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走姿顕心 金光功誠(商4・修猷館)

こんにちは、最近幸せオーラと男の余裕が溢れる三宅(法4)より紹介にあずかりました。商学部4年金光功誠です。1年生の頃に初めて書いたブログがつい最近のように思い出されます。4年間とはあっという間ですね。

と言いつつも非常に充実した4年間をこの軟式野球部で過ごさせていただきました。そんな4年間を振り返りながらこのブログを綴りたいと思います。

1年生

絶賛コロナ禍だった2020年。単身上京し塾生となった私は部活選びに悩んでいました。そんな中でも軟式野球部を選んだ決め手は、體育會でありながら堅すぎない雰囲気に惹かれたことでした。

体験練習の際、当時新歓担当だった早船さん(2022卒)と握手を交わし、「これから頑張ろう、ぜひ下級生のうちから活躍してくれ」という言葉を頂いたことを鮮明に覚えています。そのような温かい上級生にも恵まれ、安心して入部を決意しました。

テレビで見ていたKEIOユニフォームに自分が袖を通すことになるとは、福岡に居た18年間では想像もしておらず、これからの4年間に心を躍らせていました。

早船さんからのお言葉通り、1年生の頃から試合に出場させていただきました。入部後すぐに投手へ転向し、2か月後にリーグ戦で先発し、あれよあれよという間に六大学デビューを果たしていました。デビュー戦は2打席連続被弾を含む3回途中KOと派手に散ってしまいましたが、今となっては良き思い出です。

このKOでリーグ戦出場機会は減るだろうと覚悟した数週間後、第4戦の東大戦にて再び先発を任され、念願の初勝利をつかみとりました。我慢して使って頂いた柳さん(2021卒)と金井さん(2021卒)に感謝です。

この年にリーグ優勝を経験し、慶應は強いものだと思い込んでしまうことが後の苦労につながりました。最終戦後の健人さん(2021卒)のコメントで、「君らが思っているほど優勝は簡単じゃない」という言葉が今になってとても沁みます。当時の4年生の方々の実力と組織力をもってしての優勝だったのだと、後々気づかされました…笑

そんながむしゃらに駆け抜けた1年目でした。

 2年生

偉大な先輩方が抜け、自身もチームの中心となりつつあった2年時には全国大会出場を果たしました。私はと言うと、廣瀬さんの後を任されていましたが、そこにはとてつもなく高い壁を感じていました。

全国予選の決勝でも廣瀬さんが完投し、私は登板できず全国出場を決めて嬉しい反面どこか羨ましさや悔しさがありました。それでも、予選の2回戦で田村(経4)と共に完封リレーをできたことは良い思い出です。

 迎えた全国大会。期間中それはそれは楽しく、16年間の野球人生の中でも最高に興奮していました。そんな楽しさから一変、準決勝では途中から記憶がございません。

唯一覚えていることは、サードを守っていた優介(経4)が精神崩壊間近の私を懸命に励ましていたこと、雅也さん(2022卒)が選手として最後の打席を迎えることになったことでした。何があったのかは一球速報で調べてもらえれば、と思います。

そんな光と影を経験した2年目でした。


 3年生

一つ上の翼さん(2023卒)の代が少数精鋭だったこともあり、3年時から我々の代だという認識を持っていました。この年に勝てなければ来年も勝てないだろうという覚悟と緊張感を持ちながら練習していましたが、この年はこれまでの3年間で最も苦労しました。

田村の成長を近くで見ながら、自身の成長を感じられない日々に悩み続けていました。そのうえ春リーグ直前の日体との練習試合中に腰を怪我し、踏んだり蹴ったりのスタートでした。

けがの治療中、優介に新しい整骨院を紹介され、トレーナーの下で投球技術向上に努めましたが、結果が出たのはまさかの打撃の方でした。

春季リーグ明治戦にて、リーグ屈指の左腕天内君のインハイ真っすぐを左翼へ放ったホームランは、大学野球生活で全国大会に次ぐ2番目に良い思い出です(笑)。ホームランなんて打ちなれていませんから、ダイヤモンドを足早に駆け回ってしまい、堂々と拳を突き上げる写真が残ってないのが心残りです。。。

秋リーグも力になれないまま開幕5連敗を経験し、大好きだった当時の4年生との1年間はあっという間に終わっていました。

そんな悩みと苦しみの3年目でした。

 4年生

最終年、自身2度目のポジション変更を経験しました。入学時の希望ポジションであるショートに帰ったのです。投手も様々な思い出があるポジションですが、小学生から守ってきたショートはそれ以上に思い入れがありました。

当初、内野(法4)と小川(法4)には、4年からのコンバートでショートなんて出来ないと伝えていたのですが、思いのほか”金光ショート”の構想があったようで、自然とショートに就任しました。

実に3年ぶりの守備練習から始まり、投手時代は力を入れていなかった打撃も特訓しました。リーグ戦でミスをしたくない、とか、田村・一ノ瀬(経4)・桃原(経3)に迷惑をかけたくない、とか、これまでショートを守っていた優介に恥ずかしいプレーを見せられない、などのどちらかというとマイナス感情で掛川合宿での練習に打ち込みました。

そのおかげもあり守備はある程度固まったうえに、小川が招聘した4スタンス理論のコーチの指導により打撃が覚醒し、春はベストナインを獲得できました。

入部当初からよくしてもらっていた翼さんに頂いたグラブで受賞できたこと、復帰した廣田(経4)と二遊間で受賞できたことなど、いろんな思いのこもったベストナインでした。

引退の決まっていた最終戦、ウイニングボールがセンターを守る小川のグラブに収まった瞬間には自然と涙がこぼれていました。

優勝したわけではありませんが、これまでの4年間の苦労が少しだけ報われた気がしました。7度のリーグ戦を戦い抜いた小野路球場に見守られながら、これが俺の4年間だったんだといろいろな思い出を噛みしめていました。

そんな責任と安堵の4年目でした。

このような良き思いをさせてくれたのも私を支えてくれる人々のおかげでした。遠くで見守り自身の選択を尊重してくれた家族、いつも近くで元気と笑いをくれた同期の皆、同期に外部生の少ない環境を心配してくださった先輩方、新たな刺激をくれつつも慕ってくれる後輩の皆、本当にありがとうございました。

小さい頃から続けた学生野球をこの部活で締め括られて本当に幸せ者だと思います。この部活を通じて出会えた人とまだまだ思い出を語り合いたいので、これからも仲良くしてください!


最後までお付き合いいただきありがとうございました。もはや作文みたいになってしまいましたが、私の4年間を記すことができて満足しています。

次回のブログは、今年度主将を務めた小林優介が担当します。上達のためなら努力を惜しまない優介に影響を受け一緒に室内練習場や整骨院に行ったり、練習ではほぼ毎日ティーを共にしたりと切磋琢磨した日々は私を成長させてくれました。我々の代を下級生の頃から常に引っ張ってくれたキャプテン優介が最後に何を語るのかぜひ注目してください。

では!!







































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