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【Story of Life 私の人生】 第69話:真夏の恐怖 Part 1

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第68話:栄養専門学校入学 をお送りしました。
今日は、夏休みに起こった恐怖の体験についてお話しようと思います。

入学してからわずか2ヶ月未満で1ヶ月半の入院という、想定外のスタートとなった栄養専門学校生活。
成績はともかく、初っ端から出席日数が怪しくなってしまい、両親からの「穀潰し」攻撃は結構キツくなり、不可抗力とはいえ「針のムシロ」状態となりました。
7月中旬にやっと退院することが出来たので学校に戻りましたが、この学校は職業訓練校ではないから、7月後半から8月いっぱい夏休みということで、数日学校に行っただけで夏休みに入ってしまいました。

さて、夏休みに入ってすぐのこと。
小学校・中学校時代にとても仲が良かった友達から連絡があり、本当に久しぶりに会うことになりました。
高校の頃は、学校も近かったから、たまに会って一緒に遊んだりしていましたが、私が全寮制の学校に入って以来、全く会うことがなかったから、それこそ2年ぶりの再会。
お互いの空白の2年少しの間について「キャッチアップ」をしました。

彼女は、小田急線沿線の4年制大学に進学しており、3年生になっていました。
色々と話をしているうちに、アルバイトの話になり「気になるアルバイトがあるんだけど、一緒に応募してみない?」と誘われました。
詳細を聞いてみると、職場は新宿の「社交ダンスホール」で、クロークとレジを募集していて、勤務時間は夕方4時半から夜11時までで夕飯付き。
勤務は、週に3日以上出来れば良いとのことでした。
夕方から夜にかけてのアルバイトだから、時給は当時で考えても破格に良い上に、座り仕事ということで、身体に負担は全くないし、2人一緒なら「帰りも怖くないよね」ということで、2人で一緒に応募して面接に行き、彼女はクローク、私はレジで採用されました。

私にとっては2年ぶりのアルバイトです。
高校生時代に蓄えた貯金を取り崩して、入院中も家賃や光熱費を支払っていたから、貯金は少しづつ目減りしていて、正直なところ少し不安を感じていたから、正に「渡に舟」の状態だったのですが、一方で「夜の新宿繁華街」で「遊び」ではなく「仕事」をすることに対して、少しだけ抵抗があったことは否めません。
とはいえ「お金を稼ぐ必要性」を感じていたから、仕事は仕事だと割り切ってスタートしたのでした。

仕事そのものは本当に楽チンで、集中的に忙しくなる時間帯も特になし。
レジを締める時にお金が合っていれば良いだけという、今までのアルバイトを考えても「本当にこれでこの時給を貰っても良いの?」というレベルでした。
また夏休みだったから、月曜から金曜までの週5日働いて欲しいと言われ、快諾しました。
アルバイトをスタートして1ヶ月位は、特に体調の異変も無く、友達と2人で楽しく仕事をし、ホールスタッフの皆さんや、ダンス教師の皆さんとも仲良くなりました。

8月後半の金曜日のこと。
所沢の防衛医大に定期通院に行ったのですが、夏の暑い日が続いており、アトピー性皮膚炎が、全身の汗で悪化していて、かなり辛くなっていました。
またその日は、首の数箇所に「水疱」のような出来物が出てきていて、涙が出るくらい痛くて…
最初は虫刺されか、汗疹だと思っていたのですが、診察の時に主治医の先生にお話ししたら「皮膚科に紹介状を書くから、直ぐに行きなさい」と言われ、診察してもらうことになりました。
この日の皮膚科の担当は、助教授の先生だったのですが、首の水疱には全く目もくれず、大きなカメラを持ってきて、私の「アトピー」部分を何十枚も写真に撮るだけ。
最初は何も言わずに「被写体」になっていたのですが、診察中に「水疱」の数が増えてきていて、どんどん痛みが出てきたから「あのー、この出来物がとても痛いのですが…」とお話ししてみました。
先生曰く「大人だったら、それは心配いらないから。それよりもアトピーだよ」と、全く相手にされない状態で診察終了。
結局は、アトピー用の効かない「ステロイド軟膏」を処方されただけでした。

診察は午前中だったから、一旦練馬のアパートに戻って、お昼を食べてからアルバイトに向かうことにしたのですが、部屋に戻るまでの間に「水疱」の数はどんどん増えていき、だんだん熱が出てきました。
金曜日だから「今日1日働けば、2日休みだ」と元気を振り絞り、お昼を食べてアルバイトに向かったのですが、仕事をスタートして直ぐに熱が出てきて、座っていられない位具合が悪くなり、早退させてもらうことにしました。
朦朧としながら山手線と西武池袋線を乗り継いで、アパートの部屋に戻り、熱を測ったら、何と40度!
その上、水疱は、頭や顔を含む全身に広がり出していて、全身痛くてたまらない状態となっていました。
熱で思考能力が無いから「救急車で病院」とは思いつきもせず、解熱剤を飲んでアイスノンを首に当てて寝て、熱が下がるのを期待していたのですが、結局熱は下がらず、水疱はどんどん広がって行く状態で、土曜日の朝を迎えました。

朝、清瀬にいる彼から電話をもらったので、具合が悪いと状況を説明したら、心配して様子を見に来てくれました。
私の顔を見た瞬間、彼が驚いて引いていたから「どうしたの?」と聞くと「顔が水疱だらけだよ!」と言うではありませんか。
すぐに病院に行くことを勧められましたが、金曜日に相手にされなかったという話をし、「どうせ相手にされないから、もう少し様子を見る」と話をしました。
今になって思えば、その時に病院に行くべきだったと思うのですが…

土曜の日、彼は寮に戻らず、アパートに泊まってずっと看病してくれました。
日曜になっても、症状は一向に快方に向かわなかったので、入院を想定した状態で、月曜の朝一番に病院に行くことにしました。
そこで1つ問題なのが、入院保証金です。
当時はコンビニにATMなんて無い時代。
意を決して家に電話を入れ、保証金を借りることにし、彼に付き添ってもらってバスで家に向かいました。
家に着いた時、私の「変わり果てた姿」を見た母は、冗談抜きで腰を抜かしそうになっていました。
どれだけ酷い姿だったのか、自分では分からないのですが、周りから人が消える状態だったのだろうなと思います。
食欲は殆どなかったけれど、母から「体力が落ちると治らない」と言われ、無理矢理ご飯を食べてからアパートに戻り、彼に手伝ってもらいながら、入院に必要なものを準備しました。
夜、彼が寮に戻ったところで、アルバイト先に「もしかすると入院するかも知れない」と連絡を入れて、熱と水疱の痛みに耐えながら、日曜の夜を過ごしました。

結構長くなってしまったので、この続きは次回お話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第70話:真夏の恐怖 Part 2 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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