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自分ひとりでは今日まで辿り着けなかった

こんにちは、こんばんは。4年の黒澤です。


最近では季節外れのインフルエンザが流行っているそうで、皆様も体調には十分お気をつけください。
僕は大学1年目の予選会直前に体調不良になりDNSという大失態をかましているので、体調管理には十分すぎるほど気をつけたいと思います。(フラグじゃないです。マジで気をつけます。)

このブログが無事に掲載されたということは、体調は万全だと受け取ってもらって大丈夫です。笑


それにしても、毎年この時期になると1日1日の重みが半端じゃないです。特に4年生にもなると責任感も増して、常に緊張の糸がピンと伸びています。もう心臓が持ちません。


そして、ついに僕にも予選会前最後のブログが回ってきました。
毎年、先輩方の予選会ブログを読んでは心を揺さぶられています。1年って本当にあっという間ですね。僕の最近の口癖は、「マジ早いわあ。」です。相変わらず浅いです。部屋子の野田には少なくとも30回は聞かれてます。


今回のブログは僕の10年間の全てを詰め込みました。10年間振り返りながら書いていたら、ついつい長くなってしまいました。
長く拙い文章ではありますが、ぜひ最後まで読んでいただけると幸いです。




1. 箱根駅伝に魅了されて




僕は初対面の方に会うと、ほとんどの確率で「サッカーやってるでしょ!」とよく言われます。サッカー部顔、サッカー部スタイルだと思ってくれているそこのあなた、ありがとうございます。嬉しいです。


当然僕はそこで「陸上の長距離やってます」と返すのですが、「長距離って何が楽しいの?」とか「ドMなの?」と言われます。まあ、そうですよね。ごもっともです。こんなに苦しい競技、何が面白くてやっているんだか。


でも、どんなに苦しくても頑張れている理由はただ1つ。
夢の箱根駅伝に出たいから」です。


小学校6年生の時、父に連れられて箱根駅伝を現地で観戦した時に、

こんなにも多くの人が注目する最高の舞台に自分も立ちたい。

そう思いました。


そして、中学1年生の時から本格的に陸上競技を始めました。今でも覚えているのは、初めて8000mPRをやった時にあまりにも辛すぎて、その日の夜は腹痛に襲われご飯を一口も食べれなかったことです。あの内臓疲労の苦しみは今でも覚えています。


3000m10'12で走ったくろさわえいき(13歳/150cm)



それでも、やればやるだけ結果が付いてくる陸上競技に、いつの間にかのめり込んでいきました。

中学では県大会の決勝に出るのがやっとの選手で、特段結果を残すことはできませんでした。
高校ではもっと強くなって、全アスリートが憧れるインターハイに出場できるような選手になって、箱根駅伝を目指せる大学に行こうと、より熱を入れて取り組んでいました。  


高校2年生になり、学校側から進路選択を迫られるようになります。
当時自分は5000mの持ちタイムは15’33、実績も良くて関東新人9位程度で、インターハイに出られるような選手でもなかったので、箱根を目指すのは厳しいかなという考えもあり、高校で競技を引退するという選択肢も残して日々過ごしていました。



そんなある日の朝練習後に、顧問の先生から  


お前、慶應行かないか?」  


と言われました。ビックリしました。


うちの高校から慶應に行く生徒なんて全く聞いたことがなかったので、言われた瞬間は訳がわかりませんでした。それでも、チャンスがあるのであれば挑戦してみようと思いました。


そして高校3年生になる直前のタイミングで、慶應の練習に参加させていただき、その後保科さん、小野さんと初めてお会いし、お話をさせていただきました。チームの雰囲気もとても惹かれるものがあり、話をする中で自然と「慶應で箱根駅伝出場とかカッコ良いよな。慶應でチャレンジしてみたい。」という思いが芽生え、その場で慶應を受けることを決断しました。もう即決でした。


