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最期に会いたい方はいますか?

先週も1件、自宅で最期を望む高齢者の方をお看取りをさせてもらいました。在宅医療に携わっていて、いくつもの季節を重ねていますが、季節と季節の変わり目が一番お看取りになることが多いというのが体感値です。私の友人も体調が少し悪い、という話を同時期にされていましたが、気温の変化や台風などの気圧の変化は総じて我々の体に変化を与え、ギリギリまで灯してきた命の火に影響を及ぼす大きな事象なのだと感じます。

さて、私は看取りの技術について自分なりに体系化をして日々言語化に努めていますが、そのうちの1つに、最期に会いたい方がいないか確認することを重視しています。急変だと難しい面がありますが、いよいよ予後が1ヶ月以内と判断されるようなタイミングでよくお声がけさせてもらっています。

人によって様々で、最期に会いたい人が遠くの親戚の方というケースもあれば、お孫さん達、自分が育てたお弟子さんという方もおられました。皆さん、お会いになることができた後は口を揃えて会えてよかったと言われます(ご自宅で大事な人に会う、というイベントは、大変な自宅での闘病生活、介護生活の中でも満足度を上げる印象です)。ある方は、大事な人に会うことができた翌朝に亡くなられ、私の方でご自宅に訪問し、お看取りさせていただきました。

こうした最期に会いたい人を考え、会うという行為は、いよいよそういう時なのだと家族に受け止めてもらうプロセスでもあり、思い残すことが少しでも減るような精神的な意味合いの緩和ケアとして提案させてもらっています。痛みをとる、呼吸の苦しさをとる、という薬物治療・酸素治療などと並行して入れていきますので、在宅緩和ケアの両輪とも考えています。

他にも最期に〇〇を食べたいという本人の希望、最期に〇〇を食べさせたい、という家族の希望に許可をするケースがしばしばあります。癌の末期状態や老衰の経過の中でこうした食事を許可してしまうと、人によっては誤嚥してしまうリスクはあるのだけれども、一口だけでも味わいたい、味合わせてあげたい、という最期の晩餐の願いを叶えることは、これまでの経験上、本人の美味しいという笑顔や、食べたいものを食べさせてあげられた、というご家族の満足は計り知れない印象を持ちました。

どのタイミングでこうした提案をしていくかは本当にケースバイケースです。いろいろな在宅医療での経験から早すぎてもダメだし、遅すぎてもダメな感覚があります。このタイミングかな?というタイミングを見定めて声をかけるのが、まさに自宅看取りに携わる専門職としてのプロフェッショナルな部分が求められるのだと思います。

在宅医は、水先案内人的な要素がありながら、最期を自宅で迎えたいと思うクライアントに応えていく演出家みたいな要素があると思っています。言葉がけの1つ1つにご本人・ご家族も呼応し、感情を左右させるため、本当に日々の研鑽の重要性を感じます。

私の在宅医としての日常は、多くの患者さんとご家族の特別なエピソードに日々取り組んでいく非日常のものなのだと改めて感じる内容の共有でした。

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