小説「キャッチ&リリース」 2
2 相合橋
少し茶髪で流行りのバサバサにした髪で体型は中肉中背ってところか、身なりはカジュアルっぽい半袖の無地の白カッターシャツに、いつも中に長袖のTシャツを着込んでいるけど、若者にしても少し背伸びをしているように見える。中に長袖を着るのは片腕の刺青を見られたくないからだ。何せ客商売だから秘密にしておきたいものもあるのだ。先っきから一人相合橋の北詰を少し内に入った通りでサラリーマン風の男に盛んに声をかけている若者がいる。この場所は、大阪のメイン通りである「堺筋」から一本西側にある「千年町(せんねんちょう)筋」があり、もう一つ西側にある「玉屋町(たまやまち)筋」の南北道路に位置していて、道頓堀川の上には「相合(あいあう)橋」と呼ばれる橋が架かっているんだ。(詳しくは地図で説明したほうが良さそうだけど今は省くね)付近にはラーメン店の「金龍」や焼肉店その他飲食店はじめカラオケ店が入った雑居ビルなどが立ち並んでいるから、その辺を通りかかったことがあるかも知れない。
川沿いの道頓堀商店街側は地上階で入口を設け、地下になる川沿いの一段下がったリバーサイドが寛げるスペースとして使っている店もあり、見渡せばその辺りは道頓堀川に面してラーメン店やちょっとしたレストランや昔ながらの老舗の店などたくさんの店がずらっと並んでいて、夜の帳が下りると川面に光を映してほんとに綺麗で、デッキで夕涼みをするカップルの姿も見えたりするほど。
その相合橋では夕方になれば結構客引きがどこからともなく現れる。一軒目で気を良くした酔客は、二軒目の「当て」を彼ら客引きから直接に仕入れることが多い。「どっか当てあります?」の「あて」。客引きが通行人にひと声かける。いつもその言葉から始まるのだ。その声の掛け方も実は人それぞれで、特に決まったものはない。自分が先輩のやりかたを見様見真似で覚えて自然に身に付いたものだったりする。以前はよく関東から来た観光客やビジネスマンらがまるで「風物」の一つとでもいうように「キャッチ」を期待している向きもあった。
その客引きはいつも一人で行動していた。仲間内では富田一郎は「イチロー」と呼ばれていたけど、もちろん富田一郎そのものが偽名だと彼は知っている。友達の間でももし偽名を使ってたりしたらちょっとややこしい。客引きで本名を名乗る者など殆どいないのは分かる、特に警察や指導員には。身を守るためと思っているところがあるのかも知れない。大学生である身分を隠している者も偽名を使うのは大学にバレたりするのを嫌がるからなんだろう。
単独で客引きをしている者が偶にトラブってしまうことがあるけど、そんな時に役立てるには「ケツモチ」と彼らが呼んでいるヤクザを利用することだそうだ。その段階で彼らは単にアルバイトの段階から半グレへと「成長」するのだけれど。
その二十歳に行くか行かない年齢の「イチロー」に会ったのは、彼が大阪市の取締りをする部署に配属された平成27年の4月だった。その部署はすでに前年の平成26年の春には少人数体制ではあるが、様子を見ながらの取締りを行ってはいた。まあ聞きしにも勝る客引きがミナミのそこら中にそれこそ「無法地帯」化して通行人の前に立ち塞がるように、無理にも店に引っ張ろうとしていたのだから。道頓堀と言わず戎橋、宗右衛門町界隈では「キャッチ」と俗に言われる客引きや仕事の斡旋を行う「スカウト」が道ゆく通行人に声をかけまくっており、迷惑だから取り締まって欲しいという声が商店街の人達を中心に通勤客や市民の中にも日増しに増えていた。その頃知事から市長になった橋下徹氏が、全国に先駆けて新しく市条例を作る作業を終えていたのを期に、予算を付け十分な取締りが出来るように二十人体制でスタートさせたものが「客引き等指導員」だった。
