ひるおびの報道について音声学者として思うこと

5/28日追記:ある先生から咳のデータを見せて頂きました。論文の公開はできないとのことですが、咳における流量は発話における流量に比べて文字通り桁違いでした。また、音圧もこれまた桁違いでした。もちろん発話時の飛沫も大事ですが、咳の恐ろしさを実感する値でした。

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やはり我慢ができなくなり、動画を撮ってUPしました。でも、書いたのはこちらの記事が先です。


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5月21日ごろでしょうか、『ひるおび』という番組で、以下のような仮説が紹介されたようです。日本語で「これはペンです」と言った場合と、英語でThis is a penと言った場合だと、後者の方が飛沫が飛ぶので、それが欧州やアメリカでの完成拡大に繋がっているのではないか、という話しです。

川原は実際の番組を見ておらず、しかも、前後は切り取られているので、どのような文脈だったのか詳しく存知あげていないのですが、音声・言語の専門家としていくつか思うことがありましたので、まとめます。良い学びの機会だと思いまして。

まず、第一に英語の無声破裂音([p], [t], [k])は確かに帯気(aspiration)を伴うことがあります。特に強勢のある音節や語頭でその傾向が顕著です。川原の『ビジュアル音声学』でももと学生にデモしてもらいました。本物を見たい方はこちらからどうぞ。


http://user.keio.ac.jp/~kawahara/visPhon/phaphapapa.mov


このaspirationのために飛沫が飛んでしまう可能性はなくはないでしょう。この言語が感染拡大に関わっているかもしれないという資料は前々から存じておりました。


くだん番組もこれらの記事を参考に作られたのではと察します。しかし、上の記事・論文では決して「日本語が安全で、英語が危険な言語」という話しはされておりません。むしろ「対面で話すのを気をつけましょう」というのが記事のメッセージなので、ねじ曲げられている感があります。これが気になった点の一つです。

他に気になった点をいくつかあげます。川原は「言語と感染拡大が無関係だ」と主張しているわけではありませんが、「あのような安易な仮説検証(っぽいこと)は非常に非科学的であり、危険ですらある」と強く感じました。

1.まず、aspirationだけをやり玉に挙げるのは問題です。例えば、無声摩擦音([s]が典型ですが)では非常に強い息が口腔内から流れ出ます。もちろん、日本語は無声摩擦音を持ちます。せっかくなので、しっかりした音声学のデータをあげておきますね(Mielke, J. (2011) A phonetically based metric of sound similarity. Lingua 122: 145-163)。y軸の高いところに位置しているのは無声摩擦音です。

画像1

2.また、上の記事でも紹介されていますが、[i]の母音は舌が前にでて、さらに口も閉じ気味になるので、飛沫が飛びやすい可能性があります。日本語もこの母音を持ちますね。同じように、[θ](英語のthです)は舌が実際に口の外にでるので、これも飛沫をともなうでしょう。上の記事ではStay healthyと発音したとき、thの部分で最も多くの飛沫が観察されたと報告されています。しかも上の論文では有声音のほうが無声音よりも飛沫が多く確認されています。日本語はもちろん有声音を持ちます。

3.また、日本語も英語ほどはありませんが、aspirationを伴います。特に[k]ではそうですね。音声学の分野ではときどき"mildly aspirated"と表現します。音声学の研究者だと割と引用なしに常識的な情報として知られているレベルの話しです。

4.aspirationが感染拡大の原因なのであれば、aspirated soundsをもつ言語に同じ特徴が見られるはずです。例えば韓国語はaspirated stopsを持ちますが、アメリカに比べてコロナの状況は落ち着いているようです。

5.また欧州の言語の全てaspirationを持つわけではありません。細かい資料は調べないとでてきませんが、フランス語などはaspirationを伴わなかったと思います。ロシア語・イタリア語もおそらく同じだったと思います。(欧州・アメリカ=英語ではありません!!)

6. 上の論文でも述べられていますが、例えば発する声の大きさなどでも飛沫量は変わります。音の種類だけ(しかも、1種類)を取り上げて結論づけるのは早計と言わざるを得ないでしょう。

7.また会話のときにどれだけ話者と向き合うか、というような要因も強く関わるでしょう。

まとめると、「aspiration=感染拡大」という相関関係(因果関係)にたどり着くにはまだまだ証拠は足りないし、疑う余地も大きいということです。もちろん、正しい可能性も残っています。しかし、科学的な仮説としての検証プロセスはまだまだだと言わなければならないでしょう。本当に検証するのであれば、多くの言語でどのような音がどれだけの頻度で使われていて、それぞれの音の飛沫の特徴量を調べ、感染拡大レベルに対して重回帰分析を行うべきでしょう。そこに発声する音の強さや、どれだけお互いの顔を見ながら話すかというような要因も同じモデルに組み込む必要があります。

さらに多くの人が気になったようですが、あの番組で紹介された「実験」もよろしくないです。

1.まず、日本語と英語の違いが不自然に強調されている。

2.実験に参加されている方は英語のnative speakerではない。(逆の立場で、日本語がコロナの拡大に関わっているという番組があって、そのデモが正しい日本語でなかったら我々はどう感じるでしょうか?)

3.日本語話者 vs. 英語話者という違いを論じているはずが、同じ話者の方が二つの発音をしている。

4.一つの文を発音しただけで、言語間の違いが分かると思われては困る。

(出演された方を非難しているわけでありません。彼女は頼まれただけでしょうから)

ワイドショーに科学的な厳密性を持ち込むなと言われればそれまでですが、「なんとか大学のなんとか先生がこう言ってる」と言われてしまえば、信じてしまう人もいるでしょうから、やはり科学的であるか(その仮説が真実であるか本当に検証しているのか)という視点は大事でしょう。


最後に、あの番組の一番良くなかった点について述べたいと思います。あの内容は、ともすれば「言語的な差別」に繋がる可能性があるということです。「英語はコロナに対して危険な言語だ」という印象を与えかねないわけです。人間が言語に対して、感情的な気持ちを抱くことはよく知られています。「フランス語は美しい」「日本語は非論理的だ」「ずーずー弁は汚らしい」。これらは全て言語学的には非科学的な言明ですが、このような気持ちを抱く人がいることは事実です。

日本に住んでらっしゃる英語話者の方が、あのような非科学的な番組で傷つくことがあったら、私はとても悲しいです。

最後は、ポジティブに終わりたいと思います。この件でも痛感しましたが、ようは音声学という学問が世に知られてないからこういう話しがまかり通ってしまうのでしょう。その意味で、音声学・言語学をしっかりと世に伝えることは、決して無意味ではない。そんな教訓を胸に、川原はしばらく活動を続けたいと思います。






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