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小説「キャッチ&リリース」 3

3  龍央の場合

 イチローとも繋がりがある若者で、冨田龍央(りを)は今年二十一歳になる機械系の専門学校生であるが、学校が暇なのか友達から誘いがあったのか最近客引きのバイトを始めていた。彼が属しているのは最近ミナミで勢いを付けている居酒屋の客引きのバイトのグループで「トレニティ」と呼ばれているところだ。他に似たような居酒屋グループには、「キング」や「クイーン」、「孫悟空」や「TR」など乱立してそれぞれが競争している状況と言ってもいいくらいだった。彼らは割と学生が中心となった若者で横のつながりがあり、争ってまでするような面倒臭いことは好まない。だから条例では「禁止区域」になっていない場所を選んで彼らの活動エリアとしていた。最初に指導員に挙げられたのは、彼と同じ年の梨沙だった。彼女はよく指導員と挨拶するほど丁寧で陽気に振る舞っていたから指導員には評判がいいが、彼らがいなくなると禁止区域で仕事をするので指導員も狙っていたのだ。彼女が必死で通行人の男性を引き留めて、前かけのなかに忍ばせているプレートを見せて案内しているのを見逃さなかった。プレートは、客引きなら常時20枚以上は持っていて、どの店にも客の希望がマッチするように自分の店以外の店舗のプレートも持っている。指導員が近づくと諦めたように笑って頭を掻きながら素直に指導に従う。

 梨沙が捕まったという情報は、直ぐにLINEで系列のバイト仲間に知らされる。そしてそれは龍央の耳にも直ぐに入った。龍央は「禁止区域外」で活動する自分達のグループがそろそろ指導員の目に付くようになったのだと思いはじめた。通行人に声をかければ、どうしても移動しているので追随してしまい「禁止区域」に入ってしまうのだ。その逆に「禁止区域」が気に入った場所だとすると、逃さないためにそこで声をかけたくなる。そういう時に運悪く捕まってしまうのだ。
 ところで彼が案内した客については全て人数と時間が店のパソコンに打ち込まれていて、給料の支払いは「トレニティ」の経営者がやっている。この「トレニティ」というのはいつの間にか付いたグループのあだ名みたいなものであるが、彼らにしてみれば青春の1ページを他の友達と共有しているという特別の絆が存在する。ちょっとした焼肉パーティや夏の小旅行(海水浴とかキャンプ)やツーリングとかも出来れば一緒に参加して盛り上がりたいし、仲間のことは何より関心を持っている。彼らにしてみたらグループは、同じ船に乗り合わせた「運命共同体」といったら大袈裟だろうけど、それくらいな繋がりを感じて日々を送っていると言ってもおかしくはない。

 彼は確かに居酒屋系のトレニティに属していたが、彼を見ているとどこにも属さないタイプの若者だと思えてくる。つまり彼は自分を持っているから風俗系とか居酒屋系とかそんなところにも染まらない独自の領域をちゃんと保っているということなのだった。そこが彼が他の誰とも違う一種洗練されているものを持っていると思わせるところだった。「来年僕卒業なんです」と気さくに指導員の野島を見つけると近付いて来て積極的に話をした。既に就職が内定しているからバイトにもそんなに意欲もない。他の若者が欲しているような温浴野菜に浸ってみたり、アメリカンポップスやラップなどの音楽が好きな普通の若者であったが、違うところは容姿が良くいつでも雑誌モデルとしてでも通用することだった。女よりもバイク、と思いきやそうでもなかった。毎日のように次々とデートの相手を変えている。彼のお気に入りの女性に言わせれば「紹介された女がすぐに出来ると思ったら大間違いや」である。彼もその辺の若者と変わらない。至ってシンプルと言おうか、下半身は人格が違うと言おうか…。


 その頃戎橋から見通せる壁にある有名なグリコの広告板が変わったことがある。電子式の広告板でマラソンをランナーが走りしながら大阪城や御堂筋を巡るタイプになる前に一時的に綾瀬はるかがその看板に出ていた。

