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〜24タイプ論が教えてくれる自己認識〜

24タイプ論において自己診断はほぼ真逆なタイプに辿り着くという仕組み:

殆どの将軍さんは自分をお花畑さんだと、
殆どの前者さんは自分を後者さんだと、
殆どのラプンツェルさんが自分を姫タイプさんだという真逆の自己判定に辿り着くようだ。


これは、
ここには自分という人間を思いっきり真逆に認識していて、
思いっきり正反対の立ち位置を望み、
思いっきり自分ではない何者かになろうとしていたりするものだからか、チェックリストを見て正反対のタイプを割り出してしまうものなのだろう。


でもそれすらも、根拠のある、解説のできる現象だと遠藤氏は言う。

自分こそはふんわりした癒し系のお花畑だ、と言うのはそもそも前提(ここでは装備のことかな)が将軍さん過ぎてちょっとほんわかした自分を見つけては厳しく握りしめていたりもするという事だろう。
また、自分こそが守られる存在でポンコツで、、と自分の無力さが見えている人ほど、全く真逆のリーダー的立ち位置がしっくりくるなんて事があるわけだ。


自分への厳しい見張りポイントはそもそもの、その人の持って生まれた装備によってもかなり違ってくると言うことなのだろう。

なかなか自己診断は難しいのがこの24タイプ論の面白いところだと私は思っている。


相対的な世界で見てなのか、
絶対的な世界で見てなのか、
世界をそもそもどんな視点で見ているのか?
自分というものをそもそもどんな風に認識しているのか?

というところである。


そして言うまでも無いが
どのタイプにも優劣はなく、ジャッジは存在しない。

大体が自分とは真逆のタイプに憧れを抱いたり、理解に苦しんだり、気になって心配になってしまったり、ということが起こるようだ。



24タイプ論を用いて、
自分を少し俯瞰で捉えられる視点に立ってみる。

24タイプの世界をちょっと覗いてみたり、
そんな視点で改めて世界を見てみる。
という新しい自己受容へのプロセスであると私は思っている。


目的は自分を知ること、
自分の悩みやすいポイントを知ること、
自分の才能に気づくこと、
既に与えられてきた愛情や優しさに気づくこと、
自分もずっとちゃんと誰かをいつも愛してきた、と思い出すこと。


だろうと思う。




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