見出し画像

【試し読み】『命に〈価格〉をつけられるのか』

昨年から続くコロナ禍で、我々は常に「命か、それとも経済か」という選択を迫られています。一人ひとりにとってかけがえのない命ですが、実際は様々な形で計算され、それに基づき法の執行や政策が実行されています。政府や企業だけではなく、私たち自身が決めて払っているものもあります。生命保険はその典型例でしょう。

そうした「命の価格づけ」について様々な例を挙げて紹介しているのが、ハワード・スティーヴン・フリードマン『命に〈価格〉をつけられるのか』です。


データサイエンティストのフリードマンがこの本を書いたのは、「命の価値がどのように決められているかに無頓着でいると、自分の健康をリスクに晒し、安全をリスクに晒し、法的権利をリスクに晒し、家族をリスクに晒して、最終的に自分の命そのものもリスクに晒す可能性」があるということを訴えるためです。
本書で紹介されている事例はアメリカのものですが、日本にも当てはまるケースは多いのではないでしょうか。
第一章を下記にて掲載しますので、ぜひご一読ください。

***

ある癌患者が最新の薬物治療を拒否した。月に費用が3万ドル超かかるからだという。患者がノーベル賞受賞者か殺人犯か、あるいは金持ちのCEOか高校中退の落ちこぼれか。この場合それが問題になるのだろうか?

2件の殺人事件。2件の有罪判決。片方の被害者は3人の子どもをもつ裕福な中年の女性で、もう片方の被害者は20歳にもならない貧しい不法移民。2件の判決の刑は同じだろうか?

飲料水に含まれるヒ素の許容限界は、規制をより厳しくした場合に救われる命の値段で変わる。この価値を判断して決めるのは政府の専門家の任務だが、命に値札をつけるのは、何も技術的な専門家だけが行っていることではない。私たちの多くが命に値段をつける決断を行っていて、たとえば生命
保険の営業は、「もしあなたが明日お亡くなりになったら、ご家族はお金がいくら必要ですか?」などと言う。

羊水検査を受けている妊婦は、この検査結果によって産むか中絶するかの判断が変わる可能性があることを知っている。あるいは幼い男の子が車の前に飛び出していったと仮定しよう。その子を助けにあなたも道路に飛び出していくか否かの決断は、その子の命とあなた自身の命の価値比較に依存する。

上記いずれの例も、一見シンプルな質問「人の命の価格はいくらですか?」の答えを探るものだ。
多くの人が、いくらか答えるなんて不可能だと言うが、それは欺瞞だ。その命が見知らぬ人の命だったら? 友人だったら? 恋人だったら? 子どもだったら? あるいは自分自身の命だったら、いくら払うだろうか?

この質問の答えが見かけほどシンプルでないのは、どうやってその命の値段に辿り着いたかは、それぞれの優先順位に大きく関係しているからだ。この値札は、私たちが何を正しいことと定義しているかの指標であり、経済や倫理観、宗教、人権に対する意識、法律の影響を受けている。社会としての私たちの価値は、こうした値札の決定に用いる方法と価格そのものに織り込まれている。

命の価値評価に使われる方法は、どういう目的で命を金銭換算するのか、その金銭価値は正確に何を意味するのか、そしてどのような視点で金銭に換算するのかによって変わる。ある人が万が一思いがけず亡くなった場合に、その人の収入を補塡する意味で金額推定を行う人は、増大する環境リスクを防ぐために命を金銭換算して数字を割り出そうとする政府とは目的も視点も異なる。さらには、製品や従業員の安全性を向上させるには、いくら支払わなければならないか算出しようとする企業とも、目的や視点が異なる。このように目的や視点が異なれば、使用する計算メソッドも異なり、当然のことながらつけられる値札も異なってくる。

本書では、広範な例を使っていくつか重要な点を説明していく。(1)人命には日常的に値札がつけられていること、(2)こうした値札が私たちの命に予期せぬ重大な結果をもたらすこと、(3)こうした値札の多くは透明でも公平でもないこと、(4)過小評価された命は保護されないまま、高く
評価された命よりリスクに晒されやすくなるため、この公平性の欠如が問題であること。

私たちの多くは、常に自分の命に価格がつけられていることに気づかずに暮らしている。私たちの最も重要な決定の多くが、命の価値の計算あるいは評価の影響を受けていることに気づいてもいなければ、理解もしていないことが多い。この命の価値が生活のほぼすべての側面――私たちが吸う空気や食べる食品から稼ぐ収入まで――に影響を及ぼしている。命の価値は、時間やお金をどのように使うかという日常の決断に影響を及ぼす。この命の値札が、戦争に突入するか、平和的解決を模索するかなどの政治判断を促す。これらが刑罰や民事訴訟における賠償裁定額の決定を左右する。生命保険から健康管理支出、教育投資から中絶の決断まで、人の決断にこれらが影響している。新しい命をこの世に生み出すことから、避けられない死を遅らせることまで、命のほぼすべての側面に影響を与える決断を、この命の価値が操縦する。この命の価値は、私たちが母親のお腹に宿されたときから私たちに影響を与え、そして私たちが死んだら、自分の命につけられた値段が、あとに残していく人に影響を及ぼす。

