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その向こうに何が見える?

こんにちは。2年の森内です。GⅠも始まり、いよいよ秋本番という感じになってきましたが、皆さんいかかお過ごしでしょうか?一昨日のプロ野球は凄い展開でした。10月2日にオリックスがソフトバンクを逆転するというのは、なんともドラマチックですね。

 さて、今回のブログの内容ですが、自分語りをしようと思います。本音を言うと、ブログでの自分語りは、自分のことをダラダラ書き連ねていくだけで、読む人に対して何のメッセージ性もない感じがして、読むのも書くのも嫌いなので、やりたくないです。ですが、普段自分の想いを前面に押し出していないと自負しているので、僕が何を考えているのかということは意外と需要があるのかなと思うのと、何より他に書くネタがないので、今回は自分語りをしようと思います。なるべく、読んでくださる方が、考えさせられる文章を書くように努力しますので、どうかお付き合いください。あ、言わずもがな、内容は暗いですよ。それでは、本文どうぞ。


長すぎる前振り


 突然ですが、皆さん運命論は信じますか?

運命論とは

世の中の出来事はすべて、あらかじめそうなるように定められていて、人間の努力ではそれを変更できない、とする考え方 

Wikipediaより

とのことです。

 つまり、あなたは自分の意志で、このブログのリンクをクリックして、この怪しげなブログを読んでいる気になっているかもしれませんが、実はそうなるように決まっていて、あなたはその決められたルートをなぞっているだけということです。

 この運命論ですが、「僕はこうなる運命だったんだ」「これってもしかして、運命の出会い⁉」といった具合で、よく使われていますね。その不可避な出来事に対して意味を持たせて、変えられないという事実に悲観的になるのではなく、所謂”神様の導き”のような形でポジティブに捉えようということなのでしょうか?まあ、そんなことはどうでもいいですね。

 さて、冒頭の質問に対する僕の回答は、みなさん知っての通り、信じないです。その理由は、あらかじめ自分の行いが決まっているなら、自分が考えたり悩んだりしている事の意味が感じられないし、何かの手のひらで自分が踊らされているのなんて、想像するだけで気持ち悪いからです。この質問は、高校の倫理の授業で出されたのですが、その時も信じないが圧倒的多数でした。多分、世間一般でも同じでしょう。

 では、質問を変えて、

「ある特定の場面で自分の未来が決まっているように感じたことがあるか?」

としてみましょう。

 この質問の仕方だと、あると答える人が多いと思います。僕もあります。テストやレースでも、始まる前に絶対に上手くいくという確信があるときがあって、実際にそのようになることが多々あります。(逆も然りですが…)

 こう感じることは、運命を信じることから来ているのではなく、自身の能力や状態を主観的に判断することから来ているのだと思います。もしかしたら、自分がこうなっていたいという願望も影響しているのかもしれません。

 このような要因により、自分の未来が絶対に上手くいくという確信がある場面のことを、僕は「勝利が約束された勝負」と呼んでいて、実際にそう感じた場面では、必ず上手くいっていました。


 

壊れた心



 今年に入って、勝利が約束された勝負が2回ありました。1回目は、4月の日体大記録会、2回目は6月の国士館大記録会でした。しかし、4月の日体大記録会は直前に体調不良になりDNS。あの時は、JOGで生命の危機を感じました。切り替えて臨んだ、6月の国士館大記録会は大撃沈。直前の練習がとても良かったので、手応えがあったのですが、全く走れませんでした。このように、絶対に上手くいくという確信があったレースを2回外して、自分の中で何かが崩れたような気がしました。

 そこからは、毎日が地獄でした。力が入らず、全く走れなくなりました。絶望的な暑さ耐性の無さも手伝い、走っても走っても状態は上がらず、逆に悪くなる一方でした。今日はきっと走れるはずと切り替えて1日をスタートしても、朝練で絶望する日々が続きました。

 そんな日々が続いていくうちに、気力がなくなりました。いや、無気力というよりは、やらなきゃとは思いつつも、身体は動かない、2学期始業式の2日前の状態と言う方が近いかもしれません。さらなる絶望を恐れ、心が行動を拒絶していたのかもしれません。何もできなくなり、今までチームのためにやってきたこともやらなくなりました。それが、チームにとってマイナスなことも、それによって自分の信頼が損なわれることも理解していましたが、全く身体が動きませんでした。

