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【試し読み】『韓国軍事主義の起源』

2024年8月刊行の『韓国軍事主義の起源』は、朝鮮史研究の泰斗、カーター・J・エッカート氏による集大成。19世紀後半の朝鮮王朝末期から第二次世界大戦までの時期を精査するなかで、植民地期の満洲国軍官学校の世界へと足を踏み入れ、韓国近現代史の核心へと迫った1冊です。今回は日本語刊行に際して書き下ろされた「まえがき」を特別公開致します。ぜひご一読下さい。

現代韓国史を理解するうえで、朴正熙とその軍事政権がもたらした政治経済的変化は決定的に重要である。しかし、さらに重要なことは朴正熙ら軍人が誕生し、社会で台頭し、政権を握るまでに至った歴史自体が、近現代の朝鮮社会の根源的変化を示す重要な指標であるという点である。本書は「軍事主義」をキーワードに、朴正熙らが育った歴史的背景と彼らが受けた満洲国と日本での士官学校教育の意味を、朝鮮近現代史の視座から問い直す。

日本での刊行に寄せたエッカート氏からのメッセージ

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日本語版へのまえがき

 1961年から1979年にかけて韓国に存在した朴正熙の開発独裁政権は、1860年代以降、朝鮮半島で約一世紀にわたって、ほぼ絶え間なく続いた軍事化の流れから派生してきたものである。この軍事化の過程で生まれた民族主義的傾向を持つ軍事主義は、最終的にそれを土台として大韓民国軍を生み出し、それが1961年5月16日の朴正熙による権力掌握へと繫がっていったのである。このクーデター以降、約18年間にわたって、軍事主義の影響は韓国の国家統治全体に広がり、特に1972年以降の権威主義的な維新体制期に、その影響は顕著となった。1979年に朴正熙が暗殺された後も、全斗煥チョウ・ドゥファン盧泰愚ノ・テウという二人の将軍がクーデターによって軍事政権を継承したため、軍事主義は韓国政治に影響を与え続けた。

満洲国軍少尉に任官する直前の見習士官時代の朴正熙(1944年6月)

 1961年のクーデターの基盤であり、朴政権を特徴づけた軍事主義は、歴史的に見れば複数の源流を持ち、異なる時代の様々な軍隊から複雑な影響を受けている。しかし、本書が注目するのはその根源的源流ともいうべき戦前の日本帝国陸軍の軍事文化と行動様式であり、とくに日本と満洲国の士官学校教育による影響である。実際、朴正熙は満洲国の軍官学校を経て日本の士官学校に留学したため、両校で教育を受けた経験があった。しかも、彼は人一倍まじめで熱心な生徒であり、両校の教育理念や訓練を極めて積極的に受け入れていたのである。そして、そこで彼の受けた教育や訓練は、後の朴正熙政権における統治のひな形となり、政治運営、経済開発、そして社会的動員といった国家のあらゆる活動に応用されることになったのである。

 私は当初、本書に続く下巻において、1945年以降の韓国に残された日本軍と満洲国軍の遺産について明らかにし、それが1961年から1979年の朴正熙政権期に様々な形で表れたことを跡付けようと考えていた。しかしながら、新型コロナウイルスの世界的大流行により主要な図書館の多くが閉鎖されたのみならず、そこに私の身辺の私事が重なることにより、当初の計画は当面の間延期せざるを得なくなった。幸いにも朴正熙政権の研究に取り組んでいる次世代の学者の中に、私の教え子も何人かおり、この間に刊行された彼らの研究書には私の研究内容と深く通じるものがある。その代表的な例が、Peter Kwon, Cornerstone of the Nation: The Defense Industry and the Building of Modern Korea Under Park Chung Hee(Harvard University Asia Center 2024)(ピーター・クォン『国家の礎石――朴正熙政権下の近代国家建設と防衛産業』ハーバード大学アジアセンター、2024年、邦訳未刊行)である。

軍官学校二期生卒業式で表彰を受ける朴正煕(『満洲日日新聞』1942年3月23日)

