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出会いに感謝! 小林優介(経4・慶應)

こんばんは。

今年恐らく最も長い時間を共に過ごした同期であろう金光からバトンを引き継ぎました、経済学部4年小林優介です。2023年度主将を務めておりました。彼のブログに僕がかなり美化されて書かれていたように思いますが、多くの人の名前と感謝が綴られた、彼らしいブログでした。時折話すとチームのことや部員に対しての考え方が似ているな、と感じることが多く、金光が副将になってくれて本当に良かったと思っています。

さて、私は引退ブログを読むのが好きで、毎年気付いたら他部の名前も知らない先輩のブログまで読んでいることもしばしばでしたが、遂に自分が執筆する番が回ってきてしまいました。文章を書くことも好きでそれなりの文量になってしまったので、興味が沸いた部分だけかいつまんででも読んでいただければ嬉しいです。



〇野球人生を振り返る

はじめに、私の野球人生について記したいと思います。完全な自分語りになってしまうので割愛することも考えましたが、数々の引退ブログを読んできてこの項目を読むのが一番面白かったので、各ステージで一緒に野球をしたチームメイトに向けて、この項目を書きます。「あの時あんな気持ちでやってたんだ~」ぐらいに思ってください。

【少年野球】
2009年、イチローが林昌勇から決勝タイムリーを放ったWBC決勝戦をテレビで見ていた小林少年は野球に目覚めます。父親を毎週キャッチボールに駆り出し、夜はテレビでプロ野球観戦。そんな様子を聞きつけたクラスメートの母親に誘われ、地元の少年野球クラブに入団します。余談ながら、野球を始めた当初は両打ちに憧れ、人生初ヒットは左打席で打ったことを覚えています。しかし当時練習でバッピを務めてくれていたコーチが左打者には死球を連発してしまうため、恐怖心から左打ちを辞めてしまいました。もったいなかったなぁ、と思いますが、今なら近距離スローの難しさがわかります。ひっかけるんですよね。(笑)

こうして野球熱に燃えていた小林少年ですが、少年野球時代は野球を楽しいと思った記憶がありません。監督は怖いし、遠征に行くまでの車で100%酔うし、非力で打球も飛ばない、、怒鳴られていた記憶しかありません。それでも、守備をコーチに褒められた時や、鬼監督にヒットを褒められた時は嬉しかったですし、なんだかんだ野球が好きな気持ちは増していったんだと思います。

【中学】
中学受験を経て慶應義塾中等部の野球部に入部した私は、そこで廣田(経4・慶應)と出会います。3年生の1年間一二塁間を組んでいたのですが、大学に入ってもう一度一二塁間を組めるとは思っていませんでした。さて、中等部での3年間、最も成長したのは心肺機能だったと確信をもって言えます。冬場の2時間弱の練習でも最後の30分をラントレに費やす、そんなオカシナ環境のお陰で今でも遅刻寸前の時は助かっています。


【高校】
中学受験の理由も“塾高で野球がしたい”だった私は、塾高入学後迷うことなく野球部に入部します。入学式のその日からグラウンドに集められた新入生を待っていたのは、かの名高い『新人トレ』ですが、中学時代ラントレに明け暮れた私にとっては、その期間よりもグラウンドに入れるようになった後の方が苦しかったと記憶しています。今まで経験したことのない速さのレギュラー陣の打球、コーチに怒られ続けるケースノック…。はじめの半年は練習についていくので精一杯でした。2軍戦にすら連れて行ってもらえず、苦しい思いをした期間もありましたが、なんとか出場機会を得て、1軍と2軍を行ったり来たりする程度の選手にはなれました。苦しいながらも現状を分析し自分を高めていく日々は非常に充実したものでしたが、3年生の4月、私の野球人生に転機が訪れます。

「新人監督になってくれないか」

今や時の人である森林貴彦監督から、ある日の練習後告げられた一言。塾高野球部の新入生は、入部後しばらく先述の『新人トレ』と呼ばれる期間を過ごすのですが、その教育係である新人監督に就いて欲しい、という打診でした。私にとっては引退勧告ですから、嬉しいはずはないのですが、選手を続けるよりこの役職の方がチームに貢献できるかもしれないと考えたのも事実です。

