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最後まで見捨てられなかった幸せ者

こんにちは。
寒暖差の激しい1週間となっておりますが皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
今年もこの季節がやってきました。予選会直前になり、様々な思いが交錯している中でブログを書いた4年の森田です。
自分の書いた文章を何人もの方に読んでいただけるのも残り僅かと思うと少し切ないです。
 
最後の予選会前、この4年間を振り返ると本当に激動だったなと思います。というのも、私が入部した時が箱根駅伝プロジェクト2年目でまだおぼつかない状況だった一方で、今はプロジェクト5年目。
当たり前のレベルが上がっていくのを、身をもって実感した4年間でした。
 
今の自分に正直になって書いた文章です。後ろ向きの発言も少しあり、見苦しい文章かとは思いますが、最後までお読みいただけると幸いです🙇‍♂️
 
 
 

激動の4年間

 
 
先程も申したように、私は本当に激動の4年間を過ごさせていただきました。
私は慶應の一貫校出身であり、陸上がしたいから慶應に入ったわけではありませんでした。

他にしたいことが見つけられなかったことが大学で陸上を続けると決めた一番の理由だったと思います。
後は、高校陸上においてしっかり練習を継続すると結果に結びつきやすい長距離という競技に、面白さと魅力を感じたこと、
よくわからないけど私が高校生の時に箱根駅伝プロジェクトというものが大学で発足して保科光作という大物が慶應にきたこと等も関係しているかと(笑)

速くなる楽しさ故の入部、そのため自分やチームの4年目の姿など、到底考えてすらいませんでした。
 
 
朝練
長距離の象徴とも言うべきでしょうか。この4年間でおよそ1000回の朝練(6時スタート)をしてきました。私が1年生の頃は雨が降ったら中止、自主的に走る人もほとんどいませんでした。
それが2年目からは天気関係なく集合は必ずあり、雨でも全員が走るようになりました

怪我もあり毎回走っていたわけではありませんが、1回の朝練では10〜15kmのジョグをしていたので、4年間の朝練だけで約1万km走った計算になります。振り返ったら凄いことですよね、、、
 
 
仲間と衣食住を共にした全寮制
これも長距離の象徴でした。9割以上の人が寮に入り同じ屋根の下で暮らしました。
蒸し風呂のように暑い朝練、凍てつく寒さの朝練、3時に起きて日産で練習した日、いつでも傍に仲間がいた。たくさん走ってたくさんジャンケンしてたくさん叫んだ。本当に楽しかった!
あれ、このトピックだけちょっと風潮違ったかも。

内藤さん(1つ上のOB)



 
怪我との苦闘
陸上競技は怪我が多いスポーツとはよく言ったもの。私はこの4年間のうち、少なくとも2年間は怪我を負っていたと言っても過言ではありません。怪我が治ってはまた新たに怪我をして…の繰り返し。練習を継続させることができず、もどかしい日々を過ごした時間が人よりも長かったと思います。
 
 
4年生とは
今年は、
「4年が中心」、「最上級生の自覚」
と保科ヘッドコーチから何度も言われ続けました。私が1、2年生の時は4年生が1人ずつしかいなく、3年生だった去年は言うまでもなく4年が主軸でした。そのため、ここまで4年が4年がと言われることは想像していませんでした。

今年は事あるごとに
「チームで箱根に出場するためには4年の頑張りが必要」
と言われ続けました。すぐにではありませんでしたが、少しずつその言葉の意味を理解できるようになってきた1年間でした。
時に怒られ時に褒められ、そんな1年間。
私が部にいた4年間で1番保科さんが感情的になっていた1年間だったなあと思います(笑)
 

入学式(2019年4月1日)
左から、森田、大澤、貝川、櫛野、前原、横山


 
4年生になってからの半年
就活も人より早く一段落し、これから春シーズン、という3月末に怪我をしてしまいました。そこから立て直し、何とか関東インカレには出場したものの故障者の期間がとても長かったです。

