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4年の貝川です。

とうとうこの最後の予選会前のブログを書くときが来てしまったようです。

去年から始まった、予選会前は4年のブログをSNSで大きく取り上げて、たくさんの人に最後の予選会に向かう4年生のアツい思いを知ってもらおうというこの企画。前広報長の司代さんの提案から始まったこの企画ですが、本当に素晴らしい企画だと思い、今年も引き続き行うこととしました。

同期のみんな、快く引き受けてくれて、想いのこもったアツいブログを作り上げてくれました。

前2人のブログや、もうすでに完成してる他の同期のブログを読みながら、目頭が熱くなっちゃったりもしましたね。

まだまだ同期のブログ更新は続きます。ぜひとも同期7人全員のアツいブログをご覧いただければと思っております


そういえば司代さんといえば、本日お誕生日を迎えたようです🎉


偉大なる前広報長


予選会まで残り5日。刻一刻と勝負のときは近づいております。

最後の予選会前となると、何か思い込み上げてくるものがあり、上手くまとまるかもわかりませんが、今までの心境を包み隠さず、お伝えできればいいなと思います。それでは本題へ、、



慶應が箱根に?!

まずは、僕が慶應で箱根を目指そうと思った経緯から。高校の進学クラスにいた僕は当時、進路先の一つとして慶應を考えていました。ですが、それは最初は箱根を目指すためというよりかは、高い偏差値、学歴、そういった観点からでした。「学力で行くなら慶應行きたいな」そんな感じです。もう一つの進路の選択肢は、箱根強豪校に行くことでした。学力関係なしに箱根に行きたい、そういった思いもありました。

そんなことを考えながら、大1の冬に偶然知った「慶應箱根駅伝プロジェクト」。あの慶應が箱根に!当時、陸上部の顧問の先生とめっちゃ面白そうだなあと話した記憶があります。もっと調べてみれば「スポーツ推薦は取らない」、「学生主体のチーム」といった他の箱根常連校では考えられないようなチームであることを知りました。そんなチームで箱根を目指すのって絶対面白い、そして都大路初出場を目指している母校の美濃加茂高校と似た雰囲気も感じ、慶應への志望度は上がる一方でした。

高1の貝川(16)

決め手は、高2の3月の保科コーチとの出会いです。30分に1回しか電車がないようなド田舎の美濃加茂に遥々いらしてくれました。「(周りから)無理だと思われているかもしれないが、いつかは絶対出場する、学生も指導陣も本気」といった話だった気がします。めちゃくちゃかっこいいなと思いましたし、たとえ学連選抜でも慶應で箱根に出たい、そんな想いで慶應が第一志望になりました。そして本当にたくさんの方々のサポートのおかげでAO入試を突破でき、無事慶應に進学することが決まりました。


慶應が進路が決まった時には「慶應って箱根に出てなくない?」「目指せ、学連選抜での出場だね」といった声をかけられました。確かに、僕自身も学連での出場が一番の近道だとも考えていましたし、箱根をずっと夢見て競技を続けてきた僕にとって、自分一人でも夢の舞台に立ちたい、といった思いもありました。


今思い返してみると、自分にとって「慶應で箱根に出る」は「学連で自分が箱根に出る」という捉え方をしていた気がします。

そこには自分が在学中は、到底チームでの出場は厳しいだろうという諦めも含まれていました。


そんな生半可な気持ちで始まった慶應での競技生活ですが、出会ったのはチームでの出場を本気で目指している選手、コーチ、マネージャーの姿でした。特に杉浦さんたち強化一期生(別名・光作世代)の皆さんが、箱根に出るためのチーム改革を4年間かけて行ってきたのを見てきて、「自分一人だけでも箱根に出たい」が「このチームで箱根に出たい、このチームでも箱根に出れるんじゃないか」そう思えるようになりました。