それまでは自分が上手くなることばかりを考え、チーム全体について考えたことが野球人生を通じてほとんどありませんでした(2軍でキャプテンを務めた時期がありましたが、2軍をまとめたいなんて思いはなく、ただ自分の評価に繋げて1軍に上がりやすくするための行動でした。思わぬ方向に評価を上げ新人監督指名の伏線となったわけです)が、1年生のことだけを考える3か月間を過ごしたことで、組織を考える視点が芽生えました。この経験を活かして、組織について考え自分の手で変えていきたいという思いが、大学で軟式野球部を選んだ大きな理由の一つです。

ちなみに、高校時代3年間を通して私は部を辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。それは、同期と過ごす時間が何よりも楽しかったからです。どんなに練習が辛くても、「学校に行けば、グラウンドに行けばみんなと会える」という気持ちが、毎日私をグラウンドへと向かわせたのです。最近、母親に「あなた高校時代本当に家で笑顔なかったわよ」と言われたのですが、それは部室で死ぬほど笑っていたからだと思います。


【大学】
皆さんご存知の通り、私は大学で軟式野球部を選択しました。それは先述の通り、組織運営を自分の手でやってみたいという思いがあったからです。入部時のブログに書いた気がしますが、入学時には体育会昇格後間もなかった軟式野球部を私が4年間でどこまで組織として成長させられるか、それに挑戦出来たら大学で部活動をする意味があるんじゃないか、と考えました。同時に、一野球選手としてある日突然絶たれた高校野球人生に未練があったことは否めません。試合出場に飢えていた選手・小林の視点からもこの部の少人数な環境は魅力的でした。

2つの理由から、そこまで悩まずに軟式野球部への入部を決めましたが、入部してみて戸惑ったことは、何より専用のグラウンドが無いことでした。近くの(全然近くない)貸倉庫を往復して荷物を運ぶ日々。倉庫にインキーをした日は先輩に土下座をして荷物を持ち帰ってもらったり…そんなこともありました。ありがたいことに1年生の秋季リーグ戦からベンチ入りさせて頂き、少しばかりの出場機会も頂きました。人生で初めて公式戦に代打で出場した時には打席内で足が震えたことを覚えています。当時の4年生の先輩方とはコロナもあり3か月程度しか一緒に活動できませんでしたが、試合中いつも明るく、うるさすぎるほど声を出し、それでいて強い、私が今年チームを作る上で常にお手本にしていた世代でした。

2年生の春季リーグ戦はレギュラーとして迎えた初めてのリーグ戦でした。当時私はサードを守っていたのですが、初戦から4戦連続エラー。味方の挽回で何とか勝てていたから良かったものの、チームの勝敗を背負う立場の辛さを目の当たりにしました。それでも自分が試合に出ながらチームが勝つ、という2つの喜びを同時に達成した経験が中高では乏しかったため、毎試合幸せに思いながら試合に出ていました。※法政のWエースからうっかり痛打を連発してしまい、夏の新人戦ではHRまで打ったことで法政大学に数人のファンを獲得したのもこの頃です。おかげで以降のリーグ戦も楽しく戦えました。ありがとう。

8月には結局最初で最後となってしまいましたが、全日本大会に出場しました。1番で起用されながら4試合でヒット2本はあまりにも酷かったと思いますが、灼熱のオリスタは生涯忘れることのない記憶です。

3年生からは幹部としてチーム内外に責任ある立場を全うしました。あれこれと改革に取り組みましたし、多くの行事で発言もしました。選手としても、室内練習場にジムに治療に大課金をして高みを目指し続けました。結果としていくつかタイトルを取ることができましたが、2年間リーグ優勝は叶わず、全日本への出場も果たせませんでした。幹部として過ごした2年間は苦しかった思い出の方が多いかもしれません。

