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小説「ホーチミン・シティ」2

2  初めてのホーチミン・シティ

 ベトナムのホーチミン・シティに私が着いたのは、2015年3月12日の正午過ぎだった。それまで滞在していたカンボジアのシェムリアップを発ち、空路タンソンニャット空港に降り立った。

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 市の中心部に位置する、由緒ある「ホテル・コンチネンタル・サイゴン」には予定通りタクシーで向かった。

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 ホテルに着いたら電話をくれるように友人からあらかじめ言われていた。彼女の名前をsmile meとしか知らない私は、要するにネットの中だけの友達で、まだ会ったことがなく、彼女について知っていることは、以前は日本の自動車ディーラーに勤めていたが、今はそこを辞め雑誌などの記者をしているということ、数年前に結婚して小さな娘が一人いるということくらいだった。顔はあらかじめ写真を見て知ってはいたが会うとなると何となく気恥ずかしいものだ。ベトナム語を解しないからまず英語でしか意思疏通はできないし、うまく会話ができるのかという懸念があった。 
 私は今回平成元年生まれの息子を連れており、息子に対しても彼女のことを何と説明したものかと思いあぐねてもいた。到着したというメールをしておき、ホテルにいると早速彼女からケータイに電話があった。もうすぐホテルの前に着くという。荷物を整理していた私は慌てて部屋からロビーに向かった。

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 壁に掲げられた古い写真を眺めつつしばらく窓越しに通りを見ていた。このホテルの沿革や歴史を写したモノクロ写真で、それらを見ているとやっとベトナムに着いたんだという実感が沸いてきた。                  ロビーにいたボーイが私に気さくに話しかけてくれた。大切な人を待っているのかと、目配せして私と一緒に外を見た。
 すると女性が通りを一人歩いて来るのが目に入った。隣に立っていた彼もニヤっとした顔をした。直ぐに彼女だと分かった。通りに出て挨拶すると、彼女もすぐに私だと分かったみたいだった。殆どお互いのことを知らずに異国の地で異国の人と出会って話をするのは不思議な気がした。彼女にまず聞いた。近くで通貨を交換したいが両替店を知っているかと。
                                     それはホテルのほど近くの街角にあり、直ぐにそこまで案内してくれた。そこで円をベトナム通貨のDONにいくらか換えて(彼女からあまり多くベトナム通貨に換えないようにというアドバイスがあった)、通りをはさんだカフェに二人で入った。

 何だか落ち着かなかったが、たぶんそれは息子をホテルに一人残してきているからでもあった。彼女はShin Haと言った。(Haは日本語で夏だ。)彼女も今夜は息子さんと一緒に過ごすのがいいと言ってくれた。それから、解らないことを質問して、と彼女が言い、いろいろとベトナムの街のことを教わった。彼女が回答できないことは知人の日本人女性に電話するなどしてくれた。そうすると次第に緊張もほぐれて、明日荷物を送ることにしたい、過去に中央郵便局から送った日本人がいるという話をすると、彼女が案内すると言ってくれ、私は有難うと言い、彼女は see you later と言って別れた。彼女にも家庭はあるし、引っ張ってもいけないとその時の私は考えていた。
 それで息子が待つホテルに戻り、一階ロビー横のレストランでその日の夕食を息子と二人ですることにした。バイオリンとピアノ演奏が奏でる空間はこのホテル特有の特別な落ち着いた雰囲気を醸し出していた。肉料理にビールを呷りながら、ホテルの通りを隔てたところにある公会堂の前にバイクを乗り付け集まっている若者たちをそれとはなしに眺めていた。

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 日本ならさしずめ暴走族を連想するところだが、彼らは心優しい若者たちで、普通にニケツ、三ケツは当たり前で、バイクの多さはカンボジアの比ではなく、通勤事情を知れば確かにそれがベトナムの人の生活そのもので成る程と理解もできるのだが、それでも自分はここでは車を運転できないと思ってしまう。用意していた国際運転免許証もここでは法律上(ウィーン条約)使えない。それでもこの地で見た強烈な印象は脳裏に焼き付いた。昔嗅いだカーバイドのにおいのように、決して忘れることができないだろう。

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 白い長い車体のリムジンがホテル前に停まった後、視線を再び室内に移し私と息子が彼らの演奏に聴き惚れているところに、彼女からメールが入った。

 いまホテルに向かっているという短い内容だった。私は驚いて、慌てながらも息子にそれを伝えたが、ベトナム人の彼女が誤解したのか、私が英語の解釈を誤っていたからなのか、何れにしても時を経ずして彼女がやって来る。
 ホテルの一階にあるレストランにいることを伝えると、しばらくして彼女は私たちを見つけて近づいてきて、私を挟むように座った。彼女は飲み物だけを注文し、結婚式を挙げたのはこのホテルだと話した。

 やがて息子は部屋で先に休んでいるといい、私と彼女は外に出掛けることになった。ベトナムの夏の夜風が私たちを包み込むように吹いていた。彼女はマイカーで来ており、ホテルから歩いて数分のところにある駐車場に日本製のコンパクトカーを駐めていた。私は助手席におさまった。 
 実は助手席はひょっとして生まれて初めてかなと照れ笑いしながらシートに収まり、ベルトをかけた。夜の街を、あの縦横無尽に走るバイクの列に囲まれながらの彼女の運転には実際舌を巻いた。どうやってあの数知れないバイクの波の中に入っていけるんだろう。 

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 ここは台湾や中国と同じ右側通行だ。彼女は市街地からバイパスに進路を取っていたのだと思う。周りにはトラックも増えてきた。快適な走りで私は満足していたが、夜の町は彼女には慣れないらしく、かなり走った上、距離的に切りのいいところで引き返すことになった。特に当てはないが、気の向くまま手探りで進んでいた、或は少し心に迷いがありながらも進んでいた、そんな感じの運転だった。

 ドライブが終わると、私が昼間見て気になっていたビテクスコ・フィイナンシャルタワーというホーチミン・シティで一番高い建物に登ることになった。  彼女は車を駐める際に周辺にいる若者とベトナムの言葉で何やら会話していた。専用パーキングでなく、道路にとめても取締まりはないか気にしていたのかも知れない。結局車をそのまま路駐してビルのエスカレーターを上がり、それからエレベーターでビルの50階に着く。
 市街地や蛇行するメコン川が見渡せるカフェバーに入り、カウンターに落ち着くと、それは確かに満足する場所だった。                 二人は恋人同士のように薄暗い雰囲気のややセピア色をした空間の中でアイスクリームを注文して食べた。不思議だった。彼女は未だ独身の女性であるかのように振る舞っていた。

 彼女の名前について日本人の私が説明した。
Shin HaのHaは日本では夏であることを説明した。彼女は夏と言う名前を繰り返していた。私も夏と呼んだ。
 しばらく経って私は彼女に幸せかと聞いた。
何故そんな質問するの?と逆に尋ねられた。私はそれには答えずに黙って外の景色を眺めていた。彼女もその答えを返すことはなかった。


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