入学時は到底箱根を目指せそうになかったチームの甘い雰囲気もガラッと変わり、練習内容から競技に対する視点まで本気で箱根を目指す集団になったと思います。


今じゃ「このチームで箱根に出たい」この想いでいっぱいです。そして、自信を持って「慶應が箱根にチームで出るのは無理ではない」そう言えます。



何度も諦めかけた最後のチャンス


そんな箱根を本気で目指すチームに変わった僕たちにとってのビッグチャンスが去年の98回大会でした。

入学時から言われてきた「貝川が3年の時、一番大きなチャンスが来る」そんな勝負の年が去年でした。

杉浦さん世代についていければ、箱根に出れる。そう信じてましましたし、何よりお世話になった先輩方と一緒に箱根に出たいという強い思い持って走ってきた3年間でした。

勝負の日、積極的な走りでボーダー付近でのレースを展開するも、後半の失速により、19位へと沈んでしまいました。



この日の勝利を信じて走ってきた分、ショックは非常に大きいものでした。先輩方の表情を見るのも辛くてたまりませんでした。

夏合宿前の大事な時期に疲労骨折を起こして、思うような最高の状態で大事な日に挑めなかった自分を責めたりもしました。


悔しさをバネにするとはよく言ったものです。僕はこの時、勝負の年が終わってしまったことがショックすぎて、自身もチームも来年もう一度箱根に本気で挑めるか、不安でもう一度立ち上がれるかも分かりませんでした。

正直、強い黄金世代の皆さんがいた年に箱根に行けなかったのなら、もう僕らが4年の年は無理なのではないかという諦めの気持ちもあったかな、


そんな中でも、僕の箱根出場を信じて応援してくれる友人や家族といった周囲の方達、最後の年僕らで箱根を決めようと意気こむ同期、僕たちと一緒に箱根に行きたいと言ってくれた後輩、箱根出場のために真剣に指導をしてくれるコーチの存在がありました。

そういった人たちのためにも最後まで最後まで本気で箱根を目指して、必死にもがこうと決心しました。


新チーム始動!


いざ始まった最後の年、

上半期は自分もチームも満足できる結果を出すことができませんでした。僕は去年出た関東インカレに出ることができず、最高学年ながら本当に情けない思いでいっぱいでした。

他大は順調にタイムを出していき、学生長距離界のインフレが起きている中で、慶應が置いてきぼりにされている状態でもありました。そんな状態で僕たちが予選会で勝てるのか、ものすごく絶望した時期でした。


来年度の100回記念大会の情報が公開され、後輩達がその話題を話しているのを見ていると、「僕らは踏み台世代として、来年の100回大会につながるチームを作ることに踏み切るべきなのかな」とも思ったりしました。


確実に成長できた35日間

絶望的な状況で夏合宿に突入しました。この夏は山形の蔵王、北海道の紋別、長野の菅平の3次に渡る充実した合宿スケジュールでした。こんな最高な環境下での練習を実現するために裏で必死に動いてくれた方達、サポートしてくださった方達には本当に感謝の気持ちしかありません。そういった人たちに恩返しができるよう、この夏はとことん走り、とことん苦しい思いをして、殻を破ってやろう、そういった思いで挑みました。

股関節に爆弾を抱えた状態での合宿でしたが、最後の年、最後の合宿だという思いから、何がなんでも走り続けようと決め、練習に取り組みました。

そして苦しくて逃げ出したくなるような練習をこなしていく中で、この競技人生の中で「最後の~」ということを意識するようになりました。

どうせ最後なら、悔いなくやり切りたい。

そんな思いで合宿の練習を消化していくにつれて、いつの間にか、調子が上がっていきました。


人生最後の蔵王坂ダッシュ
保科さんの「この坂上るの人生であと2回だぞ」には燃えた


今年の練習メニューは例年とは比べ物にならないくらい、両質ともに高く、過酷なものでしたが、こなしていくことができました。チーム全体としても、毎日が挑戦のような合宿生活でしたが、そんな練習をしっかりこなせるようになっていました。

調子をぐんぐん戻していく同期、メキメキと力をつけていく後輩、そんな彼らに負けないくらい僕も必死に走り続けました。


紋別では30km3回!


8月の走行距離は900kmを超え、人生史上最高に走れた時期を過ごすことができました。僕だけでなく、チームのほとんどがそんな充実した夏を過ごすことができ、上半期で失ったチームとしての勢いをもう一度つけることができたと思います。

このチームは確実に強くなっている」そんな保科コーチの声もあり、このチームで箱根に行ける、本気でそう思えるようになりました。

自身もチームも日々成長し、強くなっている、そう実感できたこの35日間は苦しくも、今までの陸上人生で一番充実し、楽しい時間でもありました。




最上級生としての意地

なんやかんやでこのチームは夏を越え、去年のチームを大きく上回ることができたのではないかと思います。

そんな中、僕は今年のテーマとして「最上級生の意地」を掲げておりました。練習では積極的に前を引っ張り、全体に声をかけていく、結果でもチームを引っ張って行けるようなものを出すことを目標としてきました。上半期は全く及ばなかったものの、夏から今日までそう言った姿勢を見せられたのではないかと思います。

慶同戦での優勝、紋別学内T.Tでのチームトップと言った結果から自信をつけることにもつながりましたし、Aチームの練習をしっかりこなしていくことで最上級生としての背中を見せることができたのではないかと思います。まだまだ未熟な部分があったとは思いますが、僕が思い描いてきた最上級生像に少しでも近づくことができたのかなとは思っております。


慶同戦、大学初タイトル!