 道頓堀川にかかる橋は、グリコの看板がある所は「戎橋」で通称「引っかけ橋」と呼ばれている。相合橋と戎橋の間に「太左衛門橋」がある。戎橋、相合橋と太左衛門橋には汚いが公衆トイレが設置されている。ゴミ箱は戎橋の袂にはあるが直ぐに満杯になり、その辺に観光客や道行く人がゴミを捨ててゆく。外国から来た客がどこに捨てたらいいか知らないし、行政も長年放置しているから商店街の人たちが毎朝ゴミ拾いをするしかないのだ。赤字行政がこんなところにも影響を与えている。京都市が赤字財政であるのにあちこちにゴミ箱が設置され公衆トイレが完備されているのと対照的だ。広告TVを活用したトイレを作れば、もっと予算化され、綺麗になるんじゃないかと思う人が出てきてもおかしくはない。 

 戎橋より一つ西側の御堂筋沿いには「道頓堀橋」がある。ドンキーは宗右衛門町にしかなく、黄色い観覧車が再開したとちょっと話題になっていたけど、道頓堀橋の西側に2号店が出来て、道具屋筋の入り口に蔦屋書店がなくなった後に3号店ができていた。インバウンドの目的は、割と安いが品揃えのある「ドンキー」か百均の「ダイソー」で、服飾なら「ユニクロ」や少しカジュアルな「GU」、またそういった店の近くにもキャッチは現れる。心斎橋商店街の中で人混みに混じって声かけしたりするのだ。


 龍央が指導員から指導を受けたのは、戎橋上を大胆にも女性に声をかけ居酒屋に誘っている時だった。橋上は観光客で結構な人でいつも溢れかえっていたから、客引きでも近くに指導員がいたことに気づかないことがある。龍央は指導1回受けただけで客引きを辞めてしまった。一時は戎橋や道頓堀、御堂筋とかで徘徊していた彼が突然姿を見せなくなった。彼は他の学生とは毛色が違って、どちらかと言えばモデルやジャニーズ系の歌手のような容貌に近かった。指導をした野島も彼とは顔馴染みで、会えばいつも世間話をするのだった。彼は一年後には自動車メーカーでは日本一の会社に就職をしていた。それは内定通りで、普通なら数年もしたらそこに定着して将来を夢見ることもできただろう。だが彼はそんな普通の生き方は選択しなかったのだった。会社に就職してからも時々学生時代の仲間からお茶や映画やバイクツーリングや旅行に誘われることも多かったし、イケメンで人気も高かったので女の子にもモテたし、当時流行ったパリピ仲間からも誘いに乗っていて浮いていた思われていたとしても仕方がない。彼は関西から東京に進出して心の中で成長していた自分の別の夢を実現しようとしていた。その手始めに、誘われるままにスカウトしながら自らホストを始めた。これまでの油の匂いのブルーカラーの固い仕事から髪を茶色く染めた水商売に転向した分けだから、せっかく育て上げた息子を親が許すわけもなく絶縁状態になっていた。

 彼の東京進出は5年早かったらひょっとしたら成功していたかも知れない。彼が客引きで世話になった会社の社長も東京進出していたし、全国展開して自らの誕生パーティに有名な女性歌手を招待するのも影響していただろうが、いけなかったのは新型コロナの風だった。そんな風が日本に吹かなかったなら、彼の知的センスが今までの油の汚れた掌をきれいに洗ってくれただろう。3年後の彼は失意のどん底にいた。彼が走り回ってバイトした客引き時代の戎橋の風を感じた頃が懐かしく、その頃に馴染んだグループの仲間の顔が浮かんでも、彼を励ますよりかは、既に遠い昔の過去の出来事にしか感じなくなっていたのだった。そんな時誰しも人は、一本の電話を渇望するものだ。彼もそうだった。



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