 何もしなくなったことは、すなわち自己肯定感を高める手段がなくなったことも意味するわけで、どんどん気持ちが沈んでいきました。そうなると、さらに何も出来なくなり、また気持ちが沈んでいきと、負のスパイラルが完成し、自分でも分かるくらい日に日に気持ちが沈んでいきました。

 そんな精神状態でいると、周りにも伝わるわけで、多くの人に「気合をいれろ」とか「気持ちで負けるな」と何度も言われました。そう言われるたびに、そんな簡単に何とかなったら、こんなに苦労してないんだよなと思いつつ、何とかしなきゃいけないことには変わりはないわけで、何とかしようと思いますが、やはり、何ともできず、空元気すらでませんでした。

 周りの人は激励のつもりで接してくれていることは、理解はしていましたが、そう接される度に、この何もできないという事実に直面して、苦しくなり、他人と関わることすら嫌になっていきました。そうなっても何の意味もないことは、頭では理解していましたが、心が追い付かずに、どんどんと拒絶していきました。

 頭では理解しているけど、思い通りに動かない。今までなら普通に出来たことができなくなっている。何とかしようと思えば思うほど、蟻地獄に嵌ったかのように、気力が抜けていく。どうすれば苦しみから抜け出せるのだろうか、そもそもこの苦しみは抜け出せるものなのか、苦しみから逃げ出した方が楽になれるのではないか。そんなことを自問自答する日々が続きました。


彼女の背中に魅せられて


 その馬を初めて見た時、さすがに運命を感じました。自分と同じ名前の馬が走っている。そして、滅茶苦茶強い。一瞬でファンになりました。これが、一目惚れなのかもしれないですね。その後、史上初、無敗での三冠牝馬(三大駅伝優勝みたいなもの)になり、歴史に名を刻む名馬となりました。

 しかし、そこからは受難の時が訪れます。三冠馬三頭の激突となったジャパンカップに敗れて、初の敗戦となってからは、それを含めて三連敗。そして、怪我。繋靭帯炎で全治8か月。競走寿命がだいたい2,3年だということを考慮すれば、とてつもない大怪我だということがよく分かると思います。もし、復帰できたとしても怪我する前の能力が戻る保証はない。引退してもおかしくない状況でしたが、現役続行を決断。長い休養期間を経て、今年の5月に1年1か月ぶりにレースに復帰してからは、6着,3着,6着。走り方も変わってしまい、怪我をする前の輝きはないのかもしれません。もう終わった、復活は無理だ。そんな声が囁かれています。

 でも、かつての輝きを取り戻すために、そして更なる栄光を求めて、ゴールに向かって全力で駆け抜ける姿は、胸を打つものがありました。その姿を見た時に、苦しみの中で、出口を求めて、必死でもがくことは、他人から見れば無様かもしれないけど、絶対的な美しさがある。そう、しみじみと思いました。

 
 
 苦しいかもしれないけど、その中でやれることをやることは、誰に何と言われようと意味がある。出口が見えなくても、前に進んでいる気がしなくても、その中で前に進もうとすることは意味がある。そう思うと、少しは気力が出てきました。今は、自分のできる範囲でいいから、少しずつでも前に進んでいきたい。そんな風に思えるようにはなりました。

 苦しみを抜けた先に、自分にとって都合がいい世界が広がっているかは分かりません。更なる絶望が待っているかもしれませんし、そもそも苦しみを抜けることなんて叶わないのかもしれません。でも、そんな中で自分に出来ることは、苦しみから抜け出そうと、もがき続けることだけです。苦しみを抜けた先に広がっているであろう景色を確認するために、苦しくてもがんばっていこうと思います。


振り返り


 またまた長くなってしまいました。ごめんなさい。そして、途中で書く内容を何度も変えたので、とっ散らかってしまいました。反省はしています。敗因は前振りが長すぎたことです。こんなに長くなるとは思いもしませんでした。面白いなと思うネタなので、勢いで書いたのですが、いらなかった気がしますね。しっかりと構想を練ってから書かないといけないということがよくわかりました。次はきっと、ちゃんとやります。

 さて、次は4年生にいって、大上さんです。マネージャー業で大活躍中ですが、練習もサラッとこなしていて、さすがだなと思います。4年生、予選会前最後です。さぞ素晴らしいことを書いてくれることでしょう。それでは、よろしくお願いします。



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