この理想の最上級生像というのはやっぱり、僕の大大大好きな杉浦さんのことなんですよね、完全に杉浦さんになることはできないけど、少しでも同じような存在になりたい、そんな憧れの想いから、彼の背中を見続けてきました。まあ、杉浦さんは本当にまだまだ遠い存在ですけどね、、

そんな競技者として、模範としたくなるような心の底から尊敬できる人に出会えたことというのはかけがえのない財産なのかなと思ったりします。


ボス



成功のコツはコツコツ

突然ですが、これは僕の好きな言葉です。

怪我や不調にたくさん苦しめられてきた競技人生でしたが、それらを乗り越え、飛躍する秘訣は愚直な取り組みの継続でした。

大1の夏に教えていただいたチューブを使ったエクササイズですが、今日までポイントの前は必ず行うようにしてきました。

特に臀筋が人より使えなくて、怪我をしてしまうという課題を抱えていましたが、このエクササイズを愚直に継続してきたことで、その課題を克服することに成功しました。


怪我といえば貝川と言われてきた自分でしたが、今年の2月からは一度も大きな離脱をすることなく、練習を継続することができました。

そのおかげで今は最高の調子、状態で最後の予選会に挑むことができそうです。


長距離は特に飛躍的にタイムが伸びたり、調子が上がるわけではありませんが、日々の愚直な取り組みの継続がそのまま結果に直結するものだと実感できました。


この競技に必殺技なんてありません、強くなる近道はありません。

でも、長い期間取り組んできたことは必ず何かしらの結果として現れてくれます。


今、怪我や不調で苦しんでいる人たちも、焦ることなく、腐ることなく、何か継続できることを見つけて、愚直に継続してほしいなと思います。


暗いトンネルも歩みを止めなければ、必ず突破することができる。



16年間の僕の競技人生に関わってくれた全ての皆さんへ


中学でバスケ部に所属し、陸上から少し離れてしまったものの、僕は小1からこの陸上競技をしてきました。いつから箱根を目指したのかなんて覚えてはいませんが、幼い頃から最後の最後までこの箱根に出たいという競技の軸はブレることはなかったと思います。それくらい僕にとって箱根は夢の素晴らしい舞台だったんです。長年、この夢に向かって突き進んできたわけですが、決して僕一人だけの力では競技を続けることは不可能でした。

本当に多くの人に支えられてここまで走り続けられたこと感謝の気持ちしかありません。

8月、9月にかけてご支援いただいたクラウドファンディングでは、440人もの方から心燃え上がる温かい応援メッセージとご支援をいただきました。こんなにも多くの人々が僕たちの夢の実現を応援してくださっている、支えてくださっているということを実感するとともに、僕たちが競技ができているのはそういった人たちのおかげなのだと今一度気づくことができました。

この場を借りて改めて感謝申し上げます。

本当にありがとうございました。


先日、坂本助監督から激励の言葉をいただきましたが、その中に「自分の好きなことが恩返しにつながる経験の大切さ」という話があり、非常に印象的でした。


自分たちが箱根を目指していることは、言ってみればただただ自分たちの実現したいこと、好きなことをやっているだけなのかもしれません。でも、そんな僕らの好きなことを本気で応援してくれる人がたくさんいる。そんな幸せなことはそんなにないと思います。そう言った自分の夢を応援してくれるみなさんのためにも、箱根という自分の夢の実現という形で最高の恩返しをしたいです。


振り返ってみれば僕の競技人生には本当に多くの人たちが関わってくださいました。

・陸上の楽しさを教えてくださった陸上クラブの先生

・チームで目標を達成することの楽しさを教えてくださった中学の伊藤先生

・本気で競技に取り組むことの楽しさ、結果を出すことの難しさを教えてくださった高校の荻野先生

・中学、高校と目標に向かって一緒に走り続けてくれ、今でも熱い応援をくれるチームメイト

・この16年間の競技人生を最後まで応援して支えてくれた家族


そう言った方達のおかげで、こうして僕は元気いっぱいに箱根を目指して走り続けることができました。

箱根を走る姿をお見せすることで、恩返ししなければですね。


そして、慶應で過ごしたこの4年間はかけがえのない時間でした。かけがえのない人たちとの出会いもありました。


・長距離ブロックは練習時間が合わないことが多く、ご迷惑をたくさんおかけしましたが、それでも僕らの活動を理解して全力で応援してくださった競走部の他ブロックの皆さん

・僕らの活動を自分ごとのように応援、支援してくださったOB・OGをはじめとした支えてくださった皆様

・卒業してもなお、僕らの心配をしてちょくちょく連絡をくれたり、顔を出してくれる兄のような存在の杉浦さん世代の皆さん

(今でもあなた達と一緒に箱根に行きたかったなあと思います)

