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箱根駅伝を目指したことで

こんにちは。4年の前田拓海です。
予選会まであと3日となりました。

今週から秋が一気に深まり、寒くなってきたので体調管理に気をつけながら、残り3日間を過ごしていきたいと思います。

 慶應義塾大学への入学

慶應義塾大学には浪人時代を経て、第一志望の大学に落ちたことで入学しました。

ただ、現役時代は、ブランクなく陸上を続けるために、指定校で慶應に入学することも考えていた時期もありました。そのため、高校3年生の春には、慶應競走部を見学しにも行きました。そのとき、先輩は覚えていないと思いますが、3学年上の永野さんと軽くjogをしたことを覚えています。

結局、指定校で慶應に入らなかったのは当時、大河が国立大を目指していたことがありました。双子の性か分かりませんが、自分も国立大を目指さず、指定校でそこまで勉強せずに慶應に入学を決めることは大河との勝負から逃げているのではないかと思えてきたからです。結果的には、学部は違うものの2人とも慶應義塾大学に入学することになりました。

箱根よりも長距離を続けたい

慶應に入学することが決まってから、慶應競走部で長距離をやるということは決めていました。そして、そこで箱根駅伝を目指すという気持ちはありましたが、みんなよりその気持ちは大きくなかったように思えます。

高校球児が甲子園を目指すように関東の大学に進学したら、箱根駅伝を目指すくらいの気持ちでした。むしろ、高校から始め、好きになった長距離を大学でも続け、少しでも速く走れるようになりたいという気持ちの方が大きかったです。

そのため、合宿所に入らないと長距離ブロックには入れないと聞かされたときには箱根駅伝は諦めて、中距離ブロックか同好会にでも入り、記録会で5000mや10000mの自己記録更新を目指してもいいかなと考えていました。実際に、体験入部の際には中距離ブロックに入り、練習していました。

ただ、大河の話にもあったように保科さんからの勧誘などもあり、長距離ブロックに所属することに決めました。

Cチームからのスタート

現役時代・浪人時代合わせて1年半近く走っていなかったこともあり、最初はCチームからのスタートになりました。
最初の頃は、朝練習だけでヘトヘトになり、午後のポイントは常に体が重い状態でのスタートでした。同期の多くが既にAチームでやっていたため、どうにかしてこの状況を打開しないといけないと思い、大河と同様、jogのペースを速くしたりするなどがむしゃらに練習していました。

そうしたことが原因で大学に入ってからは、怪我が多くなりました。1年次の箱根駅伝予選会も疲労骨折で走ることができませんでした。
ただ、大河から箱根駅伝予選会後、走っていて応援がすごかったということを聞き、また、箱根本選ではもっとすごくなるということが分かり、ますます箱根駅伝を走りたいという気持ちが強くなりました。

その後も怪我を繰り返しましたが、3年の秋ぐらいにはAチームに定着して、練習を行えるようになりました。

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怪我から復帰して1ヶ月くらいでしたが、この慶大競技会で30'03"02を出せたことをきっかけにAチームで練習を行うようになりました。

今のチームは、AかCしか練習グループがないほど後輩たちが積極的にキツイ中でもAでやっており、そんな姿を見るとみんな自分よりも才能があり、今後、ますます慶應は強くなっていくのだと感じます。

 箱根駅伝を目指したことで

大学に入ってから箱根駅伝を目指してきましたが、その中でたくさんの苦しいことを経験しました。振り返れば、走りを楽しめた時期よりも苦しんだ時期の方が長かったように感じます。

高校時代は、怪我とはほぼ無縁でしたが、疲労骨折や鵞足炎、腸脛靭帯炎などさまざまな怪我を経験し、走れない日々が続きました。
また、貧血のせいか慢性疲労にも陥りやすく、記録会に出ても高校時代の記録すら出せない日々も経験しました。食事に関してもカロリーばかりに目がいってしまうことで食自体を楽しめず、精神的に参ってしまうこともありました。

箱根駅伝を目指さなければ、これほど苦しい思いはしなくて済んだかもしれません。

だけど、箱根駅伝を目指さなければ、怪我をしたときに腐らずに練習することはなかったし、箱根駅伝予選会などで多くの人々に応援される経験や全日本選考会という大きな舞台に立つことができなかったと思います。

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生活面においても、朝5:00に起床して、どんなに忙しくても夜22:00に就寝する毎日になり、その中で授業の課題などを計画的に終わらせるなどの力がつきました。食事も寮生活ではないため、自炊することになりましたが、今では短時間(30分程度)かつ栄養バランスを考えながら料理を作れるまでになりました。

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いつの間にか豚肉は脂肪の少ないもも肉のみ、揚げ物は×、豆腐は木綿、夜はキムチ納豆を食べるなどの食事のルールが決まってきました。

箱根駅伝を目指したことで、他では味わえない貴重な経験をすることができました。

特に慶應で箱根駅伝を目指せたことは良かったです。
慶應が急成長する過程を当事者として身をもって感じることができたことはもちろんのこと、その背景にあった毎年、数人の選手がエース級にまで急成長する環境が自分にとって、とても刺激的だったからです。
自分は、少しずつしか成長することしかできず、Aチームで定着して練習するのにも時間がかかりましたが、常に「次は自分の番だ」という思いで練習することができました。


 最後に

長距離ブロックに入った時は箱根駅伝出場は実現可能性の低い「夢」でしたが、この4年間、仲間と一緒に目指していく中で手に届くような「目標」へと変わっていきました。

目標を目標のままで終わらせないために、予選会では箱根本選の切符を手に入れられるよう全力を尽くしたいと思います。

次は、4年生最後となり、杉浦となります。
彼なくして今の慶應ないほど、常に先頭でチームを引っ張ってくれています。予選会では逆に彼を支えられるような走りをしていきたいです。

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