ある読書会の風景 J・G・バラード『ハロー、アメリカ』

執筆:二階堂庸太郎


ご挨拶

 新入生の皆さん、それからSF研究会に興味を持ってくださった方へ、初めまして。我々が慶應義塾大学公認サークルのSF研究会という者です。毎週読書会というのをやるのですが、この文章ではそこで使ったレジュメと会員の反応なんかを載せて、我々がどのような活動をしているのかを知ってもらおうと思います。この会ではJ・G・バラードという作家の『ハロー、アメリカ』という作品を扱いました。多分、ほとんどの新入生はこの作家について知らないでしょうが、心配する必要はありません。会員の少ししかこの作家について名前以外のことを知りませんし、読書会といってもこのように重いものを扱う頻度は少なく、ほとんどはだらだらと映画やアニメーションを見ているだけです。参考までに最近だと『ラブ&ポップ』、『台風クラブ』、『新世紀エヴァンゲリオン』、映画版『まことちゃん』、山本政志監督の『てなもんやコネクション』、石井聰亙監督の『狂い咲きサンダーロード』、洋画であれば『トレインスポッティング』、テリー・ギリアムの『未来世紀ブラジル』、リンクレイターの『スキャナー・ダークリー』とか…ね。ここまで読めばお分かりのように、SFでもなんでもないのも入っちゃってたりするわけです。重いのだと、グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』とか『順列都市』、リラダンの『未来のイヴ』、海野十三、小松左京の『果しなき流れの果に』、ドストエフスキーの『地下室の手記』(なぜ?)とかで。まあ、門戸は広いというのはわかっていただけたでしょうか?

 今回扱った作品は創元SF文庫から出ているJ・G・バラード作『ハロー、アメリカ』(もしくは集英社から出ている『22世紀のコロンブス』)という作品です。アメリカが滅び去った22世紀に、世界中にばら撒かれた過去のアメリカという幻想に取り憑かれた男たちの繰り広げる狂気のロードノベルであります。読書会とレジュメではSFの歴史をたどりながらJ・G・バラード作品のSFとしての特異性とおもしろさについて扱いました。受験戦争という狂乱と偏執狂の時期を乗り越え、日吉という虚飾が覆うノイローゼなサバービアに計り知れぬ幻想を抱いてしまう時期にはぴったりの作品であると思いますのでぜひ暇があれば読んでみてください。また、少しでも興味がありましたら、いつでもサークルに遊びに来てください。



レジュメと会員の反応、感想


SFについて少しおさらいしましょう。

・1960年代中頃からに主にイギリスで始まったSFにおける新たな動きである。

・イギリスの雑誌「ニューワールズ」の編集長、日本では『この人を見よ』、『白銀の聖域』、「エルリック・サーガ」で有名なマイクル・ムアコックのもとに集まった作家は、SFを新たな場所、価値へ導こうとしていた。
・中心人物としてJ.G.バラード、マイクル・ムアコック、ジョン・ブラナー、ブライアン・W・オールディス。アメリカではそれに同調する作家として、トーマス・M・ディッシュ、ジョン・スラデック、ハラン・エリスン、ノーマン・スピンラッド、ロバート・シルヴァーバーグがいる。
・一つ前の世代のフィリップ・K・ディック、A.E.ヴァン・ヴォークト、アルフレッド・ベスターなどの再評価。(ディックなんかを見ればわかるように思索的、非物質的な部分を重要視していた。)

「ディックとバラードだけが読むに足る作品を書いている。」(オールディス)
全く、その通りです。(一同苦笑)

→これらの動向はひとまとめにニューウェーブとか言い表せられます。
―世代交代とともに発生するSFの十年ごとの革新の一つであると同時にSFを根底からひっくり返す大きな出来事でもあった。→いつまで続いたのか?

