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ジョンの身になってみたメディスン

はじめに

2024.6.6のソワレ。
C-20という最前列でありジョンの目の前という貴重な席だった。

上手も上手なため、上手気味だったDのマイクの目の前、ジョンの表情が見えやすいEのセンブロ下手、Lの上手寄りとは違いオープニングからしてジョンの顔は斜め気味。初めて真正面から観なかった。

その代わりジョンの(ブースの)目の前だ。
これはもうジョンの身としてみてよう。
田中圭の役者としての役の生き方をみてみよう、と趣向を変えた。

これが私のトラム最終日だから。

次は大楽。
キャパも違う。
この贅沢はもう味わえないだろうから。

1.手と指と

精神面での病をもつ方のひとつの特徴として「手」というものがあると思っている。

それは、不安を感じた時に上半身の服の裾をにぎりしめたり、指どうしを絡めて握りしめるところだ。

また、通常ではありえないような指の曲がり具合。

そして、座った時には膝に手を置き猫背になる。

すこしタイトルとずれるがおちつかなさも不安の表れだろう。

今回目の前の役者、田中圭はその全てを表現していた。

ト書には細かな指示があるという。
だからこれらも支持のひとつかもしれないが、指示は指示。
具現化するのは役者だ。

そしてその生き様を目の前で見た私は素晴らしいと思った。
手が語る。指が語る。
正にそんな感じだった。

例えば、メアリー2が台本を投げ捨てるところ。
ジョンは必死に悔しさを堪えるかのように手を握りしめていた。
力強く。
でも不安そうに。
この塩梅がよかった。

一方で、メアリーに対しては手は緩めがちだ。

ここにみなさんも感じたであろうジョンの気持ちを見てとることができる。

そう、優しいメアリーは好き。
逆にトゲトゲした(本人的には色々抱えてるであろう)メアリー2に対しては無視という形をとる。

人間何が一番こたえるか。
それは見てもらえないこと。
無視されること。
いないものとされること。
だと思う。

ではジョン自身はどうか。

彼自身がそうだったのではないか。
施設に入る前、存在はしていた。
が、いじめられる存在。虐げられる存在だった。
逆に消えたかったかもしれない。

そんな彼がメアリー2に自分がされて嫌なことをしてしまう。
病からくるものか。
長い施設暮らしがそうさせたのか。

否。

私はジョンは単に優しさに飢えてたのだと思う。
お風呂にまともに入らせてもらえなかったことしかり。
両親からの愛情と呼べるものはなかった。
だからこそ、メアリーの優しさにふれて嬉しかったのだろう。
メアリー2のトゲトゲしさがいやだったのだろう。

2.好きと嫌い

1番わかりやすいのがプリンのくだりだろう。

ジョンは1で書いた通りメアリーは好きだ。
メアリー2は嫌いだ。

というのも、メアリー2には必ずといっていいほど終盤まで部屋に入るとき、出るとき、風が吹く。嵐のような。
これは私の友が言っていたのだが、この部屋がジョンそのものではないのか、と。
正しいのだろう。
そうであればあの風も納得できる。
何しろジョンはメアリー2を嫌っている。自分の心に触れて、テリトリーに入ってきて欲しくないのだろう。

今回の席ではこのスモークまじりの風を感じることができ、スモークでメガネが曇りさえもした。
一瞬でそれは消えたが。

こうしたことによりジョンの心に寄り添えた気がした。

さて、最初にもどって、プリンのくだりだ。

メアリーが運んできてくれた薬を素直に飲むジョン。
なんなら嬉しそうですらある。
そしてプリンを食べる。
歌にもノル。
段々とプリンの魅力が勝つ。
そうなるといくら音楽が奏でられてもリズムを刻まなくなる。
心がプリンにもっていかれたからだ。

メアリーが歌っている時のジョンはノリノリだ。
が、しかし、メアリー2の時はオシャレをして部屋からでてきた時から無関心だ。
歌なんてまったくリズムを刻まない。

行動にも表れる。
メアリーが倒れようものなら近づく。この時の手のひらも開きがちだ。不安な時は両手を軽く握る。
逆にメアリー2には近づく素振りなどまるでない。

また、ブース内。
私がいった日は扉が比較的大きくあけられていた。
ここがネック(俳優 田中圭を見られなくなる)瞬間だと思っていたら見られた。
現に私の友の時は一番端ということを除いても、あんなに開いてなかった、と6日の観劇の時に言っていた。

そして、ヘッドフォンをつけるジョン。

そこへ後のメアリーズが入ってくるがどこ吹く風のごと無関心だ。
ペットボトルの飲み方も、リアル田中圭と違い、こぼさないよう神経質的にのんでいた、と思う。
こんなにも色々な音が響くなか、ジョンは無関心。というか、インタビューに向き合っていて気づかない。

恐らくあれだけの音だ。
普通であればヘッドフォンを付けていても漏れてくるのではないだろうか?
そう思った時、ジョンの孤独さをものすごく感じた。

無関心なのでは無い。
孤独なのだ。
唯一の楽しみであるこの日。
唯一話し相手がいるこの日。
唯一孤独ではないこの日。

目の前にいるジョンは外野の騒がしさのなか、ゆっくり唾を飲み込む。
美しい所作だった。
唯一ジョンから田中圭を見てしまった瞬間だ。

とはいえそれも一瞬のこと。
孤独なジョンはヘッドフォンの声に耳を傾け、時に喋り、ブースという個室=孤独の中でジョンは必死に生きていた。

3.ジョンという男

この舞台。
解釈は観客に委ねられている。
私は朝夜と、それこそメディスンを飲んでいる。
そのため、マチネが多かった今回、どうしても薬の眠気がやってきてしまった。

だが最後のソワレ。
朝の薬からだいぶ経っていること、田中圭という役者の目の前だったこともあり、全く眠くならなかった。

そのおかげで不揃いだったピースがやっとそろった。

ここで意見が二分するかもしれない。
果たしてあのメアリーズは存在するのか否か。

私は初回以外存在すると思っている。
毎年1回はインタビューの日でもある。
その時に合わせてこのジョンが大切にしていた台本にあわせるため役者が呼ばれたんだと思っている。

