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一度も予選会を走れなかった僕から

こんにちは、4年生の櫛野です。この自己紹介の部分に2年生とか3年生とか書いていたのをついこの間のように感じます。気づけばもう4年生、それも最後の予選会まであと4日となってしまいました。
時間の流れがあっという間なのか、単に自分が時間を無為に過ごしてしまっただけなのか、はたまたその両方か。どれも正解な気がしてしまいますが、少なくともこれだけは、と自信を持って言えることがあります。

「この4年間に意味のない時間はどこにもなかった」

それは、「この4年間に意味のない時間はどこにもなかった」ということです。自己ベストから遠のいても、一度も予選会に出られなくても、一度も白Kを着たことがなくても、です。
なぜなら、このチームにはたくさんの「居場所」があるからです。このチームには、この合宿所には、こんな僕にも居場所を「与えて」くれる後輩や同期がたくさんいます。
ということでまずは

ありがとう

の気持ちを述べさせてください。特に同期のみんなにはたくさん助けられてきました。
特に前原、ずっとブロック長としてチームを引っ張ってくれて本当にありがとう。4年生に上がる前、俺を合宿所に誘ってくれたよね。あの時は合宿所の建物を見るのさえ辛いという状態だったから、誘われた時は本当に嫌だった。寮に戻るくらいなら部活やめる!くらいに思ってた。

でもご飯からお風呂から何でもかんでも一緒に行動するようになって居場所を作ってくれて、なんでもいいから前原にお返ししなきゃって前向きに行動できるようになったよ。ただそれだけの単純な話なんだけど、自分にとっては前原の存在が確実に大きいものだった。その時の前原にどんな意図があったのかなんてどうでもいい。とにかく前原が居場所を与えてくれたおかげで全て上手くいくようになった。実際俺、寮に入ってから夏合宿までの8ヶ月間一度も長期離脱してないからね。みんなこれ全部前原のおかげなんだぜ。

photo by 下山田

チームの先頭に立って引っ張ることもあれば、こうして皆には見えないところでチームを下から支えてくれた前原、最高のキャプテンです。1年間お疲れ様、そして本当にありがとう。

他にも、ずっと圧倒的な走りでチームを引っ張ってきた森田、貝川に加え、俺の怪我を神様のせいにして箱根神社まで厄除けに連れて行っちゃう大上、事あるごとに足の状態を気にかけてくれるあっちゃん、なんだかんだ俺のことが好きな大澤と、いろんな人にいろんな形で居場所を作ってもらいました。
そんなこの同期が、このチームが、僕は大好きです。

ヤケクソでやったサーキット、誰も見ていない中部室の隅で1人虚しく漕いだパワマ、足が痛くてどうしようもなくて布団に潜り込んだ故障期間。
無意味なように思える(実際無意味ともいえるでしょう)これらすべての時間がみんなのおかげで少しは意味のあるものに感じられるようになったし、このチームで最後まで頑張ろうと思わせてくれました。

そして、部活を続ける中で、「与え」られてばかりではなく自分も何かみんなに「与え」られないのかな、という気持ちが出てくるようになりました。

では、それは何なのか。そもそもここまで一度も予選会を走ったことのない人間が皆に与えられるものなんてあるのか。
最上級生になってから、いや、最上級生なのに予選会を走ることができないことが決まってから、この点についてずっと考えてきました。

予選会を走るということ

少し前の話をさせてください。予選会を走ることの素晴らしさを、4年間ずっと走りたくてしょうがなかった人間に、語らせてください。

高校1年生の時、本気で学校を辞めたいと思っていた時期がありました。どうにも耐えられなくて、残りの期間をここでやっていけるという気がどうしてもしませんでした。そんな時に耳にしたのが箱根駅伝プロジェクトの発足です。あの保科光作が、あの日清の保科光作が慶応にくる。部活はおろか学校に通う意義すら見失っていた僕にとっては夢のようなニュースで、その日を境に僕は大学で駅伝をすることが学校に通うモチベーションとなりました。2年生の時には紋別合宿に連れて行ってもらい、高校生としてこれ以上ない経験をしました。これを機に僕はいわゆる「消えた選手」のラインからギリギリのところで脱出することができたように思います。

懐かしい人たちもちらほら

このように、義塾からいなくなることさえありえた僕の運命を変えてくれたのは保科コーチです。この時点で体育会で競技を続けることは運命的に決まっていたのでしょう。保科コーチのおかげでぼんやりと箱根駅伝を意識するようになりました。

大学生になると、その厳しさを思い知らされることとなります。ほぼ毎日(入学当初は木曜以外グループ走だった気がします)キロ4ペース付近での朝練があり、午後にもう一度練習。ポイントで足を消耗しているにもかかわらずさらに試合で激しく競い合う。その中でメンバーの座を勝ち取ることがいかに難しいことか、まずは1年次に紋別メンバーから外れたことで思い知らされました。いつまで経っても森田や前原、貝川が練習する姿を側から見ることしかできないことが悔しくてただ情けなかったのを覚えています。

自分にしか伝えられないこと

少し自分語りが過ぎました。何が言いたいかって、予選会に出て走ることは本当に大変で、素晴らしいことなんです。長距離選手として最大限のリスペクトが与えられるべきだと思います。そして同時に、そのことは、予選会に出たくて出たくてしょうがなかった、他の誰でもない僕が、1番よく理解していると思うのです。