怪我をしている時の自分は決して下級生のお手本にはなれませんでした。自分に負け、朝練からいち早く帰寮して寝る。この繰り返しでした。
最上級生である自分に待っていたのは無言の圧力でした。特に誰からも何も言われず、強いていうなら保科コーチに1度怒られた程度でした。
 
 
泥臭く
私個人で決めた、今夏の練習のテーマでした。6、7月と全く走れなかった私は、8月は誰よりも遅い位置からのスタート。どんな練習であっても誰にも勝てない日が続きました。
25kmのクロスカントリー距離走では圧倒的に遅くとても辛かった、でも決して練習を離脱することはしませんでした。無理やりにでも走っていたらいつか必ず速くなれる、そう信じていました。

本来なら4年が先頭で練習を引っ張るべきでしたが、私は他の人の胸を借りてどんな選択肢を使ってでも練習をやりきることに専念しました。最上級生らしくありませんでしたが、個人的には辛い中でも頑張りきれた、最も濃い夏錬でした。
 
 
 

コーチ5人体制

 
 
名コーチ
今年は驚くことに5人ものコーチに指導していただきました。大学時代関東インカレ10000m覇者の保科ヘッドコーチに加え、
箱根駅伝優勝経験のある小野さん、
日体大で保科さんの恩師である保田さん、
元陸上自衛隊でフィジカル面をサポートしてくださった新井さん、
一昨年に慶應(学連)で箱根5区を走った杉浦さん、
どのコーチにもとてもお世話になりました。
 
 
保科コーチ
僕が初めて保科さんとお話したのは高校2年生の時の神奈川県高校駅伝@丹沢湖でしょうか。当時何を話したかなどもう覚えていません。
ですが駅伝が終わって歩いていたら気が付いたら保科さんが隣にいました(あと1つ上の先輩で当時逗子開成高3年の清水さんもいました)

同期で塾高出身の櫛野とは違い、高校の時に大学陸上を見据えていなかったこともあり、高校時代に保科さんとお話する機会は数回といったところでした。
 
私は選手としての保科光作をとても尊敬しています。出雲、全日本、箱根の三大駅伝を4年間フル出走、関東インカレ10000m優勝、日清食品で駅伝日本1等、どの実績を見ても感動します。
そしてこれだけははっきりと言えます。私は保科さんの指導があったからこそ速くなることができました。
ただ、逆も然りです(笑)
とても自分勝手ですが、私が怪我をして苦しんでいるときのサポートがあまりなく怪我からの復帰にはとても苦慮しました。

復帰仮定で支えてくれたのは外部トレーナーの藤村さんや学生トレーナーの井上でした。やれと言われたアップエクササイズをろくにしないにも関わらず、必死で怪我を治そうとしてくれました。藤村さんはトータルで40分のケアを100回くらいしてくれたので、4000分は診てもらいました。本当に感謝しています。

ですが、いずれにせよ毎年のように5000mも10000mもタイムを更新し続けられたのは保科さんのご指導が素晴らしかったことに尽きます。
 
 
他人よがり
私を一言で表すとこの表現がぴったりです。いや、ぴったりすぎます。3兄弟の末っ子であったことや1つ上に優秀な先輩がたくさんいらしたこともあり、常に誰かについていく側の人間でした。

自分でアクションを起こさないにも関わらず、嫌なことには不満を示し好き勝手する、どうしようもなくわがままな所もあります。
ですがそんな私でも自由に伸び伸びとした4年間を過ごさせてくれたのがコーチ長距離ブロックのみんなだったと思います。(もちろん時々本気で怒られました笑、先輩にもコーチにも、同期にも)
 
 

4年連続4度目の箱根駅伝予選会

 
 
ラストチャンス
ありがたいことに1年生の時からずっと出場させていただいております。箱根予選会は在学中に4回しか出走することができません。
つまり、まだ私は卒業が決まっていませんが、仮に来年慶應にいたとしてももう箱根路を目指すことはできません。2日後の予選会が最後です。最後の予選会は笑顔で終わりたいですね。
 

2019年の箱根予選会後
左から森田、前原、貝川
3人とも今年が4年連続4回目!


