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4年生引退ブログ⑧『全力』若松琢磨

4年間振り返ってみると自分は他の部員に比べてポジション転向が多かったり、主務を引き受けたことなどその時々のチーム状況に応じての穴埋め的な役割に回ることが多かったなと思います。
このブログではそのことをメインに4年間を振り返ろうと思います。

後輩達は知らないかもしれませんが、自分の入部は遅く大学1年の10月の初めでした。とは言っても当時は選手はSFC出身の4人しかいなく、自分が初の外部生だったので同期が歓迎してくれました。今もそうですが、この時からチームの雰囲気が好きで練習が楽しかったのを覚えています。
自分は入部当初サードをメインで練習していました。それが、1年生の冬を迎えた頃に、同期で誰かキャッチャーできる人作ろうという話になり、和田や竹地は確立したポジションがあったので消去法的に自分が挑戦することになりました。小学校の頃にキャッチャーの経験はあったものの、ほぼ初心者からのスタートだったので人一倍練習するつもりで取り組んでいました。空き時間にはブルペンに入って先輩方の投球をひたすら球を受けたり、古川さんとのキャッチャー練などでなんとか試合に出させてもらえるくらいに成長することができました。

2年の夏の幹部決めの時期になり主将副将は順調に決まったのですが、後々自分が務めることになる主務決めは初めは難航していました。というのも、それまで遠征時の配車やユニホームの発注等、様々な仕事をしてくれていた超絶有能な福島が主務をやると同期の誰もが思っていたのですが、まさかの本人がやりたくないということだったので、考えに考え抜いた末、自分が引き受けることになりました。
主務になってからの一年は正直めんどくさいこともあったし、初めのうちは引き受けたことを後悔したりもしたけど、いつもグラウンド外の見えないところでもサポートしてくれているマネージャーやコーチとして練習に来てくれる先輩のことを考えたら、弱音なんか言っていられないと面倒な仕事もこなせました。執行代の一年はチームを支える側に回ったことでソフトボールの技量以外のところでも成長した一年でした。

3年になってからは、ファーストの2枚目がいないということでそれまでのキャッチャーに加えファーストを兼任するようになりました。ファーストはこれまでの野球・ソフト人生で一度もやったことなかったポジションだったので連携に不安はあったけど青柳や板橋、竹地とコミュニケーション取りながらファーストの動きを一つずつ覚えていきました。
後輩達の代になって冬のオフ明け後からチームの選手層強化のためにライトへ3度目の転向をしました。
結果的に、サード→キャッチャー→ファースト→ライトとコンバートしていったわけですが、それだけに新しいことへの挑戦の連続であり自分の成長を実感することが多かったりと楽しいこともありました。正直、竹地みたいに一つのポジションを極めることに憧れはありましたが、自分は特別上手いポジションがあるわけでもなかったので、チーム状況に応じて必要とされているポジションを転々とするオールラウンダーとしてチームにバリューを残してきたと自分を肯定してあげています。

自分の4年間の振り返りはこのくらいにしておき、最後に今まで支えてくれた方に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
引退するにあたり今までのチームメイト、試合に応援に来てくれたりSNS等を通して応援してくださった方々、OBの方々、毎日朝早くから支えてくれた家族への感謝でいっぱいです。本当にありがとうございました。
特に先輩方には、いじりも含めグラウンド外でも食事や温泉に連れて行っていただくなど気にかけてもらうことが多く、たくさんの思い出ができました。本当に偉大な先輩ばかりで技術面で的確なアドバイスを頂いただけでなく、メンタル面に関してもたくさんの学びを日々の練習、ミーティングで得ることができました。

次に同期ですが、正直同期のみんなといる時が一番落ち着ける時間でした。色んなノリがあってたくさんふざけ合ったりするけど、相談した時は真剣に返してくれたりと大学生活の中で心の支えになりました。色んな理由で途中で辞めてしまった仲間もいるけど彼らも含めてみんなとソフトボールを通して関われたことは本当に嬉しく思います。

最後に後輩達には、同期が就活で一旦部を離れている間も一人残った自分を受け入れてくれたことに一番感謝しています。自分としては一人残った上級生として老害とならないように、それでいて必要な指摘はできるように気をつけていたつもりです。他の4年生よりみんなとソフトボールをしていた時間が長い分それだけお互いを理解することができたと勝手に思っています。みんなが練習や試合等で活躍する姿を引退後も楽しみに応援しています。がんばれ!

『全力』

若松琢磨

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