ
石屋形奥壁の装飾壁画

ご覧の通り実物は色々あって色褪せている。 

レプリカは色褪せる前を再現している。

資料館で頂いた資料

文様の意味は魔除けともいわれているが、詳細は不明。

単純に考えて、天体ショーと阿蘇の噴火とそれに伴う天災地変を意味しているのではないだろうか。

古神道は、古来より文字や形として残さないのが基本である。

しかし、祈祷や占いによる政(まつりごと)から、災害を予測できたとしたら、来るべき大災害から皆を守るため、装飾壁画として残したとも考えられる。

絵と口伝による言い伝えがあれば、子供でも理解できるし、絵本のようなものだ。

絵が残されていれば、しかも王の墓に描かれていれば、言い伝えは迷信ではなく真実だと思える。

このように考えると古墳は、死者の埋葬だけではなく、自然災害や放射能に備えた、半地下型のシェルターの機能を兼ね備えているのかもしれない。

しかも、古墳は1000年以上も前に造られているのに、災害にも耐え、丈夫で耐久性に優れている。

来るべき天災地変のために、古墳は事前に用意したシェルターだったとしたら、いつでも避難できるような仕組みになっているはずだ。

それを裏付けるものが横穴式石室・横穴系墓室で、後からも遺体を埋葬できる仕組みになっている。

横穴式石室・横穴系墓室は、4世紀後半から北部九州で造られ、九州全域に広がり、東の方へ伝わった。

全国各地に広がったのは6世紀になってからで、日本各地に拡がるのに約1世紀近くかかっている。

墳頂からの風景

⏬この記事と同じ内容のブログ記事

同じ内容のブログ記事には、装飾壁画の色褪せた理由、私なりに考えたA〜Gの文様の意味を一つずつ解説、太陽フレア、超新星爆発、日本書紀に記された天体ショー、屋久杉の宇宙線量を調べた実験のこと…など、科学的なことも書いているので、かなり内容が濃くなっている(笑)

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