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思い出の七夕祭り

以前某区が23区の中で唯一消滅都市に選ばれていたが、ただでさえ、超高齢化が叫ばれる日本、我が市はどうなんだろう?

私が住む市の七夕祭りはとある地域の三大七夕祭りに数えられている。
昔は必ずNHKニュースに少しだけとりあげられていた。のを、実は従姉妹から知らされていたのだけれど。

小さい頃の七夕祭りはとっても立派だった。
笹の葉さ〜らさら軒端に揺れる〜
の通り、笹の葉がしっかり下の方までついた大きな笹が使われ、各商店がそれぞれその笹に飾り付けをしていた。
私が住んでいた祖父母の家も商売屋さん。例に漏れず飾り付けをしたし、それが私の毎年の楽しみでもあった。

その頃は笹飾りと竹竿に吊られた大型の飾り、その吹き流し、全てがとてもキラキラしていた。
ただし、必ず2日間あるお祭り、雨が降るのよね。どなたかに雨男?雨女?がいたのかな?
ん?私か?!

小さい頃は祖母たちと飾り付けを見に行っていた。綿菓子が大好きだった。
我が家は神経質な祖母と母だから、露店で買ってもらう食べ物は決まって綿菓子だけ。それでも大満足。
ふわっふわな綿菓子が口の中にいれるとほわっと溶けてなくなっていく。甘くて幸せな瞬間。もったいなくて置いておくとしぼんじゃうから要注意!

そういえば、金魚すくいもしたな。ポイが破れるまで丁寧に金魚をすくって。
水槽にいれるんだけど、ポンプがないからすくえた金魚たちの夏は儚かったよ。
ごめんね。

毎年この時期になると、従姉妹が遊びに来て2人で浴衣を着てくりだした。
一人っ子な私は、数日間泊まるお姉ちゃんが来ること自体も夏休みの一大イベント!

夏の暑い時期、汗で吹き流しが首に付くのを払いのけ、飾り付けにわくわくしていた私はパッと払いながら従姉妹のお姉ちゃんと飾りの終点まで行っては折り返し、枝分かれした道まで戻ってはそちらを見て、最後は家から打ち上げ花火を見る、というのが毎年の恒例行事。

今は楽しむ媒体が多岐にわたっている。
スマホ、ゲーム、YouTube、配信、サブスクと様々。
この頃はテレビがせいぜい。うちはビデオを買ってもらうのも遅かったし。ってか、ビデオって今でも言いそうになるよね?え、私だけ?
慌ててHDDと頭の中で変換してツイするよ。

もとい。
だからお祭りの時は人がいっぱいでごった返していた。本当に小さい頃がお祭りの、単純に七夕飾りを楽しむ全盛期だったな。

そんなお祭りがいつまでも続くと良かったんだけど、この高齢化社会、御多分に漏れず我が市にもその波はやって来た。

三大七夕祭りだった我が市の七夕祭りがいつしか露店祭りになっていっちゃった。
商店がどんどん減り、飾り付けをするお店が減ったから。
お祭りを賑やかにするめに露店が増えていったのかな?

あの盛大だった笹も、悲しいかな、上の方にしか笹の葉がないものに代わり、軒端に揺れもしない。
飾り付けも規模が小さくなってしまった。

そんな露店多き七夕祭りが長年続いた頃、あの流行病が突然やって来た。
七夕祭りも無くなった。

それが今年、時間を短縮し、花火も露店もない七夕祭りとして復活した。

毎年あんなに賑やかだった人混みが消えた。

お祭りと言えば食べ歩きも楽しみの一つだろうし、花火もクライマックスだもんね。
それが両方ない。
ガードマン、準備に清掃に携わっ方、そちらの人工の方が高いのではないか?と心配するくらい。

それでも市は敢行した。
それは伝統を守ること、あの流行病に打ち勝つという意識、そういったものもあったのではないかな、と思う。
伝統を守るということは大切だけど、昔のような純粋な七夕祭りが楽しめない淋しさもあるな。

そんな中、飾り付けを作った消防団の方たちが楽しそうに記念写真をとっていた。
その笑顔はキラキラしていた。

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