値札や人の命に置く価値で私たちは何を意味しているのだろうか? 値札とは、あるものの値段がいくらかということだ。人の命に値札がついているとは通常考えない。だが、本書では人命に日常的に「何ドル」という数字が割り当てられていることを示していく。また、経済の専門家、金融アナリスト、規制当局、統計学者が人の命に値札をつけるのに用いるメソッドを概説し、これらのメソッドの重要な前提条件、限界を詳細に検討していく。

命の価値というのは、単に値札に書かれている金額より広範な意味をもつ。価値というのは金銭換算した値打ちと解釈できるが、同時に「そのものが重要だ、値打ちがある、有用だ」とか「その人が人生で大切だとするもの」といった意味合いもある 。こうした価値の広範な捉え方が、個人として、また社会としての決断に反映されている。本書では、金銭換算した値打ちと、重要度という意味合いでの金銭換算されない値打ちの両面で、価値をいかに表すかという捉え方の違いを織り込んでいく。
命の値つけの仕方を調査するには、調査の範囲を決めなければならない。その最も極端な例が、生まれる命と失われる命に対して置かれる価値だ。これには、様々な命の相対的価値について人が取る行動と社会が行う決定とが含まれる。これよりいくぶん穏当な判断の尺度に、健康、すなわち生活の質の重要な決定要因に対して置かれる価値がある。それよりさらに穏当な判断に、時間の使い方についての個人の決断がある。

失われる命に対して置かれる金銭換算の例には、9・11同時多発テロの犠牲者家族に支払われた補償金や、事故死の民事訴訟における賠償金、生命を救う医薬品にかける支出限度額、規制をより厳しくした場合に救われる命の経済効果などがある。より個人レベルの話では、命につけられる値札には、子どもを産み育てるための費用計算や、いくら生命保険をかけるかの決断などがある。生死に金銭以外の形で価値を付与する行為は、法的判断に見られ、殺人や自動車運転業務上過失致死傷罪に対する刑罰などが例として挙げられる。

私たちは、たとえば、裕福な歌手や有名な政治家が亡くなった場合と、地位もなければ身寄りもないホームレスが亡くなった場合など、ある人と別のある人の死に対して払われる注意や、その死を受けての様々な行動に、社会での命の相対的価値評価を見ることができる。中絶に関する法律的立場は、誰のためなら自分の命を犠牲にしてもいいかという個人の意思決定同様、この命の相対的価値の議論の範疇に入る。

生活の質の価値評価には、命の価値評価よりほんのわずかに気楽に向き合える。生活の質に関する金銭換算例には、9・11同時多発テロの負傷者への補償や、事故や過失が原因で傷や慢性的疾患を負わされた場合の民事判決、冤罪で収監された人への金銭補償、新たな規制により減らせる疾患の経済効果などがある。

最後に、時間の使い方に関して私たちが行う決断がある。個人の決断で命の価値を考慮に入れる例には、雇用関係を結ぶ際の取引条件や、自分のライフスタイルに関して行う選択などがある。

このような値札はいたるところにあるばかりでなく、避けられないことが多い。医学的判断は多くの場合、利益性のアルゴリズムと支払い能力評価に基づいて下される。この治療は保険会社にとって費用対効果の高いものだろうか? 患者には支払い能力があるだろうか? 金銭価値と期待される治療効果を計算に入れずに機能する医療制度はない、という基本真理を理解しておくことが必要不可欠である。

同じ真理が親にも適用される。子どもの養育にかかる費用を考慮に入れなかったら、親は基本的な生活必需品すら家族に与えてやれないかもしれない。費用効果分析など、場合によっては、この値札があからさまな場合もある。逆にこの値札が明示されず、その裏にある仮定を探らなければならないこともある。

考え得るかぎりの安全策を採り入れて事業を継続できる企業などないだろう。企業は多くの場合、費用効果分析に頼って意思決定を行っていく。発癌性のあるフィリップモリスのタバコやゼネラルモーターズのブレーキの欠陥、インドのボーパールにあるユニオンカーバイドの化学薬品貯蔵タンク事
故に関連する死に対して、値札がつけられる。公共事業分野では、すべての汚染物質に対してゼロトレランス〔いかに微細な違反も容認しないこと〕を採用するのは、経済的にも技術的にも不可能である。
毒性物質それぞれについて、許容レベルというものを設けなければならない。このレベルは、その規制適用にかかる費用、避けられる死者の数、そしてその避けられる死が起こった場合に失われる1人1人の命の金銭的価値によって変動する。環境規制のメリットを考慮しなければ、企業は消費者の支
持がほとんど得られず、打撃を受ける可能性がある。

