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一つの童話「森の中で」

1  ある日 森の中で 虫たちが

 これはまだ今のように熊が人々の暮らしのそばまで現れて、人を食らうなんて

ことも全くなかった時代の話です。ただ母と娘が話しているのは現在です。

 ある日ね 虫たちが 闊達かったつな話をしているのを

聞いたんだって

 誰が?

と娘が聞く。

 猟師のおじさんが。

 昔はね、もっとたくさんの猟師さん、つまり熊や鹿やイノシシを撃って生

活している人がたくさんいたらしいんだけど。

 闊達かったつってどういう意味?

と又娘が聞く。

 自由でのびのびと、誰にはばかることなく話をしている様かな?

 その猟師さんがね、と母親の私が話を続ける。

 森の中で、大きな樹に隠れて聞いてたんだけどね。いつも虫たちが中々みんな

が一同に会することがなかったから、その夜は久しぶりで虫たちがたくさん集ま

ったから気持ちも高ぶってね。いっぱい話が盛り上がったみたいで..。

 そうしている時に突然こんな話を切り出したの。

「いよいよ この森も危なくなって 住みづらくなったからみんなどうだろう?

この森を出て べつのところへ移ることにしたら」それを云ったのは虫たちの

中でも最長老のカマキリだった。ほんとうはその森から誰も出たくないと分か

っていながら話をするのはとても辛いことだったから、カマキリも声が小さかっ

た。みんなもそう言う カマキリのジイさんの気持ちを知っていたから、すぐに答

えずにしばらく黙り込んだまま、誰かが何かを云うまで静まり返ってしまった

の。それまでは、みんなムラサキアゲハの誰かが水に落ちて溺れそうになってい

たナナフシの誰かを助けたとか。カメムシの親子が森の中で歩いていたら、人間

出会でくわして、棒持って追いかけられて命からがら逃げてきたこととか

今年あったそれぞれの虫たちの話題を夢中になって聞いていたんだけどね。

 それが、急に静まり返ったものだから、周りの虫たちの顔色を見たり、葉っぱ

をつっついたりしながら、ただ夜が更けていくのを黙って見ていたわけ。たまに

ドングリが落ちる音とか、露が葉っぱを滑って落ちていく音にざわめくことがあ

ったくらい..。それほどその夜はもうみんな黙りこくってしまって、誰も話を継ご

うとしなかったのね。

 だって、ここがみんなが長年暮らして最適な場所だったし、それにどこに行っ

ても同じ事じゃないかと分かっていたからなのよ。

 ほんとはみんな心の中は悲しみでいっぱいだったのね。



 そこでやっと話を継いだのは、メスのキリギリスのおばさんだった。

 初老しょろうだったからみんなもキリギリスのおばさんを信頼していて

ね。というのも、おばさんは誰にも負けないくらい働き者だったし、何かあった

時にはいちばん頼りになる存在だったから。

 この森はぶなの樹がたくさんあって、雨も森に降り注いで、水も豊富にあ

ったの。虫たちも落ちた葉っぱが重なって、湿った土の上で微生物がたくさんい

て、食うにも困らず生活していけた時代だった。

 つまり土の上には腐葉土ふようどっていう湿った層があって、そこに雨が降

り積もって、それが長い年月で虫とかの養分を蓄えることになるの。

 森に住む猪や狐や狸、熊や鹿やたくさんの獣たちを養うのに十分な豊かな森

が存在していたの。そういう森を人間も知っていて谷川が渓流となって、渓流が

やがて海に注ぐ。海にはプランクトンが出来て、また海の生き物を育てるのね。

 そういう植生しょくせいって言うんだけど、森の中の生き物が十分に生き

られるだけの生活圏が保証されていたわけなのね。つまり熊がドングリの実や葉

っぱや好物をいくらでも食べられたの。人間は林業という仕事をする上で最低限

守らなくてはいけない自然界の掟といったらいいのかしら、それをちゃんと動物

や植物のためにも共存していくようにしなくちゃいけなかったんだわ。

 樹は森を作り、森は動物を育てていたから。

 鳥やリスや鹿や熊が安心して暮らせていけるうちは良かった。

 その森がね、変わったの。

 あまり食べる物がなくなってきたから、動物もだんだん村に降りていくよ

うになったのね。

 それで動物の糞とかでこしらえていた土が養分をもらえなくなって、森全体が

やせてきた分けね。

 そしたら虫たちもやせた森の中で生きていくことが難しくなってきたのよ。

 そうやってずっと虫たちの話をじいっと聞いていた猟師のおじさんも何だかだ

んだん居心地が悪く感じてきてしまって、そこに居づらくなってしまった。

 虫たちを森から、動物たちを森から追いやったのは他でもない人間たちだった

から。

 おじさんは、そうっと立ち上がって、ゆっくりその場を後にする他はなかった

のよ。

 とぼとぼと、後ろから見たらおじさんの肩が落ちてるよう、何だか悲しそうに

見えたでしょうね。

 「自分にはなんもやってやれねえからなあ…」そうつぶやいて、また黙

りこくってさ山を降りていった。

 人間は、あちこちに水力発電を得るためにダムをいくつも作った。
 
長良川では魚道ぎょどうって言ってね、魚が通る道をこしらえたんだ

けど。

 ダムが出来ると、生態系が変わるから、昔川にいたタニシもね今はいなくなっ

てしまったし、ウナギやサケが海に行って再び元の川に戻るという自然のサイク

ルが狂ってしまったのね。おまけに今は昔は日本でいなかったような外来の魚や

昆虫や生き物が入ってきてるし。

 電気は必要よ、そりゃ。ろうそく点けて勉強するわけにはいかないからね。道

を舗装して、車を走らせて、どこへでも行けるようになったけど、壊れたものも

あるのよね。それを人間は「発展」とかいう言葉で表してしまうんだけど、よく

考えないと、取り返しがつかないことになってしまうから。

 最近では風力発電のブレードが空間を陣取ったり、太陽光発電のソーラーパネ

ルが森を切り拓いて自然を壊してしまっている。

 美しい景観を壊しているだけじゃなくて、森に住んでいた動物たちや虫たち、

鳥たちが自分の領域で守ってきた場所まで追いやられることになってしまったの

よ。もうそろそろ限界が来てるのかも知れないね。

 そばで真剣に話を聞いていた娘は、いつの間にか眠ってしまっていた。



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