大阪市役所の四階に市民局がある。その階の東の隅にそれまで使わなくなった椅子や清掃道具やらを置いてあった十畳くらいな広さの一角を彼らの拠点として当てがい、デスクを置いた。「何やこんな隅っこがうちらの根城でっかぁ」と呟く者もいた。そこに座る取締りメンバーのキャップは、府警察本部の生活安全部に属する警部の八代課長補佐と警部補の瀬渡係長であった。指導員のトップには18人を率いる既に退職していた元警部で67歳の神野主任と、同じく元警部の66歳の小峠主任だった。彼らは今でも「それにしてもあの頃は舐められっ放しやったわぁ本間に」と述懐する。前年形上発足したミナミの繁華街をつぶさに観察しても今だに好き放題していた客引きらが、それまで誰も何も言われなかった「シマ」を今度は急に立ち退けとか出来ない相談だった。もちろんヤクザそのものや彼らの息のかかった連中が、敵愾心を露わにして戦いに挑むといった表情でぶつかって来ても珍しくわなかったのだ。その十八名の指導員の中に彼がいた。出身は交通や地域、刑事、生安などまちまちだったが、彼は地域課でパトカーや通信指令室などを経験した元係長の野島で、特に現役の頃職質にかけては特有の勘をもち最も得意としていた。それでも違反者に対しても分け隔てなく挨拶し、いたずらに敵を作らず、少年を諭すようにやんわりと言葉を選んで声をかける人間だった。それは、彼自身が自惚の強い若者の一人だったからで、彼らの中に似たようなヤツを見つけるとどうしても心を許してしまうのだった。
ミナミの飲食店で業界の者の挨拶は皆一様に「おはようございます」だから、それに彼も従った。仕事は昼過ぎからアメリカ村を巡回して、夕方には一度帰所して夕食を済ます。本格的に彼らが仕事に出ていくのは午後7時からだ。昼の巡回コースが1万歩、夜の取締りでも歩くから2万から3万歩を稼いでいる計算になるが「歩いて稼ぐ」仕事だった。
ある日彼は神野主任が京阪淀屋橋の駅を降りて地上に上がり橋を渡って市役所に入ると、そのまま四階まで階段を上がる姿を目にした。それを毎日続けていることが分かり、それ以後辞めるまで自分も真似をして他の職員のようにエレベーターを使うことはしなくなった。
あまり知られていないが大阪市役所の地下一階にはコンビニや飲食店、郵便局もある。彼はファミマでまずコーヒーを飲むのを日課としていた。「現場直帰」の金曜は私服で、通常の制服は白の長袖ポロシャツに紺ズボンにスニーカーといった出立ち。帽子は軽いキャップ帽。チョッキには後ろに英語で「Osaka City」と記されていて、誰かが彼に道を尋ねたら、もし困っていたら、懇切丁寧に教えることで応えることにしていた。それは「地域安全グループ」という彼が今属してい部署にいるという誇りでもあった。中国人であろうと英語圏の観光客であろうが同じ扱いだった。言葉が通じなければ勉強して少しは話せるようになった。分け隔てのない行為を彼ら客引きも見ていると信じているからだった。
イチローは今日も同じ場所に立っていた。声をかけてお客が案内を希望すると、まず宗右衛門町の通りにある案内所へ連れて行く。そうすることで彼の今日のバイト料が入ることになるからだ。学生の彼はなぜかいつも一人で行動していた。彼を一度「挙げる」積りの野島であったが、大抵はイチローが先に野島を見つけて挨拶をするのが通例であった。
イチローとは違ってグループで客引きをしている者達も結構多く、いわゆる「ガールズ」と呼ばれる連中は二人以上の複数で客引きを行い、ガールズ・バーへと客を連れて行く。多人数で同じ場所に留まってしつこく客に声をかけ続け、成功するまで居続けることは足がかりになるけれど、いろいろ危険も付きまとう。
