初めまして。梅澤周平と申します。

皆様、初めまして。上原くんから引き継ぎました梅澤周平です。文章を書くのは昔からあまり得意ではないのですが、頑張って書きます。

改めまして、慶応志木高校出身、経済学部の梅澤周平です。身長180cm、体重55kgの超痩せ型体型ということで毎日頑張っていっぱいお米を食べています。はてはて、いざ順番が回ってくると書くことが思い浮かばないもので。内部校出身ということで、慶應に入りたかった理由も特になく、高校受験も大学の付属校だからという理由くらいしかなかったような。ということで、僕が大学でも陸上を続けようと思うまでの経緯を少し書こうと思います。

僕が陸上を始めたのは中学入学してからでした。小4から小6まで習い事で硬式テニスをやっていて、中学でも硬式テニスを続けるつもりでした。が、公立中学には軟式テニス部しかなく、外部でやるにも時間的な厳しさもあり中学でのテニスは断念することとなってしまいました。さて、そんなこともあり部活をどうするかと考えたとき、”仲のいい友達がいるから”といういかにも中学生らしい薄い考えで陸上部に入部することに決めました。まだこの頃は高校に入ったらまたテニスを再開しようと考えていたので、陸上にそこまでの情熱はなく、短距離か長距離だったら長距離の方がまだ自信あるかなということで長距離種目の世界に足を踏み入れました。

中学生で初めて走った1500mは6'02でした。もちろん女子よりも遅く、練習も1人だけ垂れていまして。そこに関しては今も変わっていませんが。そんな自分が陸上競技に熱中するきっかけになったのが、中学の頃の1つ上の先輩でした。初めてその先輩のレースを見たときものすごくかっこよくて、速くて、自分もこんな風になりたいと思うようになりました。その先輩は今でも僕の憧れの先輩です。

中学3年間地道に練習した結果、1500mはどうにか4’28までタイムを縮めることができ、3年時の総体で初めて県大会に出場できました。他の人たちに比べると本当にたいした実績ではないけど自分にとっては大きな経験でした。地道に練習していれば成長できるんだ、陸上競技って楽しい、もっと上の大会で戦えるようになりたい。そう思うようになりました。

無事高校受験に成功し慶応志木高校に入学しました。高校ではどこまで自分の記録を伸ばせるかなと期待を抱きながら競走部に入部しましたが、直後に腓骨を骨折してしまいました。しかも、骨にひびが入っていたにも関わらず気付かずに3000mのレースを走るという失態を犯し、まさかの全治4ヶ月。ようやく怪我が明け初めて走った5000mのレースは18’45。まだ3年間あるしここから練習を積めばと思っていました。しかし現実は甘くなく。疲労骨折、アキレス腱炎などなど怪我を繰り返す3年間。それでも記録はそれなりには伸びてきてくれて高校ベストは15’43でした。もちろんうまくいかないことばかりで人知れず涙を流すことも多い3年間でした。

高校3年間で5000m3分縮んだから満足か、と聞かれるとなかなか首を縦に振ってくれる自分はおらず。大学も決まっているんだし、ここまでやってきたのであれば最後まで自分の可能性の限界を見てみたいと思ってしまいました。高校時代順調に練習できていればどこまで記録が伸びていたか。タラレバですが考えずにはいられませんでした。高3の頃には大学の競走部に入部することを決めていました。親にも顧問にも遠回しに体育会入部に反対されることもありましたが迷いはありませんでした。

中学に陸上を始めた頃はここまで続けるなんて思っていませんでしたが、やると決めたからには全力を尽くしたいと思います。漠然としていた箱根駅伝出場の夢が明確になってきました。「陸上競技が好き」という気持ちだけは忘れずに地道に4年間頑張ろうと思います。高校までタイムも実績も何もない選手が箱根駅伝出場したら面白いでしょ。

さて、次は小倉くんです。イヤホンが大好きな彼のユニークな文章をご期待ください。                             


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