この頃から、後輩の育成にも力を注ぎ始めます。そしてこれこそが、私がこの部を選んだ最大の意義だったと気付かされます。様々な球歴の仲間が集うのが大学軟式野球の特徴です。強豪校の硬式野球部出身者から高校野球未経験者まで、色々なバックグラウンドを持つ選手がいますが、共通しているのはみんな野球人生のどこかで挫折している、“ヘタクソ”だということです。ヘタクソだからこそ、少しでも全員が上手くなれるようにメニューを考え、時には直接教えあう。こうしてチームが強くなったり、選手の上達を目の当たりにすると、これほど嬉しいことはありません。選手を4年間続けながらこの感情を抱くことは、軟式野球部以外の環境では不可能だったように思います。


〇お世話になった皆様へ

ここからは、4年間お世話になった方々にメッセージを送ります。メッセージなので、表記や一人称の揺れにはご容赦いただけると幸いです。


・三田軟式野球倶楽部の皆様

いつも現役部員の活動を温かく見守って頂きありがとうございます。幹部となって皆様と交流する機会が増え、多くの見えないところで先輩の皆様が現役部員のために動いてくださっていたことを知りました。今後ともよろしくお願いいたします。


・応援指導部の皆さん

大好きな慶應のチャンスパターンが流れる中打席に立てて幸せでした。意外かもしれませんが、僕は守備の時にアウトを取った後「いいぞ~いいぞ~優介!」ってコールされるのが一番うれしかったです。何度も何度もアクセスの悪い球場まで足を運んでいただきありがとうございました。


・小林優太さん(令和3年卒)の代の先輩方

3つ上の明るい皆さんの代は私の憧れでした。合宿にも毎年顔を出していただき、お世話になりました。リーグ優勝を繋ぐことができず悔しいですが、今後の後輩たちに託します。


・三鍋さん(令和4年卒)の代の先輩方

2つ上の皆さんと僕たちの代は公私ともに仲良くさせて頂いた記憶があります。試合出始めの頃、エラーを連発していた僕を慰めてくれた窪田さん、内藤さんの優しさはとてもありがたかったです。そして伊豆での納会、一番楽しかったです。


・伊藤翼さん(令和5年卒)の代の先輩方

友達!同期のように接していましたが、本当にほぼ同期だと思っています。ていうか半分くらい同学年ですし!ドラゴンズファンが今年で途絶えてしまうのは大悲報ですが、いつかバンテリンドーム行きましょう。


・高校時代の同期

他の部にいるみんながいつも刺激になってたよ。活躍すると連絡してくれるのも嬉しかったし、みんなが活躍するのも誇らしかった。ありがとう!


・1年生

引退してから練習に行くたびに人数が増えてて、活気があって嬉しいです。実力も伸びしろも兼ね備えた代だと思うから、来年みんなの代がどこまで活躍するか楽しみです。下級生が強いチームは強いよ!


・2年生

2・3年生には個別にメッセージを送ります(1年生ごめん…)。新歓を担当した代だったけど、人数が少なくなっちゃって本当に申し訳ない。ただ、人数は少なくてもキャラは強い代だと思うから、上手く先輩・後輩を頼って強いチームを作ってください!

佐久間

人懐っこくて先輩の懐に上手いこと入ってくるやつ。米沢でしたロンティー大会は楽しかった。来年は増量して行くから、スタンドイン連発しような。身体には気を付けて頑張ってくれ!

戸嶋

こいつもまた人懐っこくてかわいい後輩。2年生ながらMTGで発言してくれるその姿勢はとてもありがたかった。結果も出していたのに中々報いてあげられずごめん。部内での立場も上がっていくだろうし、授業も大変だと思うけど、頑張ってほしい。教員免許取得の夢は君に託した!

村上

ちょっと最近筋肉量落ちてきてると思うから、冬場にガシガシ鍛えて増量して欲しい。時々フリーで放つ強烈な飛球にポテンシャルを感じてます。ガチムチの代打出てきたら、サードは震え上がるよ。頑張れ!

斎藤

部のTwitterに“ポメラニアンステーキ”という怪アカウントからDMが届いた日の衝撃は忘れられません。中身がこんな好青年だとも思わなかったよ。ポメの成長は俺の部でのやりがいだった。もっともっと上手くなれるぞ、頑張れ!