偶々ある客引きが通りかかり、そこに客も道や店を探している場面に遭遇してうまく引いて行ったりすることもある。引くに好都合な場所というのもある。それは宗右衛門町なら通称マンモス交番と呼ばれる道頓堀交番の前の十字路、戎橋の南詰で戎橋交番の前辺りと北詰辺り、そこから少し西に行った御堂筋に面した辺りなど。通りで言えば、「道頓堀」「宗右衛門町」の東西道路で、それらの場所に共通しているのは通行人が南北に移動するときにどうしても通らなくてはいけない場所である。
先月も二人の酔客が彼の前で通りかかり、彼から声をかけられ、ちょうど二軒目の店を探しているところだったので客引きの誘いに応じてしまった。相合橋からはその案内所まで歩いて五分もかからない。初めて入店することが多い案内所の中は殆ど何もない、ただあるのはパネルのみ。お客の好みに応じて六畳ほどの部屋の中に見えやすいように仕切りがあり、案内パネルはスナック、バー、ラウンジ、風俗店、値段の安い店から高い店まで好みに応じられるような配置をしてあった。イチローは店の入り口までで、すぐに元の場所へ帰って行った。案内所の入り口でバトンタッチした店員は表向きの黄色い派手な背広をまとい、ペコペコと頭を下げたり丁寧に説明した後、男性客の一人が「若い子がいて、ぼったくりやなくて手頃な感じのいい店あるかな、近くに」と言うと、店員は希望に応じたパネルを指差しながら店名を告げ、去年の夏にオープンしたばかりで店内は綺麗で若い子も揃っている、しかも良心的なリーズナブルな価格ですと、知りうる限りのボキャブラリーを駆使して案内した。「それじゃあ頼むわ」と客が言ったことで直ぐに彼らの前に立ち案内を始める。宗右衛門町から英国館を曲がり玉屋町筋を北へ少し歩くと「クインズコート」という煉瓦色のビルに至る。店員が客になった通行人を案内したとしても違反にはならない。「事後行為」だからだ。そのビルの四階フロアの一角に目当てのバーがあった。バーの名前は「葵」という何だか和風な名前で、入ればさぞかしお座敷的な拵えをしてるんじゃないかと恐る恐る中に入ると、何の事はないただ広い空間にソファをこの字型に設えたボックス席と、カウンター席に客一人いるだけで、フロアは二十畳ぐらいで広くもなし狭くもなしという感じだった。他に全く客がいないことで店主であるママが男達をフロア席に案内した。非常にゆったりした寛げる空間に男達は満足していた、ある客が入るまでは。
男達は、会社の上司と部下の関係にあった。ひと通り仕事の話から下世話の話に移り、酒の勢いもあって二軒目のこの店で次第に上司は気を良くしていよいよ部下の現在付き合っている彼女の話を聞きながら、半時間ばかり経過し水割りを飲みながらうんうん頷いていた時だった。ドアが開き、かなり大きめの男たち三人が所狭しという出立ちで入ってきた。当然いよいよ盛況になってきたそれまでの話を打ち切ってドアに佇む男たちに注意が移った。
ママが駆け出すような勢いでドアから中を伺う男たちの方に向かい、「あら、いらっしゃいませ、どうぞどうぞ」と中へ促すとともに、これまで独り占めしていたボックス席を開け放して、ボックス席に映るように男達に言ったので、男達も仕方なくカウンターに移動して話を続けた。
その一連の動きをそれまで気づかない程大人しく一人カウンターで呑んでいた客が見ていたのだろう、すかさずに男達に「あのぅ、私の知り合いのお店が東心斎橋にあるのでご一緒にどうですか?」と飲み直すことを提案する。
日宝プロムナードビルとかいう名称のビルは、そこから歩いて7分程度の距離にあった。行く道で、その急な案内人を引き受けた男は、自分はK大学の病院で勤務している内科医であることを告げた。案内所からクイーンズコート、そして東心斎橋の日宝プロムナードと移り変わることになるが、人生とは意外性と人との運命的なつながりを持っているものなのだ。