 
最後に大きな花を
私の今回のブログも残りわすかとなってきました。大きな花、それはもちろん予選会突破です。この運命は当日走る12名に託されました。

 
出走メンバーへ
当日走る12名は言うまでもなく、チームの代表です。今年のメンバーの特徴は下級生が半数以上を占めることです。
出走メンバー全員に伝えたいことがあります。それは最後まで健闘することです。

12名のうち、上位10名の合計タイムで箱根駅伝出場の可否が問われますが、もしかしたら上位の人の中で失格、または途中棄権の者もいるかもしれない。だから11、12番手の人は決して関係ないと思って走ってはいけません。
10番手より上の選手。みんなが頑張っているから自分が振るわなくても大丈夫だろう、そんなことは絶対ありません。1人のタイムの重み、これを3回の予選会で学びました。1人が途中で設定タイムから崩れると、順位は2~3位は落ちるでしょう。
そして何より、出走できない人の気持ちも背負って予選会を走ることも忘れてはいけません。

最後は保科さんから何度も言われた通り、ハート(気持ち)です。3年ぶりに起伏のあるコース且つ暑さが予想されている中、苛酷なレースにならないはずがありません。
辛くなった時は、夏合宿や毎日の早起きを思い出そう。これまで積み重ねてきた練習、努力を信じて、再確認して、最後まで戦い抜こう!
 

北海道紋別合宿後の集合写真


 
 

最後まで見捨てられなかった幸せ者

 
 
それが自分
この半年間、全く結果を残せず長距離ブロックを牽引できなかった、そんな私を退部させる機会は何度もありました。私がどんなに後ろ向きの発言をしても、
「頑張ろう」「走ろう」「気合い入れよう」
と、何度選手やコーチ、マネージャーに言ってもらえたか。

そんなさなかに行われた箱根予選会メンバー選考レースでチーム13番手。走り終わったあと、自分の不甲斐なさに絶望していましたが、徐々に1番自分が悔しかったのは、周囲の人に失望されてしまったことだったのかなと思いました。(他人よがりならではの想いもあります)

4年生でチーム下位、その後も調子がいまいちだった自分でしたが、当然のようにメンバーに加わらせてもらいました。
自分への失望や怪我を心配する声はあっても、予選会を辞退するべきとの声が全くなかったこと、個人的に安堵しました。
それだけまだ期待されている、見捨てられなかったことに自分はとても幸せ者であると感じました。
 
 
 

感謝=予選会突破

 
 
支えられたOB
私の1番の支えになったのはOBからの応援でした。監督、助監督をはじめ寮の運営をサポートしてくださった方、就職活動で知り合った方、毎週ご飯をご馳走してくださる方等に出会いました。
そして、私の想像を遥かに超える支援をいただき、また期待されていることに気づきました。さらにその多くが短距離出身の方で、慶應の箱根駅伝プロジェクトは種目の違いによる壁が存在しないことも知りました。
 
今年6月から就任された鹿又監督は長野県で行われた3次合宿に顔を出してくださいました。日曜の夕方に来られ、月曜の朝練後、7時には帰られました。多忙の合間を縫って来てくださったことにとても驚きました。
激励に来てくださったこと、とても嬉しく感謝しています。しかしながら、監督が望んでいるのは箱根本戦出場であり、感謝じゃないと言われるかもしれません。
 
また、自分の不注意で肘を怪我した際も、翌朝に高木先生(チームドクター)が寮へ駆けつけてくださり、診察をしてくださりました。
高木先生は私を高校生の時から応援し続けてくださったOBで本当にお世話になりました。
 