人命には日常的に値札がつけられているのだが、私たちのほとんどが、どうやってこうした値が算出されているのかを知らない。経済学者、規制当局、企業のアナリスト、医療機関や保険会社がこの値の算出に用いる方法は、専門用語や法律用語のヴェールでわかりづらくされていることが多い。方法や値札は、私たちの核となる価値観、私たちが正しいと定義するものを反映して、社会としての優先順位を表すものとなる。本書は、読者にこうした価値評価方法と、その方法が私たちについてどのようなことを言っているかを紹介し、洞察を得られるようにする。

この問題の諸要素を深く掘り下げていくと、これらの値札がときとして不公平であることにすぐに気づく。しかし、この値札が私たちの経済、法律、行動、政策に影響を及ぼしている。この値札には、ジェンダー、人種、国、文化のバイアスがかかっている。この値つけは多くの場合、高齢者より若者の命に、貧乏人より金持ちの命に、黒人より白人の命に、外国人よりアメリカ人の命に、他人より親類縁者の命に高い値をつける。9・11犠牲者補償基金は犠牲者家族に25万ドルを支払った。ただし、700万ドル受け取った家族もいる。ほぼ30倍近い数字だ。さほど昔のことではないが、米国環境保護庁は、若者の命に比して、年配者の命を何分の一かで見積もる提案をした。司法制度は、犠牲者の背景、地位身分が量刑に大きく影響することを何度となく露見させている。
本書では命の価値評価の様々な側面を見ていく。まずは純粋に金銭換算の評価―価格に関する議論から始める。そのあと、金銭的な価値の検討と非金銭的な価値の反映の両方を含む分野に移っていく。そして最後に、命の相対的価値が映し出されたトピックを取り上げて終わる。

本書は哲学書ではないし、神学の本でもなければ、司法理論の本でも、経済的イデオロギーの本でもなく、政策課題の処方箋の本でもない。それよりもむしろ、命の価値評価の様々な方法を紹介し、その価値評価に使われている方法から専門用語を取り除き、容易に理解できるようにすることを目的としている。こうした命の価格が人々の暮らしにいかに重要な意味をもつかを考えれば、さらに重要なのは、こうした話題は小さな専門家会議の枠を離れて議論しなければならないということだ。人はこうした価値評価を理解していなければならないし、そうしなければ、私たちは自分の命を過小評価され、結果的に少ない保護しか得られなくなるリスクを冒すことになる。

命の価値がどのように決められているかに無頓着でいると、自分の健康をリスクに晒し、安全をリスクに晒し、法的権利をリスクに晒し、家族をリスクに晒して、最終的に自分の命そのものもリスクに晒す可能性が高くなる。誰の命も公平に扱われて、十分に守られていると確信できるようにするには、知識を獲得して、用心を怠らないようにするしかない。

***

【目次】
第1章 お金か命か?
第2章 2つのタワーが崩れるとき――9・11同時多発テロの場合
第3章 司法に正義はあるか?――法律と裁判における命の価格づけ
第4章 水のなかのわずかなヒ素――規制機関による命の価値評価
第5章 誰の財布で利益を最大化するか?――企業による命の計算と労働市場
第6章 祖父のように死にたい――生命保険で命の値札はどう決まるのか
第7章 若返りたい――健康の価値と医療保険
第8章 子育てをする余裕はあるか?――出産の選択と子どもの命
第9章 壊れた計算機――バイアスがもたらす問題
第10章 次にどうするか?――命の価格のつけ方

【著者】
ハワード・スティーヴン・フリードマン(Howard Steven Friedman)
1972年生まれ。データサイエンティスト、医療経済学者、文筆家。ニューヨーク州ビンガムトン大学で応用物理学の学士号を取得後、ジョンズ・ホプキンス大学で統計学の修士号と生体医工学のPh.D.を取得。データサイエンス、統計学、医療経済学、政治学の分野で約100本の学術論文や書籍の章を(共同)執筆。現在は国連人口基金(UNFPA)に勤める傍ら、コロンビア大学准教授でもある。
【訳者】
南沢 篤花(みなみさわ・あいか)
大阪府立大学工学部卒。慶應義塾大学文学部卒。英日翻訳家。主な訳書に『セールスライティング・ハンドブック』(翔泳社刊)、『コーディネーター』(論創社刊)などがある。

書籍の詳細はこちらから↓

命に価格を noteバナー

#統計的生命価値 #VSL #行動経済学 #慶應義塾大学出版会 #読書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?