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鯉渕温子物語(大学生編) 続

お世話になっております。
慶應義塾體育會競走部駅伝主務4年の鯉渕です。

このフレーズだけタイピングが異常に速いです。マネージャーあるあるな気がします。4年間で何度このフレーズを打ったことでしょう。私の優秀なMac は「ケイオ」まで打つと推測変換してくれます👏
そういえばMacのキーボードにフィルムを貼ってるのですが、田島に毎回怒られます。もしそういった製造業に従事している方田島に怒られないフィルムを作ってください。

予選会まであと3日となりました。
ご支援くださる皆様、競走部のみんな、長距離ブロックのみんなとブログを通してコミュニケーションを取ることも残り少ない機会となりました。
そんな本日大作を用意させていただきました。4年間マネージャーを務めさせていただいた私がこれだけは聞いて欲しいよ!と思ったお話3選となっております。
長いので、暇で仕方がない方のみ読んでください。
大嘘です。
菅田将暉並に忙しいよというそこのあなた必ず読んでください。
小栗旬並に身長が高いよというそこのあなたも必ず読みましょう。
中村倫也並に声がいいよというそこのあなたは是非いいねもお願いしますね。

1.  私が入部した理由


私は大学入学当初、弁護士になるために司法試験の勉強をしていました。競走部への入部は高3の冬まで検討したものの、法曹の道に挑戦することに決めました。
ところが入学してみると競走部の見学会に参加している自分がいました。意味がわかりません。
元々、幾つもの分野に大きな力を注ぐことは向いていません。やりたいことは一つに絞ってなんぼくらいに考えているタイプでした。

就活でもこの時の決断理由についてよく聞かれていたのですが、未だに自分でもわからないです。一つ言えることは人に揉まれて生きていたいと思っていたことです。当時予備校に対して、他の受講者との関わりのなさに驚きコミュニティとは呼べないのではないかと感じていたことをうっすら覚えています。
育ってきた環境も、種目も、競技レベルも、年齢も、性別も、、いろんな色を持った人間の中に揉まれて、喜び楽しみ憤り悲しみたいと思っていたことは確かです。

こんなことは決定打としては弱いです。たかが1ヶ月予備校に通ったくらいで、コミュニティを感じられるわけがないからです。

一方で、競走部の見学を何度も重ね、最終的に「長距離マネージャーになる!」と決めたタイミングは今でもハッキリと覚えています。
当時、高校の競走部で同期だった森田くん(彼はすでに入寮していました。)に相談していました。何を相談していたかはよくわからないのですが、多分自分が死ぬほど迷ってることをつらつらつらつら話していたんだと思います。笑 ごめんね森田。

何を迷っていたかというと、このまま司法試験の勉強を続けることで得られるものと、長距離マネージャーになって4年間で得られるもののどちらが大きいか、で迷っていました。
今思えばクソ野郎すぎます。司法試験にしても體育會にしてもこの先得るものの大きさなど私次第に決まっています。しかし当時の私は、箱根プロジェクトに参加して何かでっかいものが得られるのかな、、?なんて考えていました。もっとわかりやすく言ってしまえば、本当に箱根駅伝に行けるのだろうか、箱根駅伝に出場させたマネージャー!的な称号はもらえるのだろうか、と言ったように「あっちゃんすごいね!」とたくさん言ってもらえる四年後になれる見込みがあるのかどうかを気にしていたのです。
そんなことを迷っているクソ野郎は、森田に一つの質問をしました。

「実際、箱根駅伝プロジェクトって本気でやってるの?」

クソ失礼です。
選手の本気度次第で自分も便乗するか否かを決めようとしてるのですから。
でもこんな無礼な質問に森田くんはこう返してくれました。

「正直、今は、箱根を目指すレベルのチームではないと思う。練習も生活も。
でも少なくとも俺は箱根駅伝を走るために四年間をかける覚悟を持って入ったよ。

覚えてますか?LINEで送ってくれたんです。
一緒にバカをしていただけに思っていた高校の同期が、誰もが知ってる箱根駅伝という大舞台に憧れ、周りがどうであろうと達成しようとする気概を知らぬうちに持っていました。
純粋にかっこいいなと。こんな人たちと一緒に四年間を過ごしたいと強く強く感じたのを今でも鮮明に覚えています。