 本書の下巻は、朴正熙が権力を握った時期に焦点を当てるつもりであった。しかし、私が描きたかったより大きな物語において、さらに興味深くかつ重要なのは、植民地期と朴正熙政権期の間にある移行期、すなわち1945年から1961年にかけての時期において、日本軍と満洲国軍の文化と行動様式が生き残り、大韓民国に新たな居場所を得たことである。この時期は同時に冷戦期のアメリカの韓国への影響力が頂点に達した時期でもある。しかし、日本を敗北させ、日本軍の歴史に終止符を打ったはずのアメリカが、逆に戦後の韓国と韓国軍において日本軍の文化と行動様式が存続できる環境を提供したことは実に歴史の皮肉であった。
 それはどのようにして可能となったのであろうか。第一に、1945年から1949年にかけて朝鮮半島南部を占領した米軍は、韓国軍の創設に際して、その将校団の多くを朴正熙をはじめとする旧日本軍や満洲国軍出身者で構成した。第二に、朝鮮戦争後、アメリカは韓国軍を当時の韓国における最も近代的で団結力を持つ組織へと作り替えた。同時に、1950年代から60年代にあたるこの時期は、アメリカの近代化理論が学術界から政府の政策へと影響力を広げた時期でもあり、この結果、軍のエリート将校たちは、発展途上国における反共主義の国家建設者として好意的な目で見られるようになった。第三に、朝鮮戦争中、アメリカは自国の政策目的に沿わない行動を見せ始めた李承晩イ・スンマン政権に対して、韓国軍を使って政権を転覆させる計画を真剣に検討した。このことは、朴正熙をはじめとする韓国軍の将校団に対して、アメリカは自国の利害にかなう形であれば、クーデターも容認するとの見通しを与えることになった。そして最後の要因として、1961年5月16日に朴正熙が実際にクーデターを実行した際、当時のケネディ政権は比較的速やかにそれを承認し、同年末には朴をワシントンに招待までして首脳会談を行った点である。

陸士での歩兵科教練班(1944年)
前列右端が朴正煕、前列左端が金子富男、2列目左から6番目が教官の田原耕三(李泰榮氏提供)

 下巻のもう一つの重要な目的は、軍事主義的な統治のひな形が、国家の統治だけでなく、産業界の経営や工場管理など、韓国社会の様々な分野にどのように広がっていったのかを跡付けることである。この点に関しても前述のピーター・クォンの研究は、韓国の防衛業界における軍事文化と行動様式の影響を探るという点で、私の関心と重なっている。しかし、その影響は防衛業界はおろか産業界全体の外側にまで及んでいた。私の見るところ、当時の韓国社会において、朴正熙政権の軍事文化から何ら影響を受けなかった業界や組織など存在しなかったのであり、これは朴政権に抵抗する学生運動や団体ですら同じであったと言える。
 韓国の軍事文化の持つ政治・経済・社会的重要性のみならず、その歴史的源流が旧日本軍の軍事文化にあることを考えるならば、本書の日本語訳の刊行は期待されていたものであり、それが実現に至ったことは誠に喜ばしい。原著のまえがきでも触れたとおり、本書は日本の文書館や研究者に多くを負っている。この日本語版の刊行により、日本の学術界にも次なる研究が現れることを期待したい。私は、日本語版の刊行に際して、松谷基和氏という余人をもって代えがたい最良の翻訳者を得たことに心から感謝している。彼はハーバード大学での教え子であり、本書の完成に向けた調査の最終段階において共に働き、日本への現地調査の際には同行して、通訳も務めてくれた仲である。翻訳に際して、同氏は私がこれまで収集してきた一次資料群を細かくチェックし、原文のテキストや注釈に示した内容、翻訳、出典の正確性を高めるのに多大な労を取ってくれた。こうした作業を通じて、彼は原文にあったいくつもの間違いを見つけ出し、適宜、修正してくれた。この点において、日本語版の本書は、英語版よりも内容が充実したと言っても過言ではない。もちろん、それでもまだ残る間違いについては、すべて私の責任である。
 最後に、今日もなお朴正熙政権期に関する研究が、極めて政治的な傾向性を持つ現状を踏まえるならば、本書には、日本や韓国の軍事主義、あるいは朴正熙の権威主義政権を弁明する意図は皆無であることを改めて明確に述べておく必要があろう。そもそも本書の原初的な問いは、極めて単純なものであり、それは朴正熙政権の統治スタイルに影響を与えた主たる要因は何であるかというものであった。私はこの問いを、朴正熙と親しい関係にあった人々に会うごとに必ず尋ねてきた。そのなかには、五・一六クーデターの中心人物であり、朴正熙の義弟でもあった│金鍾泌《キム・ジョンピル》、朴政権で9年間(1969〜1978年)大統領秘書室長を務めた│金正濂《キム・ジョンニョム》、青瓦台の経済首席補佐官として重化学工業化政策(1973〜1979年)を指揮した│呉源哲《オ・ウォンチョル》らが含まれる。私の問いに対する彼らの答えは常に同じであり、それが「日本の士官学校教育」だったのである。それゆえに、私は1961年のクーデターに参加した朴正熙とその同志たちが自己形成期に受けた教育に焦点をあて、それを歴史的に跡付けることを本書の目的としたのである。もちろん、今日から振り返れば、1961年以降、特に1970年代に現れた開発主義政権に対しては、より抑圧が少ない形で統治できたはずだとか、そのような政権であったらと想像したり、期待することはできる。しかし、歴史家は実際に起きた事実に注目すべきである。そして事実とは、朴正熙の開発国家は、1940年代の満洲国と日本における教育と訓練の経験に多くを負った存在だったということである。この物語こそがまさに本書を貫くテーマであり、本書の存在意義である。

軍校6期・7期の朝鮮人生徒(前列左端・柳陽洙、前列中央・金光植)

★試し読みは以上です。本文中に「下巻」との表記がありますが、こちらの刊行は現状未定です。

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