慶應を受けるにあたり、担任の先生や進路指導部の先生からは、当然止められました。AO入試を受けるのを辞めて、指定校で違う大学に行った方が良い。とか言われていたので、おそらく顧問の先生を除くほとんどの教師が、まあ無理だろ。って思っていたのではないでしょうか。でも、僕はたくさんの方々の支え、サポートのおかげで、慶應に合格してみせました。夢と希望を持って競技人生をまた歩めることが決まった瞬間でもあり、受かった時は最高に興奮しました。やってやったぞと、番狂わせを起こした気分でした。多分これは、僕が慶應で箱根を目指す理由にも繋がってくることだと思いますが、僕は不可能だと言われていることを可能にするということが好きらしいです。  


2.慶應で箱根駅伝を目指すことの価値



そもそも、なぜ慶應大学で箱根駅伝を目指すのでしょうか?


箱根駅伝出場を目指すのであれば、箱根駅伝常連校でレギュラーを勝ち取ることがいちばんの近道ですし、慶應より箱根駅伝に出られるチャンスがある大学は沢山あります。

それでも、今の長距離ブロックに在籍する部員たちは、慶應で箱根駅伝を目指すことに何かしらの魅力や価値を感じて入っているのだと思います。


僕が思う、慶應で箱根を目指すことの魅力は「唯一無二になれるから」です。


慶應はスポーツ推薦制度もないし、大学からの資金援助もないため、リクルートから資金集め(クラファン )まで、基本的に学生が主体的になって動きます。しかも、勉学も怠らずに取り組まなければ、あっという間にすぐ留年してしまいます。僕たちはそんな中でも言い訳をせず、夢と結果を追い求めます。僕はそこに価値があると思っています。

スポーツ推薦も資金援助もないような雑草軍団は、世間一般的に見て、他大学より実力は劣るし箱根駅伝出場は当然無理だ。と言われます。

それでも、そんな現状を覆して、他の強豪校に勝って箱根路を走るというストーリーが本当にカッコいいし、唯一無二だと感じます。しかも陸上だけじゃなくて、勉強も頑張る。自分の夢のためにやるべきこと全て全力で取り組む。まさに、学生スポーツの在るべき姿を体現していると思っています。



この環境で4年間競技に没頭できたこと、本当に嬉しく、幸せに思います。


3.中途半端な競技人生に終止符を



じゃあ僕の慶應での競技生活はどうだったのか?というと、本当に山あり谷あり、中途半端な結果しか残せなかった4年間で、嬉しいこと1割、辛いこと9割の競技生活でした。


大学1年目

大学1年生の時は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を遂げて、何をしてもうまくいってました。10000m29’44/5000m14’17をこの年にマークするのですが、当時の1年塾歴代最速タイムでした。この時は、いずれ自分が慶應のエースになって、このチームを支えていくんだろう。そう期待に胸を寄せていた年でした。


大学2年目

大学2年生の時は、怪我や不調に悩まされ、本調子で走れたレースは一切なく、どん底に突き落とされた年でした。慶應として21年ぶりに出場した全日本大学駅伝予選会や、箱根駅伝予選会で、起用してもらったにも関わらず、チームの足を引っ張ってしまって、皆からの期待を裏切る苦しさ。あまりにも精神的に辛くて本当に逃げ出したかったし、このまま廃れていくのなら、競技を辞めようという考えが何度もよぎりました。それでも、応援され続けている限りは自分のペースでまた頑張ろうと、周りの支えもあって奮起します。

大学3年目


大学3年生の時は、上級生としてチームを支えていこうという責任感も芽生え始めて、練習では積極的に引っ張るようになりました。レースでの快走はほとんどなかったけど、大外しもほとんどなかったように思えます。
この頃からでしょうか、「箱根駅伝に出て有名になりたい!ちやほやされたい!」という自分のためだけの思いから、仲間のために何か残したい。仲間と共に何か成し遂げたい。と思えるようになっていきました。


大学4年目


そして大学4年になり現在に至るまで、この半年間は物凄く精神的に大きく成長できたと実感しています。クラウドファンディングにも主体的に携わり、何気ない僕たちの日常や活動が、当たり前ではないことを知りました。夏合宿に入ってからは覚悟と責任感を持って練習に臨めていたので、引っ張りをしなかったポイントはほとんどなかったし、練習で大きく外すこともありませんでした。Bチーム、中間層の底上げに十分貢献できたと思います。支えてくれている人のため、仲間のために走ろうと常に思えていたことが、心理面における1番の成長でした。  