通常医師や弁護士と聞けば、社会的信用のある仕事であるからそれだけである程度心を許してしまうものだ。男達は会社という言葉を使っていたが、実は自分達は警察官であることを白状しなければならなかった。彼らはもちろん非番の日には仕事はしない。しかし情報はどこにいても入るし、翌日署のCMP(ミナミ特別警察隊)に行けば嫌でも頭がいっぱいになるくらい事件がらみの情報がもたらされる。
店の名前を「モネ」Monetといって、八畳ぐらいな雑居ビルの一階の部屋にカウンター席と僅かなテーブル席が用意されていた。客は二人おり、そこに三人の彼らが加わった感じだった。
その三十代と思われる若い医者は言う。「いやあ、大変でしたねぇ。あれはまずいでしょう、せっかくゆっくりボックス席で寛いでいる所を移動させられちゃってねぇ」とママに言うでもなく、二人連れ以外の客に言うでもなく少し声のトーンをあげて話した。
ママは、四十代だろうか、全日空の元エアアテンダントだったらしく、小綺麗で品のある顔立ちと清楚な出立をして三人の客を迎えた。
医者は名刺を二人のうちの年配の方に渡し、「こちらのお客さんね、無理矢理連れて来たんですけどね、ちょうど今春場所でしょう?それだからか知らないけれど、お相撲さん、三人もいきなり入ってきてねえ」とママに説明し、相撲取りの体格があまりにも大きいと身振りで表現した。
ママは「よろしくお願いします。ANAを退社して一年前にここにお店を出したんですよ。田村先生が言うようにいつでも自由にいらして下さいね」と頭を下げ、四人で乾杯となった。そして「へえ。そうですか南署なんですね、心強いです、天野警部補さん。いつもはね先生は女性を連れて来るんですけど、今日は違ったわね」と可愛くウィンクして見せた。
そんな話で盛り上がりつつあった彼らをよそに、先程のイチローはあの場所で都合十人の客を引き、また新たに別の三人連れを引いているところだった。3月のちょうどなか日あたりで、春の陽気も手伝いその日は金曜日で結構の人出があった。
午後7時を過ぎると、彼が自分で縄張りと決めている相合橋上に別のグループが現れた。最初は3、4人の男女がいたが、そのうち8人くらいに増えていた。彼らは二十歳前後の年齢でガールズの客引きだった。「飲みどうですか?飲み屋は?」そう通る人皆に盛んに声をかけている。そして彼らとは別に橋の北側のところにも5、6人のグループが現れていた。
彼らはそれぞれがいくつかの「自分」の店を持っている。それは、自分が客に紹介出来る店という意味である。ガールズバーであったり、逆に女性客にはボーイズ・バーがあると紹介したり、他にも手頃なスナックであったり、居酒屋であったりするが、チェーン店には行かない。いわゆる大手の飲食店や居酒屋は客引きなど必要なく、自然に客が名前のある店を看板で探したり、行きつけの店として選んでいたり、また現代ならインターネットで調べたり食の情報サイトで上位を選んだりする。無名な居酒屋には、多ければ数十人という客引きがおり、彼ら十代から二十代といった若者はグループを形成し、それぞれのグループ名で仲間意識でテリトリーを持つ。そしてそれぞれのグループで交流し合い、お互いに客を紹介し合うなどのこともしながら活動している。他人に負けたくない意識が少々無理をして、人より多くの客を引くのは自然の理屈で、勢いそれが仇となる。警察も彼らをターゲットにしているからである。
相合橋の北詰で何やら神妙な顔つきで客引きが数人集まっている。「おい、今御堂筋でアイツがやられたらしい」と仲間の一人が捕まったことを急いで告げる。明日は我が身だということを彼らも身を持って知っている。業界では「本官引き」と呼ばれるものがそれで、「オトリ捜査」と似ているが、進んで引っ掛けないからちょっと違う。本官を引くのは彼ら客引きである。
