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つまずき、転んでも、走り続ける

こんにちは。4年の前田大河です。

自分にとって、最後の予選会まで残り5日となりました。


自分も慶應への入学から現在までを振り返ってみると、紆余曲折ありました。

4年間の競技生活

自分が慶應に入学したのは、輝と同様に、第一志望である国立大学に落ち、滑り止めで慶應に受かっていたからです。

浪人生活を経て体力は落ちていて、しかも自分は他の人と比べて実力もなかったので、これまた輝と同様に、当初は大学で陸上を続けようとも思っていませんでした。

しかし、兄に連れられて、競走部に体験入部したところ、自由に練習する選手の姿を見て、楽しそうだなと思い、陸上をまた続けてみたいという気持ちが高まっていきました。
けど、長距離は寮生活や朝練などがあるため、自由が制限される感じがして、入りたくない気持ちがあり、体験入部の期間は中距離で練習していました。

そんな時、自分達の高校時のタイムを聞いていた保科コーチから兄と一緒に長距離に来ないかと声をかけられました。
実力がなかった自分にとっては、勧誘されたこと自体が嬉しく、勧誘されたという理由だけで長距離でやっていくことを決断しました。


入部後は、同期の中でタイムが一番下からのスタート。
また、浪人時代に全く練習してこなかったことで、ポイント練は殆ど完遂できない状態にありました。
悔しくて、ポイント練以外の練習は全てキロ4ぐらいで jogをするなど、がむしゃらに練習しました。次第に力もついてきて、1ヶ月にも亘る夏合宿も乗り越え、大学1年時の予選会には正選手として出走を果たすことができました。

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やっと周りに追いつけた、こっから自分がチームの箱根駅伝出場を決める選手になる、という思いで予選会後の練習も全力で取り組んでいきました。

しかし、無理な練習が祟り、2月には腸頸靭帯を損傷。
この時から自分の競技生活の歯車が狂い始めました。

約1ヶ月で治ったものの、増えた体重を戻そうと過度な食事制限をしたことで、貧血を発症。
また、復帰してから一気に距離を増やしたことで慢性疲労症状になってしましました。
その結果、大学2年の春・夏は再びポイント練が全くできない状態になりました。

その後、状態は改善されたものの、今度はシンスプが悪化。
一旦、練習を休めばよかったのですが、休められない理由が自分にはありました。
それは、「選手兼マネージャーの選出」の期限が迫っていたからです。
同期の中で一番5000mのタイムが遅い人が選出され、この時はマネージャー兼任というよりも専任ということが決まりでした。

選手として陸上を続けたい気持ちだったので、痛みを我慢しながら練習を続けたものの、最終的には疲労骨折となり、自分のマネージャー専任も決定してしまいました。

現実を受け止めきれませんでしたが、コーチ陣が3月の記録会への出場を認めてくれたので、そこで自己ベストを出す為に、3月までは練習を頑張ろうと思いました。

しかし、怪我の状態が悪く、中々回復せず、治るのに2月までかかり、復帰後は焦ってすぐに強度の高い練習をしたことで、今度はアキレス腱を痛めてしましました。
記録会への出場は無理だったものの、コロナで記録会はなくなり、帰省することにもなりました。


自分にとって帰省はプラスに働き、マネージャー専任のことも気にせずに、練習もここ最近にないくらい積むことができました。
しかし、6月には帰省期間は終わり、再び大学での練習が再開し始めました。
マネージャー専任がまた頭をよぎりましたが、コーチやマネージャーの協力もあり、マネージャーの仕事をしながらも、Cチームの引っ張りという形で、練習を継続することができました。

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しかし、順調に練習を継続できていたものの、秋に再び疲労骨折を発症。
以前より早く治りましたが、地元の新潟ハーフに出場する為に、距離をまた増やしたら、3月に腓骨筋を損傷してしまいました。


大学4年は怪我をしない、と決めていましたが、怪我の状態からのスタート。
しかし、今度は今までの経験を活かし、故障期間でも体力を落とさず、復帰後も着実に練習を積んでいきました。
その結果、マネージャーの仕事をこなしながらも、先月の記録会では念願だった5000m14分台を達成することができました。

以上のように、ここまでの自分の大学競技生活は順風満帆ではありませんでした。
数々の挫折が自分を苦しみました。
しかし、その一方でその挫折を経験したことで、色々なことに気づき、学ぶことができ、身体的にも精神的にも成長することができました

そう考えると、思い通りにいかなかった競技生活ではありましたが、他の人に誇れるぐらい充実した競技生活を送れたのではないのか、と感じています。

後輩へ一言


また、大学での競技生活から後輩に1つ言えることがあるとするならば、
大学4年間、どんなことがあっても競技を辞めずに続けていってもらいたい」です。


長距離ブロックでも、先輩・同期・後輩の中には、道半ばで退部してしまった人もいます。

自分も長期にわたる怪我や選手兼マネージャーが決まった時などは、自分が部にいる存在意義が分からず、何度も辞めたいと考えていました。
しかし、何とか踏ん張り、練習を継続していくことで、今では高校時代のベストを約1分更新することができました。


「諦めたらそこで試合終了」という名言があるように、挫折してそこで諦めてしまったら、挫折を乗り越え成長する機会を自分で手離してしまいます。
諦めずに競技を続ければ、成長するチャンスは少なからずあります。
後は、そのチャンスを絶対にものにするんだという強い気持ちを持ち、練習に励むことで、自らが望む方向に向かっていくのかなと思っています

だからこそ、後輩には大学4年間の競技生活を全うしてほしいです。

最後に

最後になりますが、
自分は入部後の「関東インカレ兼新入生歓迎会」の場で、2つの目標を言いました。
1つが「常に成長できる選手になること」、
もう1つが「箱根駅伝出場に貢献すること」です。

前者の目標は、毎年自己ベストを更新したことで達成できたと思っています。

後者の目標はこれからです。
自分は当日走って出場を決めることができません。
ですが、今週水曜日に行われる3000mTTで自己ベストを出し、予選会出走者に勢いを与える走りをすることで、微力ながら、箱根駅伝出場に貢献していきたいと思います‼︎


次は前田拓海です。
予選会終わったら、また美味しそうなものを一杯食べましょう♪

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