小説「ぼくと ぱく しらいし」4
4 まゆみとぱくとぼく
年が改って新年の祝いがまだ冷めやらない頃、ちょうど共通一次が終わった1月15日に片桐さんの母親に呼び出された。「色々有難うございました。吉高さんには本当に感謝してますわ。一次試験の結果は良好みたいです、この調子でいけば本人も二次に望めば本人希望の千葉にいけそうです、本来なら。」そう言えばまゆちゃんはぼくに以前千葉大の農学部について話したことがあった。それが母親曰く、「どうもね本人は違ったみたいなのよ。」どういうことですかとぼくは即座に聞いた。彼女は大学に行くよりも専門学校に行きたいと方針を変えているということだった。「都内にある専門学校の願書を既に取り寄せていて、大学進学よりも積極的なの、パパには何も話してないし、だからその時あなたにもいて欲しいのよ。」それは有名なアニメーターを輩出した実績のある学校で国立大学の二、三倍の学費がいるらしかった。ただ期間は2年で、どちらかと言えば短大に行くようなもので、親としても何か腑に落ちないものを感じているらしかった。そりゃそうかも知れない、ほんのこの間まで国立の一校のみ受けるしか顧みなかった娘が、研究に没頭して大学院に進学しバイオ関連で博士号取って、という夢を描いたこともあったのにアニメという別世界を志向しているなんて考えられないことなのだった。母親にしてみれば親族か友人の誰か数人には既に大学進学について一言二言話しているらしかった。それをのっけから訂正しなくちゃいけない羽目に陥っていた。ぼくはまゆちゃんからは直接聞いてないですが、彼女の意思を尊重しますと言った。進路は彼女自身が決めることだし、その選択がそのまま彼女の人生で幸不幸を分けることにもなっていくからだ。そうか、まゆちゃんがアニメ作家を目指しているのか、全然知らなかったなぁと可笑しくなった。それが彼女の秘密だったのか。何かを失うということは、何かを見出すことなのかも知れない。
明日もう一度来て下さいと頼まれ彼女宅に行くことになった。父親を含めての「三者会談」に立ち会うということになったのだった。彼女にとっても、そして母親にとってもそれはとても荷が重いことなのだった。そこで第三者であるぼくが選ばれた分けだ。
ぼくはそれはそうと白石さんはどうだったんだろう、という素朴な問いが生まれてきていた。医学部に入れる実力はあるはずだし、それを修正してはいないはずだ。でもそこにぼくの出番もない。ただどこに通うことになるのかという情報も全く入らないことが一抹の不安を煽った。
ぱくが会いたそうだったし、その点を質す意味からも今年初めてぱくに会ってみようと思った。ぱくなら白石さんについて何か知っているかも知れない。
三者会談は無事終了というか、女性二人に絆されたというか(ぼくは男だけれど父親の味方になれない)娘の気持ちだから仕方ないという父親の弱い部分が突かれて引き下がった感じだった。ひょっとして父親も相応の秘密を抱えているのかも知れない。いつだったかまゆちゃんにお母さんってどんな人って尋ねてみたことがある。彼女は少し考えて、何でも自分の買いたい物を買っていつの間にか冷蔵庫の中にあるのを忘れていて腐らせてしまう人。つまり自分が本当に食べたい物っていうよりも、それを買えるだけの自分が誇らしい人なの。いつも娘に見られている母親がいるように父親もそうなんだろう。父親の存在についても聞いてみたことがある。すると休みの時なんか食卓の椅子で朝、足を組んでコーヒー飲みながら新聞を読んでいる時の表情が威厳があってカッコ良いけど、何だか近寄り難いところがあって、やっぱり相談しにくいかな?ということだった。つまりぼくには気軽に相談出来ても父親には直接相談するにはハードルが高いのだそうだ。
バレンタインデーには片桐家に招待され、給料とチョコを二つもらった。給料を頂くことは実際大学進学に寄与しなかったのだし気が引けた。ぼくはぱくと遅めの初詣に行くことになった。それは2月も中旬を少し過ぎたあたりになってからで、季節はそろそろ春の匂いがするようになってからだった。彼もまだ行きそびれていたし、元旦は人出が多いのに閉口していたから川崎大社とか成田さんなど人出が凄い所は避けていた。どこへ行くかということで思案した挙句、代々木にある金吾龍神社に参詣しようということになり、JR代々木駅で待ち合わせをすることになった。二人ともその神社へ行くのは初めてのことだった。