*日本では、、、荒巻義雄、山野浩一、日野啓三、大原まり子、筒井康隆に影響。もしくは括られる。(現在で言えば飛浩隆なんかが入るんじゃないかという感想がありました。)


新しい波

・旧来のSF
 :冒険、探検小説、科学小説、未来像ほか→「未来予測から社会的外挿を中心に発展した「外宇宙」」(柳下毅一郎)であった。
:因果律の存在(ディック)=科学と現実の存在

・新たなSF
:「思索的想像力を駆使した「内宇宙」」(柳下毅一郎)(イナースペース)へ
:「非物質主義的、倫理的、モラル的な観点から人間社会の価値を問い、人間と環境、人間と人間の関係を精査し、そして心理学的、形而上学的な色調」(SF百科図鑑)
―内宇宙とは非物質が自身を含む外宇宙に与える影響を中心に描いた作品であるもの。(中心作家:感じシルヴァーバーグ、ムアコック、ディックなど)
→ただ、さらに上の定義を突き詰めると人間の心理的な部分での内部を探って行くことになり、作風は実験小説的、詩的になることも。その極北がバラードである。〜シュルレアリスムとの関係など(バラード、バロウズなど)
→「目に見える物の論理を不可視の存在の支配下に」


動機とSFの定義再び

なぜこのようなことが起きたのか?
―世代間闘争(新たな価値観の模索とそれを達成したい強烈な自意識の存在)
+時代の要請(科学と文明に対する反感、(SFに影響を与えないわけがない。)、外宇宙に対する悲観的な態度(戦争、環境運動、消費社会)(後付けでもある。)
:モダニズムの前進と科学の繁栄→挫折と価値相対のマニエリズム(精神錯綜、価値破壊、社会混乱)の時代へ(浅田彰)から生まれた産物。科学→ヒト、思索へ

→いつまでこの運動は続いたのか?
先ほど述べたように10年の間隔の革新の一つである。
大きく見てみると、価値が飽和し科学を再び受けとめねばならなくなった時代、科学が身体へ「侵害」を始めた時代(浅田彰)まで?
→2000年あたりで区切りがつくのではないか?+90sの最後のニューウェーヴ的イベント
→新たなミレニアムへ

「なにが彼らに、世界の終末は近いと信じさせたのかね?」
「知るわけがないだろう?理由なんかない。彼らは発狂したのさ」
「こんなに大ぜいが同時に発狂できるのか?」
「もちろん」
「それで、彼らは世界の終る日付を知っているのかい?」
「紀元2000年1月1日」
「もうすぐだね。なぜまたその日を?」
「新しい世紀、新しい千年期の第一日だからだ。どういうわけか、人間はそのときに大異変が起こると期待するらしい」
ロバート・シルヴァーバーグ『時の仮面』(浅倉久志訳)

では、今、そして未来のSFとは?
ゴールデンエージの価値観に戻って行くということはないのか?
―科学に対する直感的な、誤解に基づく懐疑の時代は終わり、さまざまな問題をはらむ科学の力がそれら自身を一つ一つ解決してゆく様をみた人々はますます(嫌々ながらも)受容するようになっているのではないか。
→科学が人に侵入しつつある。
―あらゆるものに対する、フィードバックは考えられているのかもしれない。しかし、ニューウェーヴに似た大きな動きで、深く人を考察するアプローチはあるのか?むしろ、人自体が変わって行く時代に入りつつある。

(会員からはループして30sの価値観に戻ってゆく、そして科学の飽和とともにニューウェーヴが再び訪れる、現在の陰謀論的(反科学)なヴィジョンがニューウェーヴに似ている、などの感想がありました。他に人が必ずしも中心的な価値観でなくなって行き、ループから逃れられる最初のきっかけなのではないか、コンピュータやAIなどによる計算力の加速により新たなストーリーが得られるという急進的な意見もありました。)


J.G.Ballardを読む 22世紀のコロンブス

・客観と主観の間で、
結局、イナースペースってなんなんだ?主観小説?→超主観小説?
―イナーワールドとは「外世界と内世界の溶け合う場」である。
→つまり、外世界と内世界の溶け合うレヴェルに応じて無限の世界が生み出されてくる。
「SFなのかよ?」(世界を探求して行くということ。)
(サイエンスフィクション自体を否定した面もある。)
→深層に存在する内世界に取り込まれた外界は「意味と機能性が取り外された」イメージの「物質性・純粋性」(大橋洋一)としてある。それがさまざまな方法によって取り出されようとする。ハロー、アメリカなどのバラードの中でも比較的読みやすい小説では主人公の内面や欲望としてさらには風景として表出される。バラードの小説ではグロテスクで退廃的なシーンが提示されるだけのように思われるが、それは主人公や作家を構成する第一の部分なのである。

