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『襷。』 田島 公太郎

こんばんは、田島です。
三輪くんからご指名賜りましたので今回の幹部ブログを担当させていただきます。 僕は練習でも大人しいのでそこまでギャップ萌えを提供できているかは分かりませんが、僕なりに2023年を振り返っていこうかと思います。 テスト勉強や期末レポートに皆さんお疲れのことかと思います。そんなくつろげる内容でも面白い内容でもありませんが、よかったら息抜きにでも読んでってください。

さて、僕の2023年は「THE・低迷」でした。なんせ出走できたのがたったの4レース、しかもその全てが(よく言って)凡走 or それ以下だったんです。 毎度毎度なんとか自分を納得させようとしていましたが、改めて振り返ると1レースとて褒められたもんじゃありませんでした。

というわけで僕からお届けするのは
「2023年、最低の試合はコレだ!(T _ T)」
です。

どうぞお付き合いください。


I. 10時間49分20秒

そうです、第100回箱根駅伝予選会です。

出場権が3枠増えた本大会、ご存知の通り慶應義塾は12位で本戦へと駒を進めることを目標として掲げ1年間かけて前年とは比べ物にならないほど強くなっていました。

しかし結果は遠く及ばず22位、厳しすぎる現実を容赦なく突きつけられました。

皆さんにも僕の号泣会見はご覧いただいたので、その悔しさたるものは大方伝わっていたことでしょう。

決して惜しいと言えるわけではなかったこの試合で何がここまでの悔しさを生んだのか、今回はそんなことについて触れられたらと思います。


II. 僕達にとっての100回大会

正直に言います。
本気の勝負は来たる2024年度、第101回大会でした。

圧倒的中枢である僕ら現3年生が4年間鍛えて最も力をつけるであろう101回。
そんな僕らにピッタリとついて着実に強くなっている2年生と、フレッシュながらに意地を魅せまくる1年生が2年間かけてしっかりハーフで戦える様になるであろう101回。

文字通り全てを出し切りぶつけきる101回。
その為の大切な準備期間である100回。

そんなヴィジョンを持っていました、最初は。


しかし大きくチームの雰囲気が変わり始めたのは夏合宿が始まった頃からでしょうか。

僕たちの夏は長いです。信じられないくらいに長いです。
8月に始まり、9月の半ばまで朝6時からひたすらに走り続けます。
あまりに苦しく、例年は途中で集中力の切れる者や心の折れる者が見受けられます。しかし今年見えてきたのは「ん、これ行けるやつだ。」という自信でした。

全体集合の時にも軽くお話ししましたが、合宿が続く中で練習内でPB更新が起こったり、それに準ずる走りが続いたことに起因して「今チームええ感じやねん」としか言いようがない流れが完全に出来上がっていたんです。疲労になんて目もくれず、とにかく日々強くなっていく最高のチームでした。

コレ、大事なんですね。
根拠ある勝率も大事ですが、沸々と内側から湧き上がる自信、これが見えてくるとチームは一気に強くなります。
これがどこからともなく漂ってくると自惚れになりますが、湧き上がってくると勝つためのデカい自信になります。
紙一重ですが僕は高校時代の経験からこれは間違いないと思っています。

ということでどんどん走力も想いも強まっていき、2023/10/14(Sat)には100回大会が僕らの本気の勝負処となっていたわけですね。


III. 反り腰 vs メンタル

そして予選会。
前々から豪語していたように僕が狙っていたのは日本人トップ。
昭和記念公園に入るまでは集団の先頭を走り、実際そこを狙える位置でレースを展開できていました。つまり約14kmは100点満点。

ただ問題はそこから。
公園内は平坦な箇所が一箇所も無くなります。常に勾配が繰り返されるわけです。その中には急激に下って、直後急激に上るという場所もあります。
少しだけ専門的な話になりますが僕は、上り坂では腹圧をかけ骨盤を後傾させて思い切り重心を前に移した上で一気に上り切るといった走りをします。

ただ、急激な下りがくると腹圧が上手く入らず長年の課題である反り腰が出てきます。するとその直後の上り坂も修正が効かずに反り腰のまま入ってしまい、全く馬力が効かなくなってしまうんです。ずっと改善しようと努力してきた部分でしたが間に合いませんでした。

そうして格闘しているうちに体力と精神が消耗されペースも下がってきます。集団はどんどん前へと進んでいき、見える背中は小さくなっていきました。腹圧も順調に削れていき、全く自分の走りが維持できなくなりました。

「やべぇ、気持ち切れる。」

そう思った時、不意に浮かんでたのが長距離4年生の顔でした。
泣きそうなくらいしんどかった時にそばにいてくれたサポート、足と心どっちが先に折れるかといったハードな練習を共に頑張った選手、5名の顔です。

今ここで気持ち切らしたらその瞬間、愛する彼ら彼女らが引退しちゃう。
そんなの耐えられない、と思いました。
まだまだあと2ヶ月一緒に走り続けるんだ、と思いました。

僕が最後まで気持ちだけは誰よりも強く持ってフィニッシュできたのは、そんな4年生への想いがあったおかげです。

21.0975km、きっと他の選手も一度は同じような気持ちに救われたのではないかと思います。


IV. 101回への襷

総じて何が悔しかったのか。
人それぞれだと思いますが、僕は4年生を連れて行けなかったという事実が何よりも大きかったように感じます。

その絶望は2023年最低のものでした。

だけど、あの悔しさを味わった僕たちは最強です。
過去最大のチャンスを迎えた100回を超え、さらにどデカいチャンスを101回に迎えにいきます。


競走部全体としても2023年は喜び多き年であった一方、しっかりと悔し涙を飲んだ選手は少なからずいたのではないでしょうか。
敗北をモノにできるかどうかも負けた本人次第、これを機にただの一記憶とならぬよう頭に刻み込んでおきたいものです。

2024、全員で飛躍しましょう。

てなわけで僕のブログのサムネイルは来年の箱根駅伝本戦のイメージ図でした。もう一度しっかり見直してからこのタブを閉じるようにしてください。
何かに気付いたら教えてください、「おめでとう」って言います。



毎度の如く見事に取り留めのない話に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
次は107代の誇る主務、吉川くんです。
落単の危険も全く顧みずに競走部へ身を捧げまくっていた彼ですが、果たしてどんな一年だったのでしょうか。
非常に楽しみです。

ではよろしく。


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