石川

るなちゃんからもらう手紙、とても嬉しい。学業にもやりたいことをもって取り組んでいる姿、素晴らしいと思う。アフリカ興味あるので今度機会があったら話聞かせて。部活にも学業にも全力で駆け抜けてほしい!


・3年生

伊藤

いつも後ろから圧をかけてしまい申し訳なかったが、真夏の中央大はほんとに死ぬかと思ったぞ。高めの真っすぐの良さを殺すことなく、他のところをレベルアップして欲しい。伊藤が強い気持ちをもって野球をしていることは気付いていたよ。最上級生は、それを周りに伝播するのも役目だからな。ぜひ慶應投手陣を引っ張っていって欲しい。

中条

連盟委員長おつかれさま。投手としてのポテンシャルは示しているように思うから、もうひと段階レベルアップして、リーグ戦での登板機会を増やしてほしい。練習の休みすぎには注意だぞ。

松尾

投手だったり内野手だったり投手だったりした松尾。夏合宿では打てるコースにボールが来なくて成長を感じたよ。今秋のリーグ戦は投手としての居場所を見つけた期間だったと思う。あとは最上級生として周囲と会話することも意識して。頑張れ!

桃原

ついに140km/h、おめでとう。ただ球速を気にしてすぐガン見る癖は直した方が良いぞ。でも、もっと自己中に、オレがオレがでやっていいと思う。自分でメニューを考えて取り組む姿は目を見張るものがあるから、後輩にも引き継いでいって欲しい。桃原の名が全国に知れ渡る日を心待ちにしているよ。

柿崎

主将、頑張ってくれ。下級生の頃から出ていたわけではないと自分で言っていたけど、その立場のかっきーだからこそ気付けることもあると思う。前の世代にとらわれる必要はないから、自分たちの色を前面に押し出してって欲しい。援部との関係性の維持も重要課題だよ!

濱田

不真面目そうに見えて実は練習参加率トップクラス。練習を引っ張っていくにはそういう存在が必要だ。内野手でも中心的存在として内野陣作り上げて欲しい。あと、マネージャーは大切に。

前田

苦しい場面で打開の一打を打ってくれたイメージがある。濟々黌でしごかれた反動からか大学ではずっとゆるゆるだけど、来年は一回くらい前田が闘志を見せたプレーをしてるところが見たいよねえ。あと前田の手料理食べたいので、今度家行かせて。

河合

塾高時代からの後輩が中心選手として活躍してくれたらとても嬉しい。時々悩みすぎてバッティング見失ってるように見える時があるけど、そんな時はとにかくシンプルに、を意識して欲しい。

佐藤

無限に高校時代のどん兵衛事件こすってくるけど俺は絶対に認めないからな。まあ部を選んだ理由の一つに僕の存在があったらしいので、ちょっと嬉しく思う。来年はHR3本打っての本塁打王、見たいな。それと、南部横浜の民としてもっと魅力を発信していって欲しい。打倒都筑区・港北区!

竹松

ヒロトと張り合えるレベルでおしゃべりだと思う。でも何回か練習に行って、学生コーチとしてその饒舌なところは素晴らしい武器だと思った。これからもみんなに向けて発信し続けて欲しい。選手としても、2年間誰よりも悔しさを味わってきたと思う。来年はさらなる活躍を期待しているよ!

増池

勉強面が心配だが、なんとか一年間学生ヘッドの役割を全うして欲しい。選手としてもやり切りたい思いが強いと思うから、苦しいとは思うけど厳しさを持って、ブレずに頑張ってほしい。打撃も期待しています。

加古

1つ上の代にマネがいなかったにもかかわらず入部してくれて本当にありがとう。全国に連れていけなくてごめん。主務になって、ストレスも溜まりやすくなると思うから、定期的に発散してね。


・同期

個別にメッセージを送りたかったけど、あまりに長くなってきたのでやめます。

みんな4年間ありがとう。内部生ばかりで気持ち悪い代ではあるんだけど(笑)、コロナ禍の入部なのに12人も同期ができてうれしかったです。マジで最強世代だと思ってたので、自分たちの代で勝てなかったことが悔しくてたまらないけど、まあそこも俺らなんだよな。今後の人生に活かそう。これからもよろしく!