サラリーマン風の大人に「いい子いてますよ」とか「探してるんですか、3千円で飲み放題、いかがですか?」などと調子良く声をかける。毎日それこそバイトやってると、とにかく人より早く、少しでも多くの客を運ばなくてはいけないから徒に気持ちが大胆になってしまう。
その時も、声をかけられた男性らはそれに興味をそそられたのか「遠いんちゃうの?おっちゃんらしんどいねん、二軒目やから」「すぐそこです、案内しますよ、それやったらお客さん片手で可愛い女の子もいて、飲み放題食べ放題、二時間で一人5千円でどうです?」と説明し、その客を店前まで案内する。すると男性のうち一人がこう客引きに言う。「悪いけど、大阪府の条例あってな」。客引きはえ?となって「あちゃー」とそこでやっとピンときて首を垂れる。もう一人の人も刑事だと気づき行く手を阻んでいるのが分かる。きっとちょっと前に宗右衛門町の「パブロ」の前から御堂筋の方に移動した彼を警察は尾行していたんだろう、そう彼は思いだす。後悔しても、万事休す、である。
「大阪府公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例違反、第七条の不当な客引き行為に当たるから、現行犯で逮捕するからな」と告げられる分けである。彼ら若者も必死なのである。
この違反は市条例ではなく、府条例(通称迷防法)の違反で罰金があり、当然現行犯で逮捕するのが原則である。逮捕されれば、直ぐにどこからかパトカーがやってきて彼を南警察署に連れていく。乗るかそるか、捕まるか、捕まらずに上手に振る舞って大金をせしめるか。50万円以下の罰金で、初犯でも30万は食らうから市の条例とは格段に違う。
客引きは、一般会社員と同じくらい稼げる代わりに捕まる確率も大きい。極道が乗り込んで危険性もあるし、同業者の半グレから恐喝や脅しにあったり、情けないことにそれに屈する不甲斐ない自分のために助けを呼ばないとダメだったりする。稼いだお金をピンハネされたり、警察に被害を訴えることが憚れることもあり、同じ大学生であるのに社会人の裏の勉強をしているうちに、大学には行かなくなったり、バイトが元で悪の道に入り挫折したり、興味本位でクスリをやったり、将来ある身を正業より夜の道に転向する若者もいる。十六で客引きしている者もいるが、客引きだけじゃ女性を養っていけないとの思いからBARのような小ぢんまりした店を出して店長を目指す若者もいる。指導員がしばらく顔を見ない者がいたりして仲間に聞くと「あいつ警察に捕まったみたい」と言われ、何をしたのか他のグループの者に聞くと、オレオレ詐欺の出し子をしていたことがわかる。「特殊詐欺」と警察が呼ぶものは、高齢者宅などに電話をかけて誘い出す「かけ子」、キャッシュカードとかを受け取りに行く「受け子」、ATMでキャッシュカードからお金を出す「出し子」と呼ぶ者、など複数の役目が決められて、詐欺グループはネットでそのような役割を担うバイトの募集をかけるのだ。金額がいいし、短期間で稼げてしまうから大学生でもリスクを冒してでもやってみようとする。捕まらなければいいが、捕まれば前科が付く。危ない目をしてまで短期で稼ぐか、儲けは少ないが地道に稼ぐかどっちかである。大学の間に留学して資金を稼ぐ必要に迫られている者もいるだろうし、大学に入るのに既に奨学金を借り入れて返済の義務を負っている者もいる。だからバイトしなければいけない。
※写真は、大阪市役所の南側の遊歩道。スロープのところから多くの社員は出勤する。土佐堀川に面していて、秋の日は、道ゆく人を木陰と風が優しく包んでくれる。最寄りの駅は京阪電車の淀屋橋駅と大江橋駅及び大阪メトロ御堂筋線の淀屋橋駅。
👉今年(2022年)7月1日大阪府の客引きに関する条例が一部改正されています。
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