―(この説明をしたときに出てきたがやはりディックに似ているという感想。確かにディックも不可視世界や自身の内面が外界をどう受け止めているのかというのを重要視していて、自身のヴィジョンをしばしば作中に登場させている。だがディックの場合それが物語やSFガジェット、宗教的な啓示として表されることが多い。バラードの地点に立って見れば啓示になっている時点で深層のイメージが捻じ曲げられているのではないかということにもなるだろう。そそがさつさがディックの魅力でもあるんだけれど。)
―(私としましては、バラードの小説を読むときは、提示されたイメージを再度読者として自身の深層へと落とし込んでゆき自身と照らし合わせるその気持ちよさを味わってほしいと思います。また、イメージから浮かび上がるかろうじて読者が対象化できる主人公を確認してもらいたいと思います。何言ってんだか。)

→ハロー・アメリカとは一言で言えば、先ほども述べたように主人公のアメリカに対するイメージの集成なのである。独立宣言以来の核と金融と重エネルギーと気候変動と戦死者と薬物と政治対立と西部劇とハリウッドスターとブロードウェイとラスヴェガスにただならぬ感情を覚えた主人公の意識下の欲望によって再構成されたアメリカの反映なのである。ここで面白いのはやはりアメリカがテーマとなっていること。ひろく、アメリカとはイメージと広告の伝搬から立ちのぼって出来上がっているようなものであり、他の国やものを取り上げるよりもさらに虚構ということが際立っている。さらに、再構成されたアメリカは文字通り人工的に作られており、イメージによって成り立っているアメリカという存在を再確認させる働きをしているのではないか。


会員による感想

(カントの授業を受けていたという会員。哲学もカントの時代になって、人間は物事をどうアウトプットするのか、人間の思考とはどうなっているのかという根本に立ち返ったと言う。確かにバラードの自身のヴィジョンやイメージをどうしたらアウトプットできるのかと言うのは考えに考え抜いていた。それがコンデンストノヴェルとか破滅三部作というやつでして。気になったら読んでみてね。)

(リドリー・スコットの映像化について。まだほとんど情報は出ていないが、創元SF文庫の帯にリドリー・スコットで映画化決定と書かれている。『ブレード・ランナー』、『高い城の男』の映像化を観測してきた身としてはなんか違くねということで満場一致。)

(どうしても出てくるのが、実際の45代大統領が古き良きアメリカのイメージを重要視したトランプだということ。アメリカンドリームというイメージが強烈なエネルギーを生み出すということが現実でも確認されている。)

(短い割に読むのに時間がかかる。←知らん。アクション、ミステリー、サスペンスと結びついた今のストーリー重視のSFに比べると読みにくいのかもしれない。)

(全てがメタファーに見えるという感想があった。例えば自由の女神像が倒されているとか。それについては自分の感じたものを特別取り出して読んで良い読書体験にしてほしい。あまりプロットや中身に触れられなかったのはすんません。)

(同じように幻想で成り立っている場所として秋葉原なんかがあるんでねえかという話になる。これが感想の中だと何だかんだ一番盛り上がったかなあ。ハロー、アキバ。マンソンは誰になるんじゃ…?)

 さまざまな感想が混じり合い、カオスな空間に。読書会はいつもこうである。結論などない。

 その後映画『てなもんやコネクション』を鑑賞する。



三月二十八日読書会



引用/参考文献

「J・G・バラード追悼特集解説」柳下毅一郎(S-Fマガジン2009年11月号所収)

「やさしいバラード」牧眞司(S-Fマガジン2009年11月号所収)

「テクノロジーの誘惑―結晶の美学、絶滅の倫理」浅田彰 日野啓三(ユリイカ第18巻第六号所収)

「オブ-シーン バラードの<ハロー・アメリカ>」大橋洋一(ユリイカ第18巻第六号所収)

『SF百科図鑑』ブライアン・アッシュ(編) 山野浩一(日本語版監修)(サンリオ刊行)

『時の仮面』ロバート・シルヴァーバーグ(浅倉久志訳)A HAYAKAWA SCIENCE FICTION SERIES No.3248(早川書房発行)

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