・僕の何度も壊れかけた足を幾度となく治してくださった藤村トレーナー、伊藤トレーナー

・情熱を燃やし続けてくださり、全力でトレーニングの指導をしてくださった新井トレーナー

・故障中は本当にお世話になり、時折状態の心配をしてくださった小野コーチ。よく「貝川の100%の走りを見たい」と言ってくださいました。

・戦友のように選手を全力でサポートし、チームを支えてくださったマネージャー、学生トレーナーの皆さん

・一緒に箱根に行きたいと言ってくれ、合宿でメキメキ力をつけ、勇気と刺激と元気をくれた後輩たち
最後までぼくたち4年生についてきてくれて嬉しかった

・そして4年間、怪我や不調といった困難で苦しみ、悩みながらも必死にもがいて、一緒に戦い続けてくれた同期のみんな


とりあえずこんなところかな、

僕の16年間の競技人生、特に最後の競走部での4年間は本当に多くの方々との出会いで彩られてきました。

陸上は個人の種目ではありますが、これだけの多くの人たちと関わることができるなんて本当に魅力的な種目ですよね。


関わってくれたみなさんには本当に感謝しかありません。

こういった人たちのためにも10月15日は何が何でも死に物狂いで走り抜けたいです。


最後に保科コーチ

(忘れてたわけではありません、笑)

今年はたくさん厳しい言葉をかけてくださいました。徳もたくさん積ませていただきました。愛のこもった指導で僕らを叩き上げ、本気で箱根を目指せるところまで成長させてくださいました。

9月の記録会の後、僕たち4年生に保科さんが言ってくださった

俺はどんなチーム状況でも今年の箱根は諦めねえからな

という言葉、嬉しかったです。

ここまで本気でぶつかってくれる、そんな指導者に会えたことは財産です。


僕は来年からトップレベルの実業団チームのマネージャーとして新しい競技生活を始めることとなります。

このような進路に決まった経緯も、マネージャーやりたいと思った原因も全て保科コーチのおかげです。


後輩たちも、時には何くそ!っと思う時が来るかも知れない、それでもこんなに僕らを愛して、僕らの勝利を信じて最後まで本気で指導してくれるコーチに最後までついていって欲しいなと思います。


まずは今年の予選会突破して思いっきり保科さん胴上げしたいね。


全員にメッセージを送りたいところではあるけど、最後のブログ感が出ちゃうから、それは箱根が決まった時にでもやりたいな。


大好きな大好きなこのチームで箱根を目指せたこと、本当に幸せでした。


僕は確かに箱根を目指して、走ってきましたが、その中で得られた みなさんとの時間でもう胸はいっぱいです。


だからこそ、このチームで箱根に出たい。

僕のチームめちゃくちゃすごいだろ」って色んな人に自慢したい。


4年間一緒に戦ってきた同期


いよいよ、箱根を目指してきた競技人生16年間の全てをぶつける勝負の日がやってまいりました。

決して楽な16年間じゃありませんでした。
時には他のことした方が、楽しいんじゃないかと思ったりもしました。
それでも箱根を目指して走ってきたこの16年間は誰にも負けなくらい最高の時間だったと思います。

決して華々しい陸上人生とは言い難いものです、
でもいつかは、あの時が自身の光り輝く黄金時代だったのかなと感じるのではないかな。


夢の実現、ここまで来たらやってやろう。

最後にみんなで嬉し泣きで叫ぶ瞬間のためにも全力で走り抜けます。
みんな気合い入れてやってやろうぜ。

慶應、29年ぶりの箱根路へ


長い長いブログとなってしまいました。

最後までご覧いただきありがとうございます。


まださよならは言いません。
このブログを最後にしないためにも全力で挑みます!


次は櫛野です。

彼は僕以上に怪我に苦しみながらも、腐らずに一緒に戦い続けてくれました。そんな彼のブログにご期待ください!

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