最初にメアリー2が100回はこの舞台をやってきたと言う。
これが最後のどんでん返しに対する伏線だったのではないだろうか。

ジョンの実年齢は60代くらいであろうか。
1年に1回のインタビューであれば100歳になってしまうが、そこはメアリー2の皮肉なのだろう。
それだけ付き合ってあげてるという上からの目線に思えた。
なにしろメアリー2はジョンに対して高圧的であり(メアリーに対してもだが)台本カットのところなどジョンを煙に巻くようにして説得している。

こういうところもジョンがメアリー2を嫌うところなのだろう。

人間誰しもやりたいことの一つや二つはあるだろう。
私で言うなら短歌だ。
2024.10から始めたが詠むのが楽しい。これを勝手な理由でやめさせられたらたまったもんではない。

話を戻そう。

ジョンは作家を夢見てた。
だからこそ、劇をすることで、そのことをジョンに思い出させているのかもしれない。

そして退屈な毎日をのびのびと過ごす日でもある。
青白い顔をした人たちから逃れられる日でもある。
そうして年を重ねたジョンはこの日を繰りかえしてきた。

もう、悲しいという感情しかなかった。
こんなにもジョンに寄り添える日はなかった。

4.末路

結局ジョンは最後に雄叫びをあげることになるが、ここも圧巻だった。鳴り響くドラムと共鳴するジョンの叫び。心からの叫び。

出たくてもこの施設から何十年も許可が降りなかったこと、いまだいることを考えるとき、ジョンの嘆きの一端が垣間見える。

きっとこの先も許可は出ない。
きっとこの先も外に出ることは無い。

どれほどの絶望だろう。
どれほどの乾きだろう。

そう、垣間見えるが代われる訳では無い。そこがまた辛い。

私たちの多くは友達がいる。
自由に出かけられる。
だからこそ楽しみを一人でかみ締めたり分かち合ったりして発散をし、心のバランスをとることにもつながる。

だがジョンはどうだ。

楽しみと言えば年に一度のインタビュー。

人との交流がマイクごしであり、それすら監視とも呼べる。
ジョンは気づいてないかもしれないが。

だからこそ楽しみにする。
子供会の片付けのために時間を使いたくないほどに。

可哀想。
この言葉には言う方に優越感が生まれる。
だが、あえて言いたい。
ジョンは可哀想だ。

籠の鳥という言葉があるが、施設の人は籠の鳥だ。
そこには嫌なことにヒエラルキーも存在しているだろう。
世の中は残念ながらヒエラルキーでできている。
富裕層、貧困層しかり、正規雇用、非正規雇用もそうだ。

人は自分より下の人を見ると安心する動物でもある。
嫌な生き物でもあり、そういう風にして自己を守ることにもなる。
語弊があるといけないから書くと、皆が皆そうということではないだろうし、認めたくない部分でもあるし、言ってはならないことだ。

理由として、これはれっきとした差別に繋がるからだ。

ジョンはその差別のなか生きてきたのではないだろうか。
差別からは何も生まれないし現に傷をうむだけだ。
ジョンはいくつもの傷をまとっている。その傷が自分をこわしてしまったのだろう。
そう思えた瞬間、いや、ずっと、ジョンに寄り添い、ジョンに泣いた。

きっとジョンはあの施設で生涯を閉じるだろう。

ジョンにとってメアリーが聖母マリアであることを願ってならない。

おわりに

最後に舞台はナマモノについて。

舞台にはハプニングがつきものなのかもしれない。
だからこそ、何回も観たくなる。

ここではその場でしかなかったもの達を最後におまけとして。

机を片付ける際にコップが落ちる。
いつもより多めに落ちていた。

布に散らばったものを包んで運ぶ時に中からものが落ちる。思わずジョンとして「あ」という声が漏れる。

テープを剥がして捨てに行く時にスリッパにテープが張り付く。

素足のメアリーの足の裏に台本が張り付いたまま歩く。
どうするかと思ったら座り込んだ際にスカートの上から払い除けてた。

クラッカーのピンクの紙がジョンの身体中を一周する。これはどうするのかとドキドキしたらジョンが倒れた際、綺麗にちぎっていた。

2人ともさすがである。

カテコ3回目にとある方に対して、どうも、と会釈をする圭くん。
そう、最後は圭くんだった。

締めはわたし的ハイライト。
それはやっぱり「おパンツ席」について語らずにはいらない。
とある方はパンツが黒だとか白だとか見えたということだったが、私の時は際どいラインまで見えたのみ。
それだけで美しかった。
語調を合わせたが、帰りに友と盛り上がったことは語らずともわかるであろう。
ただ、いやらしい目で見たわけではないことは申し添えておく。
キャーーーー!!
だ。

メディスン。
それは見るほどにジョンの生きづらさを感じることなのかもしれない。
ジョンに特効薬となるメディスンが処方されることを願ってやまない。

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