2019関東インカレでの森田

きっとその覚悟が揺らぐこともあったと思います。もっといえば、箱根を目指す覚悟が如何なるものなのかなど当時のチーム状況で理解しきるのは難しかったはずです。今ここにいるメンバーで一度も弱くなったり、自分を甘やかしたことのない部員はいないと思います。でも、四年経った今でも彼がその覚悟を失くしたと私が感じた日はありません。

私たち105代が入部した頃の長距離チームは脆く、幼く、どうしようもない状態でした。そんなチームの選手として入部した人間が、今の雰囲気を受け入れ、むしろ築き上げてきたことがいかに難しいことなのか少しは理解をしているつもりです。逞しすぎるくらいに成長し、気づけば追いつくのに必死にさせてくれた同期6人には本当に感謝しています。みんなのおかげで、入部時あれだけ気にしていた「競走部での4年間ででっかいものを得られるのか」という不安はミリもありません。笑 いろんな景色に、感情に、出会わせてもらいました。

激動の慶應箱根PJ開幕期を生き抜き、四年間を全うした6人の同期を誇りに思うと主に、これだけで終わってはいけないと、彼らに見合う結末はもっともっと素敵なものだと信じています。


2.  2人の長距離マネ同期

実は入部当初私には長距離マネージャー同期がいました。現4年全体マネージャーの原田莉々子です。二人とも長距離マネ志望として入部し、6月に人手不足を理由に原田が全体マネパートに移動しました。

長距離マネ初期

正直、同じパートとして箱根駅伝を目指せていたらどんな世界を見ることができただろうと今でも考えてしまいます。その分、最後の予選会を同じサポートブロックとしてりりちゃんと迎えられることが何よりも嬉しいのです。1年生の夏を機に戦場を別にすることを決めた私たちですが、少なくとも私の中で「私は原田に長距離マネージャーにさせてもらっている」という感覚はずっとありました。結局この4年間は不甲斐ないことばかりで口が裂けても私が長距離に残って良かったとは言えませんが、腐りかけた私を繋ぎ止めてくれたのは「長距離マネとして原田に生かされてる」という事実でした。また、何か頑張ろう、新しいことを始めたいと思う時には「原田に負けたくない」という気持ちが強かった気がします。

いつも私のモチベーションでい続けてくれた彼女に、
行き詰まった時にそっと手を差し伸べてくれた彼女に、
全体マネでありながら長距離の挑戦を見守り続けてくれた彼女に、
本当に感謝しています。

そして、私が必要以上の負い目を感じないくらいには、全体マネという立場で大輪を咲かせてくれた彼女をかっこいいな、最高の戦友だなと思っています。

りりちゃん本当にありがとう。
あと数日マネージャーとしてよろしくね。


それから、実はマネージャーが増えました。4年選手兼マネの大上椋輔(おおうえりょうすけ)です。元々選手兼マネだった彼ですが、この夏を機に完全に重心をマネージャーに置いてくれています。

マネージャー/トレーナー/選手/AO…何足ものワラジを履き限界を迎えている大上

皆さんも薄々感じていると思いますが、今私が選手に負けまいと必死になれているのには、彼の存在があったからです。
ここ最近は夜遅くまで一緒に合宿所にいて、1年生ズのマリカの時間を妨害するようなこともありましたが、その隣にはいつも彼がいます。戦犯は大上です。連日連夜終電を逃し4000円かけてタクシーで帰っているのも大上のせいです。笑
「あっちゃんならきっとこう考えるからこうしよう」、「あっちゃんはこれが出来ないだろうからやっといた」など私に足りない言葉や態度、仕事を何となく察して気づいた時には終わらせています。さらには、私がボソッとつぶやいたこんなものあったらいいなをいつの間にか形にしておいてくれます。保科さんやチームには主張しないのでその殆どが表に出たことはないと思います。チーム内は愚か私にさえ「やったよ!」とか「これ終わらせておいた!」とかいちいち言わないので、びっくりしてしまいます。うわ、あれ欲しいなと思った時に、スッと私の手元に出してくれます。イケメンです。23歳です。

