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朝練ガ眠イノダ 新入生⑥野田大晴

初めまして。杉森から引き継ぎました野田です。ホシは入部してから着実に走行距離を伸ばしており、月間距離はもうとっくに抜かされています...。1500mが終わったらすぐに追いついてやるからな!笑

noteを書くに当たって、1つ上の108代の先輩方の自己紹介ブログを読んでいると、皆さん「文章を書くのが苦手で…」とか「面白い文章は書けませんが…」などの謙遜から入っていました。さて、我々109代はいかがでしょう。誰も謙遜していない。別に何も深い意味はないと思うのですが、自信満々な学年と言ってもいいのではないでしょうか。そんな同期たちに負けないよう、日々練習に励まなきゃですね。 

〈自己紹介〉
名前:野田大晴
出身校:慶應湘南藤沢中→高→経済学部
好きな食べ物:にぼし

幼少期

両親が私を長距離選手にしたい!という策略があったかは知りませんが、我が家では毎年箱根駅伝をテレビで見るのが恒例で、幼稚園に入園する前から観戦していた記憶があります。
ちょうどそのころ、箱根5区を鉄紺の山の神が爆走しており、とてもかっこよく見えて。半ば強制気味に地域のマラソン大会なんかに小学1年生の頃から参加していました。

大会直前にちょろっと練習して、筋肉痛になりたての足で大会を走ったり、小さい大会で入賞して天狗になってみたり。今聞くとコジローと同じ大会に出てたみたいです。世間は狭いですね…。

毎年こどもの日は日産スタジアムへ。

中学時代

そんな走るのが得意だと勘違いした野田くんは、中学受験でSFCに入学しました。ここで幸運だったのは、同学年も皆ゴリゴリに受験勉強をしてきた人たち。皆も運動にブランクがあり、スポーツテストの持久走で、私のプライドが初年度から学校内で守られる形になったのです。
139cmのクソチビが学年3位に滑り込み、「長距離得意かも!」というマインドを保ったまま、陸上部に入部して長距離を続けます。

そして中1の秋に2つ上の先輩方が引退されると、部活内には長距離の先輩が1人となり、枠争いすることのない、ほんわか部活に進化しました。もちろん陸上の地区大会なんかではボコボコにされますが、同級生がジュニオリや全中で活躍しているのを見て、釣り合うわけもないのに謎に悔しさを感じながら、なんとか継続して県大会出場にこぎつけました。
中学のデビュー戦からPBまでは以下の通り。

1500m:5'23→4’25  3000m:11'19→9’45
県で活躍するなんて夢のまた夢

大学の同輩先輩方の中学時代のタイムを聞くと、長距離が得意!という当時の根拠のない自信が恥ずかしいです。当時はその自信を元に適度に陸上と向き合って、楽しんでいたな、と感じます。

高校時代

高校に上がり、2つ上の先輩方とまた練習できるようになるはずでしたが、コロナによって個人練習に。

ですが、中学の1人部活を経験している野田くん。へっちゃらです。

高校受験がないことも功を奏し、また、コーチのメニューがハマったこともあり、高1から県大会に出場できるようになりました。PBも4’11と15’54とタイムも伸びたことで、より陸上に熱中しちゃいます。

高2から長距離部員が私1人になってからは、メニューを全て自分で作るようになりました。中学のときに課外活動として、市民ランナーの方がいかに手軽にランニングフォームの分析ができるか、という研究を慶応大学院の方と2年間行った成果が花開き(??)、またコーチ2人とも二人三脚?三人四脚?で順調にタイムを伸ばします。

こんなことを手作業でやってたみたいです、懐かしい
いつかのnoteはこれについて書きたいですね

中3で初の県大会、高1で2種目県大会、高2で県大会決勝、というように徐々にランクが上がっていったことも、自分の中で目標を立てやすく、運がよかった部分でもあります。そこからは、より自分が上のステージに進むにはどうすればいいか、を考えました。

その結果、長距離部員一人で5000mで神奈川県のお強い方々と戦うことは無理なのではないかと感じてきました。そう簡単に5000mを諦められませんでしたが、高校2年時、人手不足によって駅伝に出場ができないことが決まったとき、良い意味でも悪い意味でも プツン と切れてしまい、主軸1500mに置いてインターハイを目指すことを決心しました。

瑞と走った県新人(左)と関東新人(右)
この頃は勝ってたのに…(´・ω・`)

高3の春に新入生もなかなか入ってこなかったことから、高3の駅伝も諦め、1500m1本に完全に絞ることに決めます。春先からスピード練を大量投入し、高3の4月に3'50"9までタイムを伸ばすことができました。しかし駅伝を出場できない、という事実が、長距離に対して気持ちを切らしてしまいました。1人でぺーランすることに苦手意識や虚無感を持ってしまい、高2の冬までに培ってきた体力の貯金が底をつき、そこからは1度もPBを更新することなく、一発屋のタイセイくんが爆誕してしまいます。
多くの大会を経験しましたが、その会場に立つだけ、走るだけで終わってしまいました。

南関東総体予選で敗退した自分は、決勝の舞台で活躍する神奈川県勢を写真に収めながら、涙を流したのを憶えています。

南関東総体1500m決勝
出場した神奈川県勢は僕以外全員決勝に

最終的には1500m3'50"9、5000m14'56"2というタイムまで高校で伸ばすことができました。中学の1500mのペースで5000mを走れるようになりましたが、1500m,5000mともに、PBを約1年間更新することなく高校陸上が終了しました。

元々、高校で陸上競技は辞める予定でしたが、こりゃあかん、と。昨年のリベンジを。途中で諦めてしまった5000という長距離の道を。もう一度1500mのPBを。高校生活で1年時しか出られなかった駅伝のリベンジを。という気持ちが芽生えてきました。
それに加えて、高3の時期から、長距離ブロックの監督である保科さんをはじめ、長距離・中距離双方の多くの先輩方が気に掛けてくださり、練習にも度々参加させていただけるようになり、陸上競技の楽しさを再確認することができました。気がついたら陸上を続けたい、という気持ちが強くなり、入部させていただきました。

大学へ

現在は、競走部の寮に住み、日々眠い目を擦りながら朝練に出向く日々。今まで8時間ほど寝ていた生活から一変したものの、ようやく寮生活にも慣れて、先輩方にも仲良くしていただき嬉しい限りです。

先輩方とともに、先日の六大学に続き、関東インカレでは1500mに出場させて頂きます。昨年度背中を追い続けましたが、追いつかなかった矢◯君・服◯君も1500mに出場しますので、神奈川県ファンの皆様、刮目ください。


次は静岡のリュウジ・ミウラ こと 丸山ちゃんです。新歓のときに、3000mSCの自己ベストを聞いて驚いたあの衝撃を思い出して、今勝手に名付けました。
カッコいいサングラスの裏には可愛い笑顔がはじけています。選手の自己紹介ブログの最後を締めていただきましょう!よろしく!!

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