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初志貫徹 内野健太(法4・慶應)

ブログをご覧の皆様、こんにちは。

主将を務めていた小林より紹介されました内野健太です。

小林とは高校からのチームメイトです。高1の北海道合宿で同部屋だったり、初めて行った東海遠征では2人で味噌カツを食べに行ったりと遠出した先で何かと縁があった思い出があります。他にも序列外部隊からメンバー入りを目指し、一緒のタイミングでベンチ入りを果たして試合に出たことなど思い出を挙げるときりがありません。高校の頃から練習を工夫し、遅くまで残って独自のティーバッティングなどをしていた彼を僕は本当に尊敬しています。

だからこそ、大学でも一緒に野球をできて本当に嬉しかったです。

3年春の本塁打王、4年春の打点王のタイトルといった目に見える結果を残すだけでなくて、自分が苦しい時もチーム引っ張り続けた彼は正真正銘のキャプテンだったと思います。

12月頭にあった秋季納会で中村監督が「小林は2年夏の全国大会が全盛期だった」といじっていたのを僕は許していません。

振り返ると、軟式野球生活は一瞬で終わってしまったような感覚です。つい最近入部したと思っていたのにもう引退して2カ月が経ってしまいました。今は午前中に練習がなくてどこか物足りない生活を送っています。

引退ブログですが、ホームスチール(部内機関誌)に「思い出については引退ブログに書く予定です」と書いていたので、ここではまず入部の経緯をざっくり説明した後に軟式野球部での3年間で心に残った試合を学年別に書いていこうと思います。


入部の経緯

僕は大学2年の6月というかなり遅れた時期にこの軟式野球部に入部しました。これには様々な理由があります。もともといたリコタイの硬式野球部がコロナ禍で思うような活動ができなかったこと、軟式野球部でなら中高で一緒に野球をしたメンバーとまた野球ができると思ったことが大きなきっかけで入部を決めました。


2年生

・春季阿久沢杯 法政大学戦〇10-4 立教大学戦●4-5

入部の2カ月後の新人戦で初めて試合に出場しました。

高校3年生以来の久々の試合に出られることへの喜びや、中高で一緒に野球をしていたメンバーと一緒に試合をしている懐かしさなどがあって野球の楽しさを再認識しました。軟式野球部に入って良かったと強く実感する2試合でした。

法政戦で優介の先頭打者ホームランを見て痺れた記憶、どの球種を要求しても構えたところにボールが来て、打たれる気配が全くなかった桃原の投球を受けて驚いた記憶は今でも忘れることができません。

一方の僕は、キャッチャーからの2塁送球はおろか、ピッチャーへの返球もままならず、実力不足を実感しました。

当時は軟球に慣れていけば送球は安定するものと思っており、この送球難がずっと自分について回るものとは思っていませんでした。

チームも決勝で立教大学に1点差で敗れ、準優勝に終わりました。あの新人戦が優勝に一番近かったのではないかと思います。

これは決勝戦の守備タイム中の写真です。今見ると新鮮なポジションを守る内野陣が懐かしくてお気に入りです。


3年生

・春季リーグ第10戦 東京大学戦●0-9

3年生になると、試合終盤の守備や代打でリーグ戦に出場できるようになりました。

そして、順位が確定して迎えたこの試合では初めてスタメンとして出場することができました。

田村とバッテリーを組んで6回までを完璧に抑えることができ、久々にキャッチャーというポジションを楽しいと思えた試合でした。

一方で、7回から登板した伊藤を上手くリードすることができず、東大打線の猛攻を受けて最終的には監督をしていたはせけんさんがマウンドに立つ事態にまでなってしまいました。その回は打者13人、満塁ホームランでの4点を含む9点を失い、結局その試合にも敗れてしまいました。

初スタメンとして意気込んで臨んだ試合にもかかわらず、ピッチャーが苦しんでいる場面で力になれなかったことを反省し、以降はバッテリー間でのコミュニケーションを増やしていかなければいけないと痛感しました。

春季の納会で長塚会長に「1イニングに9点ってのは、どうやったら取られるんだ?」と言われたことと併せて、非常に印象に残っています。


4年生

・秋季リーグ第10戦 東京大学戦〇2-1

自分たちの代にとって最後の公式戦でした。

少ないチャンスをものにし、失点を最小限に抑えて勝つことができ、後輩たちに少しでも我々のやりたかった野球を見せることができたのではないかと思っています。

それまでの僕はずっと能力や状況を不安に思いながらプレーしていましたが、この試合では人生で初めて自信を持って野球をできている感覚がありました。感覚をつかむにしては遅すぎていましたが、これは学生最後の試合を悔いの残らないようにやり切ろうという気持ちがそうさせたのだろうと思っています。

最後のアウトを取って勝利が決まった瞬間に優勝できなかった悔しさがこみ上げてきました。11月まで一緒に野球をしたかったし、それを実現できるだけの力を持ったメンバーが揃っていたことを確信した試合でした。

これは最後の守備のタイムの時の写真です。新人戦と比べると背番号が変わっていたり、ポジションが変わっていたりで面白いです。

ここで挙げた以外にも挙げればきりがないほど印象に残った試合や練習、練習の場面があります。そしてそのすべてが僕にとってのかけがえのない財産になりました。

最終学年では学生コーチを兼任したこともあり、辛いことも多く経験しましたが、軟式野球部での3年間は本当に充実していました。

軟式野球部に関わってくださった皆様、ありがとうございました。



部員のみんなに伝えたいこと

伝えたいのは全員がチームに対して当事者意識を持って活動に取り組んでほしいということです。

軟式野球部は学生主体の団体です。決して厳しい環境とはいえないため、自分で考えず受け身でただ練習をこなし、惰性で部活を続けることは難しいことではないでしょう。しかし、あるべき学生主体の姿とはそうではないと思っています。

チームにとってプラスになると思うこと、必要だと思うことを一人ひとりが考えて、必要な時に必要な行動を取れる人が集まったチームであってほしいです。それが試合で実力+αの力を発揮できるチームだと僕は思っています。

何を偉そうにと思うかもしれませんが、言い残した最後の言葉なので許してください。

もちろんリーグ戦や全国大会での活躍を祈っています。応援にも行くつもりです。

また、どうやら我々の代までは塾長招待会に5年連続で参加していたようです。今年は早稲田に2連勝することができず招待されなかったため、歴史を潰えさせてしまいましたが、また来年から新たな歴史を作っていってほしいです。

書く内容を削りながら書いてきたにもかかわらず、想定していたよりもかなり長くなってしまいました。僕のブログはこの辺りで終わろうと思います。

さて、ここまで11人つづいた引退ブログもついに次回が最終回です。次回のブログは学生監督を務めていた小川が担当します。

多くを語らない彼がどれだけのことを書いてくれるのか、僕自身もとても楽しみにしています。ぜひご覧ください。

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