夏合宿前に、どうしてもうまくいかないことがありました。1年ほど自分を悩ませていた内容で、もうどうしようも出来ず、このままの自分だとチームにこれまでにない大迷惑をかけてしまうと思っていた時に思いついたのが、大上を完全にマネージャーにするというアイデアでした。申し訳がないけど、餌付けでも買収でも脅迫でもどんな手段を使ってでも【気づいたら完全なるマネージャーになってしまった大作戦】を決行することにしました。つまり、彼の意思でここまでマネージャーにウエイトを置いているわけではないのです。今もサポートしたいという気持ちが積極的にあるかどうかはわかりません。それでも、「完全なるマネージャーになってほしい」と伝えたあの日から大上なりに咀嚼して、チームに必要不可欠なマネージャーになってくれました。
夏合宿中は、毎晩見たくもない女子マネージャーの洗濯物が転がる汚い部屋でミーティングに参加させられ、ポイント練習の日は朝食中に打ち合わせをし2時間前に出発する日々です。マネージャーとして赤ちゃんいや胎児レベルであるにも関わらず、「考えて動け」「仕事はもらうものではなく探すものだ」などという無理難題を突きつけられます。おかげで彼の口癖は「ぼく、自分で仕事を探すとかできないからね」になってしまいました。先に保険かけないでください。しまいにはjogをしてもいいが、マネージャーとしての意図を持ってjogをしろなどと言われます。オフ日には他の選手より悪いコンディションの中ポイント練習を行いチーム平均くらいのタイムで走ってのけます。マネージャーをやれと言われたタイミングと彼の陸上人生の中で最も好調な時期が不運にも重なってしまいました。

二人に何があったんでしょうか…笑

皆さんにとって今の大上はどんな存在でしょうか。私にとって彼は感謝してもしきれないくらい必要不可欠で大切で大好きな存在です。マネージャー人生で初めて”同士”を持てたような気がします。
大上、本当に本当にありがとう!これからの慶應にも大上のような存在がいてくれたら心強いなと本気で思います。
また、突如マネージャーと化した彼を頼ってくれたみんなもありがとう。深くを問わずに受け入れてくれた寛大なチームがあったから素敵な同士を持つことができました。


3.  光作の右腕になりたくて

私のマネージャー人生を語る上で欠かせない存在トップオブトップです。
保科さんはブログを読まないので(あえて読まないようにしているので)、私から見た保科光作の魅力でもお話しさせてください。

Kosaku Hoshina

荷物の発送作業を手伝う監督がどこにいるでしょうか。
治療に行く選手を駅まで送り届ける監督がどこにいるでしょうか。
オフ日に2時間かけコースを確認しに行き自ら距離を計測する監督がどこにいるでしょうか。
他大では考えられないくらい資金補助が不十分な中、全国各地の高校を勧誘に飛び回る監督がどこにいるでしょうか。
毎日毎日私を餌付けしてくれる監督がどこにいるでしょうか。
毎年予選会からの帰寮後、あまりの疲労から体調不良になり、マイクロバスから出て来れなくなる監督がどこにいるでしょうか。
こんなにチームのことを考えに考え悩み続けた監督が他にいるでしょうか。

