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コメダ珈琲に安堵する

おはようございます。
今日も食日記ご覧いただきありがとうございます。


週末いかがお過ごしでしょうか。
僕は昨夜もお腹を壊し、夜な夜なトイレに4度も駆け込んだ末、今朝の寝起きが最悪でした。
体調大切にしましょうね。


今日の食日記

食には懐かしさや安心する味という付加価値的な思い出を詰めて記憶に留めておくことができる。

もちろん、美味しかったー、甘くて幸せ、ぐったり酔うのも幸せ、そんな美味しさの詰まった幸せは記憶になるのだが、ふと、お母さんの作るカレーが食べたいなとか、地元の夏祭りの焼きそばが食べたいなーなんていうのは、美味しさ以上にその時の家族との時間や喜びの瞬間が凝縮されているのだ。


そんな食体験の記憶は、海外に行っても同じで。
留学した時には、お醤油を探したし、持って行ったインスタントのお味噌汁はなによりも情景を日本の香り記憶、安心に帰させてくれた。

食の記憶にはそんな美味しさへの幸せのひとときと同じくらいに、流れた時間の中で味わった会話、匂い、季節、本当に色々なものが一つの宝箱のように詰まってしっかりと腕で抱き締めるように記憶からなくなることは無いのだ。

そんな食体験を、地元から離れ関東で暮らす今この就職した瞬間に心に刺さるほど味わい、家族や友人に会えない代わりになるほど、ホッとする時間をそのお店はくれたのだ。

地元が名古屋の僕は、コメダ珈琲といういかにも町の喫茶店が、僕にとってのこの上ない喫茶店そのものである(ご存じだろうか。関東にも時々見ることはあるが、やっぱり名古屋のように各駅にありますよなんてほどローカリティーはないようで)。ことに気がついた。

一人暮らしを始めて早4ヶ月。名古屋に帰る日もあったのだが、やっぱりまだまだ地元が恋しくなることだってある。ふとあの名古屋駅の雑踏を見たいなーなんて日もある。



今日のお店

その時、コメダ珈琲の看板を見つけたとき、違和感の後から、大きな嬉しさが込み上げてきたのだ(なんだろう。働いている人も間違いなく名古屋の人ではないはずなのに、そのおじさん、色味、いつものコメダ珈琲を見るだけで、安心感に震えたのだ)。

青空の下、なんでかこのただのコメダ珈琲の看板が衝撃的なほどエモく映ってしょうがない。懐かしさ、から込み上げる寂しさに何故だか涙腺が緩みかける。
引っ越してきてもちろん名古屋の友達はないわけで、少しホッとできる心の拠り所を見つけたような気がするのだ。

カランカランっと店内へ。

変わらない内装、香り、その景色に驚くほど励まされた気がした。

もちろん地元ではスターバックスだってコメダ珈琲と同じくらいの頻度で行っていたし、他のカフェにだって当たり前のように行っていた。

でも、このコメダ珈琲の背中まで包み込んでくれるソファの安心感、熱々のおしぼり、店員さんのエプロン、それらの情景全て一つのコメダ珈琲でこれまで過ごしてきた記憶となって今の自分を心から体まで包み込んでくれる。温もりが半端ではない。

特段コメダ珈琲愛が強いという訳ではないのが事実であるが、でもそれよりもコメダ珈琲で過ごした時間と匂い、その記憶が唯一無二で優しいのだ。

久しぶりのコメダブレンド。変わらないホットコーヒー、小袋の豆がついてくるんだった。
カリッカリっと食べながら、熱々の湯気のいつも通りの香りを食べるようにホットコーヒーをゆっくり啜った(そう、これぞコメダの思い出の味)。

お供に選んだスイーツは、やっぱりシロノワール一択でしょう(ミニの方ですが、ちょうど良いのだ)。


ミニシロノワールという抜群の選択肢

このふわっとの現れるもう美味しいと感覚が語る魅惑のスイーツ。とろりとシロップをかけるのだ。

一口頬張れば、冷たい!とアイスクリームに驚くが、ほっかほかの軽いデニッシュのような厚切りパンがホクジュワッと冷たさに止めれない(止める必要さえない)。
パクパクとアイスクリームが溶ける前に食べ切るために少し足早に食べるのは名古屋民の癖なのかも。

束の間の休日の運命的な出会い。
これまでなんとも思わなかった当たり前のコメダ珈琲店が、喫茶店として離れた関東で現れ、おなじサービスをくれた。


なんでかな、この味と香り、全てが心ホッとする要素だったのだ。
やっぱり地元を食で味わえる、ホッとできる、食体験はすごい。



美味しいひとときに、ごちそうさまでした。
では、また次回。



今日のお店:コメダ珈琲店



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