どのチームでも、どの年度でも、予選会を走るのはたった12人です。12人だけで構成されるチームなんて存在しないわけで、つまり「走らない(走れない)」選手は必ず出てくることになります。
だとすると、予選会を走って結果を残すこと以外にも(マネジャーになる、とか従来通りの方法以外にも)貢献の方法があるはずだし、そうでなければならないと思います。それによって未だ日の目を見ない多くの後輩たちが気持ちよく引退できるようになるのであれば、4年である僕がひとつできることといえるのかもしれません。今後慶應の駅伝が大きく強くなっていく中で、そのような立場に置かれる選手はより一層増えると考えられます。退部を余儀なくされる選手も出てくるでしょう。
でも、それでも、やっぱり、最後まで選手として続けることを一つの大きな選択肢に残して欲しいのです。

今の僕にできるのはまさにその土壌を作ることであると思っています。満足のいく走りができなくても、一度も予選会を走れなくても、最後まで続ければ見えるものがあるよということです。少なくとも互いを認め合い、リスペクトし合い、自分が出られなくても彼らのために試合に出向きたい、応援したいと思わせてもらいました。その景色は最高に美しく、尊く、お金や時間で到底買うことのできないものだと思います。
最後まで続けた者にしか見えない、最高に贅沢な景色です。

「土壌」として1番わかりやすい形はこの投稿の内容でしょうか。あんなに足が遅くてダサかった櫛野でも、4年間何も成し遂げられなかった櫛野でもそう思えるんだ、なら俺ももうちょっと頑張ってみようかな、みたいな。
結果が出なくてどうしようもなくなったときに、そうやって櫛野を踏み台にしてください。
そう思ってもらえるだけの、お互いに本音を察することができるだけの関係性を築くよう心がけてきたつもりです。踏み台にされた数だけ櫛野が喜びます。いつも通り。てへへ。(^^)
後輩たち全員に、小さな一歩でもいいから前に進んでほしい。

1人でも多く誰かの背中を押せたのだとしたら、それだけでも僕の仕事は一つ終えられたと言えるかもしれませんね。

同期・後輩へ

最後まで一度も予選会に出られなかったくせに、選考レースで16分半もかかったくせに、もう少しだけみんなと陸上がしたいと思う自分がどこかにいます。もう少しだけジョという居場所を大切にしたいと思う自分が、確かにいます。
箱根に行きたい、熱い思いを最後の最後まで送り続けます。頑張れ!!!

小野コーチへ

最後に、この場をお借りして、小野コーチへの感謝の気持ちをお伝えさせてください。

4年間、本当にありがとうございました。最初から最後まで「小野チルドレン」であれたこと、なんなら(多分)「小野チルドレン1号」であれたこと、本当に誇りに思います。
1年の夏、自分のせいで紋別行きを逃した僕を、小野さんはつきっきりで指導してくださいました。紋別組とは比べ物にならないくらい遅いタイムでしか走れないのに、ポイントするのは僕1人しかいないのに、垂れそうになったら檄を飛ばし、ダッシュでトラックを横切りながらタイムを読み上げ、給水までしてくださいました。たった1人のしかも1年生の練習にコーチがつきっきりでタイム計測や給水なんて、普通に考えたら絶対にありえません。でも小野コーチは当たり前のようにやってくださいました。別に当時の僕がVIP待遇だったというわけではなく、小野さんだからそうしてくださったのだと思っています。小野さんの人としての器の広さに、僕は救われました。

タイムを読むためにトラックを突っ切る小野さん

4年生の夏、選考会で5000mに出るよう指示があった際にも、最後なんだから自分で決めていいぞとチャンスをくださいました。

小野さんのコーチとしての、人としての温かさに幾度となく救われてきました。決して大袈裟なことではなく、小野さんがいてくださったから、小野さんがずっと向き合ってくださったから、ここまで競技を続けることができたと思っています。
足の状態はどうだ、もう痛くないのか、無理はするな、最後上げすぎるな、自分の立ち位置分かってるのか、など愛ある言葉を常に投げかけてくださいました。それなのに自分は、最後の最後まで結果という形でお返しすることはできませんでした。本当に情けない。

でも、小野コーチから学んだことはこれから先の僕をまたさらに助け続けてくれると思っています。
落ち着いたら吉野家行きましょう。絶対。

予選会を控えて

なんだか自分らしくないウェッティーな文章になってしまいました。こんなに風にブログを書いたのは初めてかも笑。でもそれくらいこのチームには感謝しています。本当にありがとう。

春からはこれまでと全く違うフィールドに足を踏み入れます。
大好きな同期、後輩たち、コーチ陣との「与え」「与えられ」の関係を(実力が足りずあまり「与え」ることはできませんでしたが)大切にしながら、ここで得た事は必ずやどこかで意味のあったものとして実を結ぶと信じてやっていきたいです。

予選会に臨むみんな、厳しい戦いを勝ち抜いてスタートラインに立つこと、心から尊敬しています。
全員がそれぞれ持っている力を出せば必ず予選会を突破できる、そう信じています。

次はあっちゃんです。にゃ。


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