たしかに若干雑で、頑固で、行動力があるのかないのかわからなくて、謎に口下手なとこもあって、お下品な一面もお持ちです。笑
お読みいただいている方は、もしかしたらどこかの場面で不信感を持ったことがあるかもしれません。選手なら尚のこと思い当たる節はたくさんあるでしょう。
私もたくさん衝突しました。保科さんのせいで(勝手に笑)辞めたいと思うこともありました。それでも私の言葉に必ず耳を傾けてくれました。なぜそう考えるのか、その上で保科さん自身はどう思うか、ひたすら意見という名のゴミを投げ続ける私を見捨てず、散乱したゴミ屑を片付けてくださりました。

そもそもスポーツの世界で肉体を武器に数十年生きてきた保科さんに、使い慣れた頭を酷使して難しい思考や言語を喋る慶應生が挑みます。カオスです。うまくいくわけがありません。
それでも今、保科さんの右腕、いや右手首くらいにはなりたいと必死になれている自分がいるのは、私たち学生を無条件の愛で見守り指揮し続けてくれたからと思います。密度は違えども皆さんの中にもそんな感覚が1ミリでもあるのではないでしょうか。

いつしか選手の悪いところしか見れなくなった私に保科さんがおっしゃった言葉があります。

「しょうもない奴だと思う。ふざけんなって思う。でも俺らが最後まで信じてあげないと失礼だろ?」

どんなに厳しいことを言っても、辛いメニューを提示してきても、私生活の粗相を理不尽に叱ってきても、誰よりもみんなのことを信じ、敬意を持って接してくれたのは我らが保科光作です。
他大や他チームから声がかかっても、一向に結果のでない慶應を見捨てずにいてくれているのは我らが保科光作です。

なにクソと思うことも、最低だと思うことも、ふざけんなと思うこともあったかもしれませんが、多分保科さんはみなさんがそう感じるとわかっていてその言動をしています。
頭がいいと幼い頃からちやほやされてきた私たちでさえ、追いつけないほど先の先の先を考えています。保科さんが考えている「先」が行き着く先は慶應が箱根に出るその日です。
そしてそれが3日後であると諦めずにいてくれるのが我らが保科光作です。

私が駅伝界で得た1番の財産は保科さんと出会えたことです。娘のように可愛がっていただき、エベレスト並みに高いプライドを壊さないようにしつつも叱っていただき、数々の粗相を寛大な処置でなかったことにしていただき、どれだけ腐り果てても必要とし信じていただいた保科さんに感謝しています。
保科さんはよく「学生には期待はしない」とおっしゃいます。まだ人として未熟すぎる私たちに寛大でいるための心構えだと思います。しかし、この言葉に少し寂しさを感じている自分がいました。もっと高いレベルで評価されたい、それでもお前はよくやってると言わせたい。
この目標は未だ達成せずです。もう少し時間がかかりそうな目標なので1月3日までの猶予が欲しいなあ。


4.  鯉渕温子のマネージャー人生に溢れていたもの

長々と語ってきましたが、気づけば、同期/戦友・原田莉々子/同士・大上椋輔/保科さん いろんな方への感謝でいっぱいでした。
振り返ればたくさんの迷惑をかけ、たくさんの温かい支えをいただきました。
他にも、OBOGの方々、保護者の皆様、サポート同期をはじめとする競走部員、行き詰まった時に笑い飛ばしちょっとしたヒントを与えてくれた他大学主務、いつしか違う夢を追い何をしてるのかもよくわからないながらも見守り続けてくれた家族、 すべての人に感謝でいっぱいです。

最後に長距離ブロックのみんな。
比較的厳しく辛辣で近寄り難い私だった思います。ごめんなさい。
自分なりに理由のつかない行動はしてこなかったつもりですが、立場上行動の透明性がなく理解に苦しむことも多かったと思います。それでも、笑顔でポイント後に駆け寄ってきたり、不安な顔をしながらjog後にぶつぶつと不安な点を吐露したり、いろんな顔を見せてくれたみんなに感謝しています。

