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こんにちは。
丸山から引継ぎました、3年の上原です。

前回noteを書いたのが、昨年の11月なので約8ヶ月ぶりとなります。
ご存知の方も多いと思いますが、この8ヶ月の間に、私は選手からマネージャーへと転身しました。

マネージャーになった理由や経緯は何なのか、それは昨年12月頃まで遡ります。

昨年12月末に行われた法政大学記録会の前に、マネージャーをやらないかとの提案をいただきました。もちろん強制ではなく、断っても全く問題無いという前提のもと、僕の一存に任せる形でした。

当時の心境として、「マネージャーではなく選手でやりたい」という気持ちと、「自分の競技力でこの提案を断ることはおこがましい」という二つの想いが拮抗していました。
そのため、その場で断ることも出来ましたが、その選択肢は僕の頭の中にはありませんでした。

そして、この葛藤の中出した答えが、「12月末の法政大学記録会5000mで14分台をだせなかったら、マネージャーに転向する」です。
大学で陸上を続ける上で、5000m14分台というのは最低限の競技力であると考えていました。また、リミットを来春ではなく12月末に定めた理由として、客観的に見ても、14分台を出せる練習を当時積めていたことや、区切りを付けるタイミングとして適切であるといった理由が挙げられます。

自分は、自己に関する今後を左右するような決断や悩み事でさえも、良くも悪くも自分だけで直ぐに消化できてしまうので、上の提案を頂いた翌日の朝練習には、この答えを自分の口で伝えにいきました。

法政大学記録会

結果的に、このブログを書いている事からも分かる通り、昨年末の法政大学記録会では14分台を出すことはできず、自己ベスト更新ともなりませんでした。

おぼろげな記憶ですが、レース後は形容しがたい感情と悲哀な気持ちが入り混じっていました。
ただ一つ言えることは、今後マネージャーとして活動していく事に対しての感情ではないということです。
選手生命を賭けた後がない状況下ですら、14分台はおろか、自己ベストも更新出来ない自分に虚無感を覚えたと言うのが正しいかもしれません。

立場が変わり7ヶ月が経ちました。今は以前に比べ、チームをより俯瞰的に見れるようになった気がします。
数字に直接貢献することは出来ないですが、数字には現れない部分で役割を全うし、貢献していきます。

以上、自分の近況報告?でした。

最後に、6月24日から始まったクラウドファンディングが、残すところ10日となっております。
現在、5,830,000円のご支援をいただいております。
非常にたくさんのご支援、ご声援をいただき、誠にありがとうございます。

第一目標の達成に向け、しつこくはなりますが、ご支援・ご拡散のほどよろしくお願いします。


次は梅澤周平です。おねがいします。

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