4.自分のためから仲間のために



僕ひとりでは、決して今日このブログを書く瞬間まで辿り着くことはできませんでした。どん底に突き落とされた時に、そこから道を踏み外していた可能性だって十分にあり得ました。それでも、僕はみんなの支えがあって今日こうやって予選会前最後のブログを書くことができています。
本当にありがとう。感謝を述べさせてください。


競走部のみんなへ

他ブロックのみんなとは、プライベートでほとんど関わる機会がなかったけれど、部活中の声援、何気ない頑張れという言葉にとても背中を押されました。いつも他ブロックの結果を受けて、自分も頑張って結果を残そうという気持ちになっていました。長距離ブロックは種目の特性上、朝が早くて午後練の時間は遅いし、何度も合宿に行くので、みんなとの足並みを揃えることはなかなかできなかったけれど、それも全て柔軟に受け入れてくれて、背中を押してくれました。ありがとう。


長距離の後輩たちへ

今年、自分が積極的にこのチームを支えようと思っていたけど、支えられていたのは僕の方だったのかもしれない。
後輩たちを沢山可愛がるつもりが、可愛がられていたのは、僕の方だったのかもしれない。
みんな1人1人が「俺が箱根予選会走って、箱根駅伝本戦出場に貢献する!!」っていう気持ちが前面に出ていて、このチームは本当に変わったんだなと、22歳がしみじみ思うことが多々ありました。
こんな頼りない4年生だったけど、頼ってくれて、支えてくれてみんなありがとう。みんな実力も想いも過去最高だよ。箱根、絶対取ろう。

蔵王合宿での1枚
去年のALLKEIO


長距離同期へ

みんな本当に優しいし、芯があるよね。自分はめっちゃ愚痴こぼすし、芯はないし、結果出せずこの学年の株下げるし、リアクション鬼薄いし、色々迷惑かけてきた気がするけど、僕以外の4人は全て優しく受け止めてくれました。僕が辛い時期も、1番近くで寄り添ってくれていました。
甘利ちゃん、りこちゃん、どん、大木、みんなそれぞれ良いところがあって、その良さに毎度刺激を受けて、頑張れていました。特に大木なんかは、予選会直前に調子上がってきてメンバー入りしてくれて、本当に激アツだった。最後の予選会は一緒に走って本戦出場に貢献しよう、頼むよ。
無事走り終えたら、箱根予選の話を肴にして美味い酒飲もう。
みんな最後の挑戦をする覚悟はもう決まっているよね、もうだいたい話したり表情見れば伝わってきます。
この世代がいてくれて本当に良かったとみんなが思ってくれるような、最高の10/14にしよう。

紋別合宿 大木と
全員揃ってる写真が謎にないから後で撮ろう

先輩方へ

こんな生意気なくそガキを最後まで愛を持って接してくれて、強く育ててくれて本当にありがとうございました!!
特に杉浦さん!!あなたに出会ってなければ、僕の慶應大学で箱根駅伝を目指すという物語は始まっていませんでした。マジで飲みサー入会しているところでした。人生が180度違っているところでした。いつも浅いって言われるので、最後くらいは4年間の経験値を活かして濃く深みのある走りをするので、期待しててください。
5年分の恩返し、立川でさせてください。今までで一番の応援、よろしくお願いします!