・普段話しかけもしないくせに、落ち込んでいるとなぜか察して近寄ってきてくれる人。
・物販を始めたいと突如言い始めた1週間後に私以上に行動に移してくれる人。
・多分そんなに興味もないしわからないのに、「何するの〜?」と聞きにきて「うわあ頑張れ」とテキトーすぎるエールをくれる人。
・急ぎの郵便物を練習前にも関わらず急いで持ってきてくれる人。
・ないと言っているのに、「何かできることはありますか?」としきりに聞いてくる人。
・頼んだ資料を別館に持ってきてくれたと思いきや、そのまま合宿所に持って帰ってしまう櫛野。
・ケア部屋で死にそうになっている私にきったない布団を持ってきて「一緒に寝ますか?」とニヤニヤしている安田。

直近の記憶しかないのでショボエピソードですが、みんなの優しさに触れなんとかここまでやってこれました。
そしてそして… 自由奔放、天真爛漫、才色兼備の暴れ馬を、乗りこなせはしませんでしたが餌くらいは与えられるようになった 駅伝主将・前原裕磨。たくさん迷惑をかけて、あなたに被ってもらった泥もありました。
誰がなんと評価しようと、本当にあなたで良かった。あなたなりのリーダー像はオーソドックスではなかったし、目立つものではなかったけど、行動の一つ一つが優しさで溢れていました。
正直言ってやりたくなかった主将のポジションだったと思います。「何もしなくていい、スタッフがよく魅せる」とはよく言ったもんです。そんな背景があったこともみんなに見せず、責任を持って向き合おうとしてくれたことに感謝しています。たくさんの負担をかけてしまったこと申し訳なく思います。
3日後嬉し泣きで抱き合いましょう。あと3日全力で支えてください。(あれ?)

最後に
鯉渕温子のマネージャー人生に関わってくださったすべての方々にこの場をお借りして感謝申し上げます。

とても長くなってしまいました。
タイトルですが、前任主務・渡部綾介の引退ブログと同じタイトルにしてみました。あれだけ、「僕にならなくていい」と言われた私でしたが結局根本は渡部さんみたいになってしまった気がします。そして今になって「あの時適当だったのはこういう理由があったかもしれない」「あんな風に知らないふりをしてたけど本当は、、」なんてたくさん理解できることが増えてきました。
でも、渡部さんと私で一番違うのはタイトル末尾にあるように「完」ではなく「続」でありたいと願っていることです。これを以て引退する気などありません。

10月15日(土) 決戦の日
4年前の私には高すぎる目標だったあの景色を見に行きましょう。

慶應義塾大学にご声援をくださる皆様。
本年度上半期のトラックレースの戦績、昨年強化生が最高学年になったことによりお寄せいただいた大きなご期待、 本学への注目度で言えば低下したことは否めません。

しかし、これは果たして”戦力ダウン”を示すものなのでしょうか。
昨年の予選会チーム内順位をご覧いただければ、上位メンバーは今年も在籍しております。経験不足から悔しい思いをした下級生たちは、チームを引っ張る逞しいランナーへと成長してくれました。

空いた穴とやらがあったのであれば、とっくに埋まり隆起しているでしょう!

昨年の悔しさを忘れずに、でも、人として選手としてサポートとして成長した私たちが、今年だから見たい景色見せたい景色があります。
今の私には、今の私なりの箱根に行きたい理由があります。

ご声援くださる皆様には、良い意味で104代の続編・進化版などではなく、一人一人が新しく築き上げてきた新星・105代を見守っていただきたい。

今の私たちに、皆様の持つ大きなパワーをいただけないでしょうか。

引き続き慶應義塾大学長距離ブロックのご支援ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

次は私の人生のキーマン・森田くんです。
誰がなんと言おうと10000mチームトップ記録を持つエースは彼です。そして、本番たくさんの後輩を連れ誰一人こぼさず公園内まで連れてきてくれる勝利のキーマンも彼でしょう。
ブログも走りも乞うご期待⭐️

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