 
想いを載せて
私は本当に幸せ者でした。最後の予選会を前にして色々な方から応援や箱根に対する想いを受け取りました。
その中で1人だけここで紹介します。4年長距離ブロック所属の櫛野の想いです。

彼とは学校は違えど同じ慶應一貫校、同じ神奈川県高校陸上をしていたこともあり、私が陸上を始めた高校時から常に意識してきた存在でした。彼も同じでしょう。
高校2年からは5000mの記録が抜きつ抜かれつつの大激戦、高校総体では1500mの予選で勝ったものの、同種目の県決勝では負けました。お互い意識していた存在、大学でもたくさんバトルするのだろうなと思っていました。

しかしながら自分の予想とはかけ離れた4年間となってしまいました。
正直なところ私は残念でしたが、1番悔しいのは彼本人なのでこれ以上は何も言いません。ただ、彼のブログを見て
「一度も予選会を走れなかった」
「一度も公式ユニを着なかった」
とありましたが、箱根駅伝本戦に出場するチャンスはまだ残っています。チームで出場を決めればまだ箱根路を、公式ユニで走れるチャンスはあります。
俺は櫛野の想いを1番に乗せて走るぞ!
 
 
他にも自分のポテンシャルを信じて応援し続けてくださった1つ上の杉浦さん。(最後まで背中は遠く、大きかったです)
私が箱根を目指し続けたのはつまり、杉浦さんみたいに速くなりたいということだったのかなと。

杉浦さんに完敗した2年前の慶大競技会


強引に誘って長距離マネをするという大きな決断をした(してくれた)高校同期の鯉渕
今でもよく覚えています。六大対抗戦くらいからでしょうか。
正直自分でも形もつかめていなかった大学駅伝界の内容、箱根に関する想いを入部するか、どのブロックにするかで悩んでいた鯉渕に語りかけていました。


また、高校の同期や先輩後輩は皆大学では続けませんでしたが、大会の時にメッセージをくれる人、忙しい中関東インカレで国立に駆けつけて元気玉をくれた人もいます。
 
 
ケジメ
たくさんの人に迷惑をかけ、そして巻き込んできた、それが自分です。このケジメはしっかりと付けさせていただきます。
最後の予選会、最高の走りをしてチームを箱根駅伝本戦出場へと導きます!
3年連続の無観客開催となり、大きな声援を現地でもらえないことは個人的には残念ですが、テレビやSNSで応援されていることを信じ、死力を尽くしてきます。
毎回のブログで書いていますが、私は話すのも書くのも、行動で示すのも苦手です。
では何で恩返しするか、結果しかありません。気負いすぎず、今の自分の力と想いを120%ぶつけてきます。
 
最後に
少しだけ親へのメッセージを書かせてください。
やはり1番自分のことに気をかけてくれたのは親です。特にバイトもせず、陸上に熱中し続けられたのは親の援助があってこそです。高校の頃は、走ることばかりに夢中になっていた自分をあまり応援してくれませんでした。ただ、大学で勉強が疎かになっていても陸上のことを常に気にして応援し続けてくれました。
「速くなったね」「凄いね」
「怪我してない?」「無理に走らない方がいいよ」
何度母の言葉に救われたことか。4年間、ほとんど家にいることはありませんでしたが、遠くから常に声援を送ってくれました。
そんな親をはじめとする家族にも走りで恩返しする次第です。
 
 
 
稚拙な文章ではありましたが目を通してくださり本当にありがとうございました。
まだまだお世話になった方への言葉、足りなさすぎます。後2回くらいは書かないと伝えられません。とりあえず1回分くらいは予選会の走りに変えて伝えます。
残りはまた予選会を突破して書ける機会があると信じてます。
次は前原ブロック長です。1年間ブロック長としてチームを牽引してくれてありがとう!最後頼んだ!
箱根駅伝予選会まであと2日🔥🔥

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