・家族

このブログを見ているかわかりませんが10年以上の野球人生を支えてくれた家族にも感謝したいと思います。小学校の頃は車を出してくれたり、高校時代は朝から6個も7個もおにぎりを作ってくれて、夜何時になってもご飯を用意してくれたり、上のレベルに行けるわけでもないのに大学まで野球をやらせてくれて本当にありがとう。ボロクソに言いあいながら喧嘩をする両親に育てられたおかげでメンタルはそこそこ強く育ったと思います。これから少しずつ恩返ししていきます。


〇大切にしていたことと気付き

最後の項目として、私が部活動を通して大切にしていたことや気付きを記したいと思います。主に後輩に向けてのメッセージですが、私の脳内を頑張って言語化しましたので、多くの方に共感いただけるのではないかと思います。

・視野は広く、アンテナは高く

これは私が高校以降、部活をする上で一番と言っていいほど大切にしてきたことです。

グラウンド内ではアンテナを高く張って、様々な機微を敏感に感じ取り、その問題は一人で解決できるのか、できないなら自分はどう動けばいいのか考える。いや考えるだけでは不十分で、感じ取ったことを根拠に行動に移す。後輩たちにはここまでできる選手・マネージャーであってほしいと思います。野球が上手い人間ほど、色々なことによく気付きます。

「グラウンド内」と書いたのは部活に関係する部分、という意味です。練習中、プレーの違いを感じ取るのは言うまでもありませんが、技術だけではなく、チーム内の「役割」についても同じです。というか、むしろこっちの方が部活動という観点では重要です。アンテナを張り巡らせておけば、誰だって何かしら部に足りてない部分・部の役に立つ役割を見つけられるはずです。秋葉(法4・慶應)のように学年の壁を乗り越え部員全員と仲良くなるのも役割だったと言えると思います。まあ彼の場合は後輩の恋愛事情を根掘り葉掘り聞くのが趣味だっただけかもしれませんが。(笑)

春の早慶戦後のミーティングでした「他人に興味を持とう」という発言はこういった意図を含んだメッセージでした。淡々と毎日練習をするのではなく、どの役割を担ったら試合に出られるのか、チームには何が足りていないのか、そういった視点を常に持ち続けて活動すれば、4年間はより実り多きものになるはずです。

・自分の影響力はたかが知れている

これは4年間で得た大きな気付きです。4年間チームをよくしようとあれこれ取り組みましたが、自分ひとりで変えられる範囲など微々たるものです。そして、組織には自分とは強みを異にした同輩が沢山います。周囲を巻き込んで、相談して、頼って、はじめて組織単位で少し変化が生まれるのだと知りました。

・練習ハ不可能ヲ可能ニス

高校時代はグラウンドの色々な個所に貼られていたけど無視していたこの言葉。大学3年生の頃ふとこの言葉の凄さに気付きました。凄い言葉じゃないですか?できなかったことも練習し続ければできるようになるんです。何を当たり前のことをと思われるでしょうが、逆に言えば練習する以外、できるようになる方法は無いんです。私は練習信者なので試合に勝つには、メンタル云々は関係なく練習するしかないと信じています。高校野球とは違い、飲み会、バイトなどなど、様々な誘惑の多い大学生活です。何とかして練習量を確保することが、大学生活を部活動に捧げる上で大切なのだと思っています。

・出会いを大切に

私の人生は本当に出会う人の運に恵まれています。それは、あまり狭い世界に閉じこもらないように、様々な出会いを大切にしているという側面もあってのことかもしれません。後輩のみんなも部という狭い世界に閉じこもることなく、扉を開けてみてください。意外な出会いがあるかも!?

大学4年間の全ての出会いに感謝!本当にありがとうございました!!!

私の卒業ブログは以上になります。壮大な自分語りにお付き合いいただきありがとうございました。次回は学生コーチと選手を兼任していた内野健太(法4・慶應)です。彼は令和には珍しくアツくなれるタイプの人間で、衝突したこともありましたが、その不器用さもまた魅力なのです。自他ともに認める秀才である内野くんが何を語るのか、お楽しみに!












































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