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【私とお能 : No.1 】 マリア様がみてる。世阿弥様もみてる。

「私とお能」エッセイ

このコーナーでは部員やOGOBから集めた「私とお能」に関するエピソードをご紹介しています。

マリアンヌ・ゴリ子(H31卒)

私と能の出会いは、中学に入学したての4月。念願の中高一貫校でのことだ。

千葉の田舎で地味にぼんやりと過ごしてきた私にとって、生まれて初めての女の園、東京の学校、清楚で可愛いセーラー服、授業の初めと終わりの掛け声の「ご機嫌よう」...
どれもこれもが少女漫画で憧れた景色と重なり、当時の私は完全に舞い上がっていた。気分は完全に、少女漫画のヒロインのソレである⇩。

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だからこそ、部活動選びには真剣だった。青春の1ページは部活動でこそ紡がれると、漫画にあったからだ。候補が絞られる中、一際強烈なインパクトを放っていたのが “能楽部” だった。

なんと雅な部活動…!    お揃いの紺色の袴…!!   可愛らしい淡色の着物…!!!  
なんと言ってもこの凛々しく知的な感じ…!!!!
能楽部、いいんじゃない!!!!!!!!!!!!!!!!???????

当時の私には、ビビッときた。
しかしながら周囲の反応は全く違った。まず、親からは渋い顔をされた。クラスの友人たちも「能楽部だけは無いよ〜!」と冷ややかだった。最後の砦と思っていた祖父母ですら「もっと現代らしいことをした方が良い」と、かえって説得されてしまった。まったくの想定外な反響にちょっと残念な気持ちだった。

一方で別の誘いにも魅力を感じていた私は、能楽部ではない部活に入部することにした。それはそれなりに、愉快で充実した日々が待っていた。

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転機が訪れたのは中学卒業を目前に控えた3月。卒業生に向けた歓送会のステージ発表を鑑賞中のことである。

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プログラムの中には能楽部の発表もあった。そして正に能楽部の出番を見ていた時、グラっときたのだ。

今度はトキメキではない。東日本大震災である。経験したこともない建物の揺れに、周囲から悲鳴も上がり、只事ではないと思った。

しかしステージ上の部員は、誰一人謡うのをやめない。ステージに落下物が降る中で動きを止めることなく、粛々と舞い続けていた。今でも地震の記憶に負けず印象に残るほど、忘れられない光景である。異様な状況の中でただ舞い続けるその姿は、堂々として、どこか神々しささえ感じたからかもしれない。

長い歴史の中で、災害や戦争があっても無くなることなく継承されてきた能楽。逆境にある時こそこの芸能が必要とされてきたのではないかと、能の持つ本質的な価値を少し理解できた気がしたのだ。あの揺るぎない舞姿は、確かに魅力的だった。今度こそ「能楽部に入ろう」と決めた。

これが、私と能楽のはじまりである。

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