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Soul Blue ~写真と生死について~

沖縄も日中はまだ太陽が痛いほどに照り付けているけれど、朝晩の風は涼しくなり、セミの声はあまり聞こえなくなってきた。夕方に近所で泳いでいて、海水はヒヤリとした冷たさを感じる、トンボが海面を飛ぶ。

こんな南国にも、秋の気配を感じる。季節は動いて巡っている。ゆっくりと、住んでいるがゆえに感じられることだとも思う。

最近、ずっと、生死について考えている。逝った父母のこと祖父母のこと、星野道夫さんの死のこと。美佐子先生のこと。他にも、先立たれた人たちのこと。

 そして、私は、二週間前に、沖縄で、とても親しい友人を、海で、眼の前で、突然に亡くしました。

その友人について、その死について、魂について、そして最後まで、自分がそばにいたことについて、その責任も含めて、考えが止まらなくなっています。
正直、心中がまだ穏やかではないがゆえに、考えてしまうのですが、むしろ日常も仕事も、いつもより、淡々としてできる。日常を過ごしています。

友人のことについては、もうここではこれ以上書きませんが。私なりのやり方で、ずっと考えて、やるべきことをやっていこうと思います。

そして、自分の心の備忘録としても、自分の写真作品のことについても少し書き留めておこうと思います。

私の写真作品は、2009年に発表した「Red Water」から「Soul Blue」まで、根底には「魂の行方」という自身のテ-マがありました。それは、Body&Soul から始まり、エロスとタナトス、人は死んだらどこへ行くのか? そこから信州の作品にも移り、人間にとって神様ってなんなのか? 自然とは? 命とは? 今までもそんなことを考えながら、写真を撮って作品を作ってきました。

私の作品は具体的でなく、つかみどころがないとか、スピリチュアル?もしや仏教徒?とか、しばしば、いろいろと言われてきましたが、笑。
まぁ、自分でも一番わからないところを、写真作品にできないかな?と、それは本能的に思って、やってきたところです。

でも、2009年に母が亡くなるとき、東京での「Red Water」 の展覧会が終わってから、あわてて病院に駆けつけた時、まだ最後の意識と息のある瀕死の母が、洗面器いっぱいに血を吐いたのを見て「おいおい、Red Water とか言って作品にしている場合じゃないぞ・・」と、その場でとても思いました。

その後「Soul Blue~此岸の日々」は逝った両親を想い2012年に作った作品集です。


Soul Blue 此岸の日々

「消えていくいまを、そこに在ったはずの光を、光の痕跡として記憶していたい、写真に残したいと衝動することは、いまを生きている私の本能だ。」 (野村恵子 ステートメントより)


ただ確かなことは、写真は残るということと、自分は、今は生きている、今を生きている。ということだけだと思います。ただ確かなことは、

今、私たちは生きている。そして、いつかはだれもが死ぬ。

ほんとに、けっきょく、それだけ、そう。

よく、私が写真作品をこれから作る人にワ-クショップなどでもアドバイスとしていうことですが、自分が求めているヒントも答えも自分の撮った写真の中にしかないよ~。
集中して心のままに撮って。そして。撮ったあとの写真をよく見て選ぶこと。なぜ選んでしまうのか? 後々にでも気づくから。

そう言い続けてきました。

先週、気持ちが、やはりつらくて子供キャンプでご縁のある星野道夫さんの本を始め、いろいろな本に、音楽に、人に助けを、答えを求めようとしたのですが、けっきょくは、自分の写真集の中に、はっと、気づかされた。という話でした。

そもそもだし、一生考えてやりつづけなければ。

忘れないよ。改めて肝に刻む。

しかし、本で、その魂のメッセージとはまた出合えて、美佐子先生とも、その歌声と三線でまたいつでも出合える。両親とはいつも一緒にいる。私が生きている限り。そうつくづく思う、今日この頃。
ただ、もう皆にふつうにも会いたいし、さみしいね。

2021年 8月末日                  野村恵子




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