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「守・破・離」の競技者

本日のnoteは副将の畦地将史が担当します!
短いので、是非ご覧ください。

まずは以下の歌をご覧ください。

規矩作法守り尽くして破るとも離るるとても本を忘るな
(規則は守らなければならないが、例え破ろうともう離れようとも本質を忘れず、臨機応変にしなさい。規律を守り背かずに生きるのは良いが、事実を前にしてそれらを飛び超えた最良の選択を探し出しなさい)

これは千利休の訓をまとめた『利休道歌』の中にある歌です。
「守・破・離」という言葉は、耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

これをあくまでも私なりに、曲解を交えてではありますが競技者目線に落とし込んでいきたいと思います。

賛否はあるかと思います。その自身で持った様々な意見を基に、競技を考える一助にしていただけると大変嬉しいです。
※「私はこう思います」と畦地まで伝えてくれると尚、嬉しいです!


競技者としての「守」

競技者としての「守」とは何か。それは「真似すること」である。

言語情報であれ、非言語情報であれ、各競技者には自身の理想とする形があって然るべきであり、そのイメージに自身の競技を近づけるべく真似をする。できるだけ細部まで。

言語情報の代表例はコーチの指導。非言語情報の代表例はトップ競技者の競技分析。
もしどうしても不可能な場合、それが不可能である原因を特定し、解決していく。この積み重ねによって自身の競技は理想とする形に近づいていく。

これを競技者としての「守」と呼びたい。


競技者としての「破」

競技者としての「破」とは何か。それは「理想に疑いを持ち改善すること」である。

理想形は必ずしも自身に適合するものではない。したがって、自身の体や感覚と技術とをすり合わせていく必要がある。この適合性の向上を通じて、以前の理想とする形から離れ始める。

これを競技者としての「破」と呼びたい。


競技者としての「離」

競技者としての「離」とは何か。それは「「破」によって生まれた形を定着させ、自在に操ること」である。

適合性を向上させた上で、より洗練された形へと反復、微調整を繰り返し自在に操れるまで鍛錬する。これを経ることで、自身に合った形の競技を無意識下で、試合で発揮できるようになる。

これを競技者としての「離」と呼びたい。


競技者が行うべきこと

我々競技者が行うことは

①真似 理想形を発見し、それを細部まで真似する。

②改善 真似したものを、自身に適合する形に改善する。

③定着 改善したら、自在に操れるまで鍛錬し定着させる。


これを無限に繰り返していくことではないだろうか?

おわり



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