ぱくは積極的に人と交われない性質の男だった。生まれつきなのか立ち入れない部分もあるが、それを打ち消すだけの素質も併せ持っていた。彼はメンサの一人だった。日本にも一定数メンサ会員がいて活動を行っている。何人かは事業を立ち上げて会社の社長になっていたり、会員同士で活動も行っているようだ。ぱくもその会員の一人らしかった。世界の有名人の中に飛び抜けて才能があって通常の進学ではなくて飛び級している人がいるのは知っていたけど、身近にいると何だか嬉しいというか我ながら頼もしくなっているのを感じた。そんなぱくが何故ぼくを今必要としているんだろう。ぼくはただの普通のどこにでもいるありふれた大学生の一人に過ぎない。もしかして、白石さんから何か言伝でもあるんじゃないかと思ったりして代々木駅にその日の朝九時には着いてGallery11というカフェに入って朝食を摂った。待ち合わせの時間にまだ一時間はあった。そこに彼女が来るんじゃないか、なんて想像すると落ち着かなくなった。
ぱくに店の所在地を知らせておくと十時少し前に彼一人で現れた。彼は手ぶらだった。バッグとかぼくみたいに手に提げたり背負ったりするのが嫌いなのだ。ズボンの後ろポケットからしわくちゃになった長沼伸一郎の物理の入門書を出しただけで、それは中古でも売れない代物になっていた。ケータイのアプリで精算する類いなのだろうか、財布も持っていないのかも知れない。彼女がいないことを少しがっかりしているぼくの心中を察してか、彼は座るなりすぐさま言った。「しらいしさんの事でしょ?」ぼくはいえ別にと誤魔化したがIQ上位の彼は人の心も見過ごさなかった。彼はぼくをじっと見たまま促している態度でいるので、ぼくも「あそうだった、白石さん、大学どうだったんだろう?」と白々しく頭を掻きながら話を向けた。彼はにやっとした顔をしてぼくを真っ直ぐに見た。「しらいしさんはね、ちゃんと医学部合格して、今は一人旅でもしてるんじゃないかなぁ」と話すので、すかさずぼくは「どこの大学ですか?」と尋ねた。「あ、東大の医学部に決めたと思う、他にもっと行きたい大学があったなら別だけど」ぼくは、どこでも良かったけど、とにかく医学部に入れて良かったと思った。
「しらいしさんには君にあったことを伝えとくよ。会うことは知ってるから」ぼくはえ?そうなのと、どっかでまだ彼女と繋がっていることが少し嬉しかった。 「この間しらいしさんが言ってたよ。早く一人前の医者になって君を食わしていかなきゃとね」ぼくは少し照れた顔をして話題を変えようとした。ぱくはすかさず「どこかで彼女に会ったか聞きたいんじゃないの?」と先回りかけて質問した。「それだったら、大学でだよ、入学前に用事があったみたい」と平然と巧みにその会話を繋いだ。ぼくは少々窮屈な気持ちになって彼に最近何か資格を取ったかどうか聞いた。「宅建取ったからTストラテジストの勉強しているよ。古風な言い方だけどぼくは君のメッセンジャーさ。しらいしさんに君となら馬が合うと言われてたから連絡したんだけど、君にもslackのグループに入ってもらおうと思っているから、slackもちろん知ってるよね、アプリ入れといてよね」とやや早口になって話した。メンサ会員でもある彼がslackを通じて今何をしたいか、とか、在学中に起業する話とかぼくにはやや先進的な話を一方的に聞かされた。それから生成AIが文学賞を取るのは時間の問題だと思っていたとも話した。既に囲碁や将棋の世界では既にコンピューターが人間を凌駕しているし、生成AIによるJポップスや小林秀雄を覚え込んだ批評家が現れることも有り得るわけだから予想していたよ。ぼくは面白い話だと思って相槌を打ちながら彼の話の中に入っていた。いつの間にか二時間が経過していた。
そろそろ神社に行こうかと誘ったのはぼくだった。彼は話に夢中になると止まない質だった。そしてその日には無事初詣と称するものを二人とも達成することが出来たのだった。
春になればぼくは白石さんにも会える気がしていた。その間(ぼくと白石さんの間)に、ぱくという人間が介在している。今も、きっとこれからも。彼と別れてから一人で例の秘密のプライベート空間でi-Padを駆使してしS F短編小説を描いていた。
ぼくはいつもメモや日記に使っているコーネルメソッドノートの開いた扉にそっと ぱく しらいし と書いてみた。
※見出しの写真は、金吾龍神社の公式X(旧twitter)公開の写真です。
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