歴代の偉大な先輩方


保科さんへ

このブログ見てるかなー、見てなさそう(笑)
だけど書きます。

こんなにもくすぶっていて結果が出ない選手を、見捨てずに最後まで期待して使ってくれて本当にありがとうございました。こんな最後の最後まで期待をかけてくれる監督、他にいません。
みんな意外と保科さん怖そうとか思って積極的に話しかけていないイメージだけど、全然そんなことないです。メッチャ優しいです。これはヨイショとかお世辞とかは一切ないです。多分、保科さんもみんなから話しかけられるのを待ってると思います。

僕は大学2年生の時、ずっと原因不明の不調に悩まされていて、もうレースなど出たくないと直接言いに行ったことがありました。それでも、僕が走る限りは使い続けると言ってくれたし、原因不明の不調も一緒に悩み、考えてくれました。

それなのに、今の今まで僕は1回も走りで、結果で恩返しができていません。

僕が1番恩返しすべき人が両親なのはもちろんなのですが、また保科さんでもあると思ってます。

立川駐屯地での胴上げのために、菅平で走ってダイエットしてたのも聞きました。つい先日は箱根神社まで行ってお祈りをしてきたのも。実はスプシとかもちゃんと見ていて、1番選手思いなのも知ってます。絶対に表には出さないけど、内に秘める想いは物凄いものを感じます。

僕は最後に保科さんを漢にしたい。最後の予選会くらいは、ストップウォッチぶん回させず、60分強、目を輝かせるような走りをして魅せたい。

「最後くらい、俺の高校時代のハーフ記録を抜いてくれよ」って言われたので、越せるように死力尽くします。今回は期待しててください。

保科さんの誕生日。みんなに愛されてます。



それ以外にも、

両親はいつも僕の様子を気にかけてくれたし、レースがあれば絶対にお疲れのメッセージをくれました。お金のことも、バイトするくらいなら自分の時間を有意義に使ってと、いつも1番近い場所から考えられないくらいのサポートをしてくれました。

OGOGさんはクラファン活動に協力していただいただけでなく、常日頃から本当に幅広いサポートをしてくれていますし、中には僕の調子を気にかけてくれる方もいらっしゃいます。
僕はいつも、まあまあですかね。とか言うんですけど、今は過去最高に調子が良いので、やっと良いご報告ができる気がします。

他にも小野さん、保田さん、顧問の先生、友達、行きつけ店の店主、女将。
お世話になった方を挙げ始めたらキリがありません。


僕は、今の時点で本当に幸せ者だし、本当に恵まれているなと実感しています。今まで箱根駅伝に出れてませんが、もう十分すぎるほど満たされているのかもしれません。最高の仲間たちと見たい景色も沢山見れたし、みんなからの愛も沢山貰いすぎました。
これだけ想いが溢れて、長々とまとまりなく書いてしまうのは、それだけこの大学での競技生活が濃くて、充実していて、何にも代え難いものだったのだなと今になって感じます。


でも最後に一生のお願いを使うとするならば、
最高の仲間と、競技人生最後の挑戦を経て夢を叶えたい。
支えてくれた人たち全員箱根路に連れて行って、その景色を見せたい。


その競技人生最後の挑戦が残り3日と、もう目前まで迫っているみたいです。このブログも、そろそろ閉じようと思います。なんか色々想いが溢れて、つらつら書きすぎてまとまってない気がするんだけど、笑 
あと1回くらいブログ書きたいなあ。


夏合宿始まってから約2ヶ月半、自分史上最高に頑張りました。
夏合宿前に杉浦さんに宣言した通り、しっかり自制して言い訳を全て取り除いてきたし、悔いは一切残らないくらい人事は尽くしました。自信はあるのであとは天命を待つのみ。


予選会当日、僕が走っているのを見かけたら「頼んだぞ」とか、「任せたぞ」とか、きつそうな表情を浮かべていたら「お前がしっかり走らないでどうするんだ」とか、ただの頑張れじゃなくて、オリジナルで檄を飛ばしてくれると最高です。僕を突き動かす原動力になります。


最後くらいは命懸けて頑張ります!!結果で示します!!応援よろしくお願いします!!


どうか当日は出走メンバー、サポートメンバー、応援してくれる仲間たち、全員が100%以上の力を出し切って、夢の箱根路の切符を掴めますように。


次はいつも笑顔で僕たちを優しく包み込んでくれる、みんなのアイドル甘利ちゃんです。
最高のブログ頼んだよ。


箱根駅伝予選会まで残り3日。

チーム一丸で頑張ります。応援よろしくお願いします!!

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