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【Story of Life 私の人生】 第39話:中学時代の遠足

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生 
前回は、 第38話:幻の遠泳大会 をお送りしました。
今日は、中学生時代の遠足のお話をしようと思います。

一年生の時は、春と秋に遠足がありました。
春の遠足は、ゴールデンウイーク終了後すぐに、バスで三浦半島の西側の荒崎まで「ハイキング」に行きました。
小学校時代は、遠足で海に行くことは一度も無かったし、ハイキングといえば「山」のイメージがあったから、一体どんな感じなのか想像が出来ず…
期待と不安でいっぱいでした。
また服装も、全員お揃いの「芋ジャージ」を着て行くということで、なんだか新鮮で、不思議な感じで…まあ、制服といえば制服なのかも知れませんが(笑)

朝7時に学校を出発し、バス6台に分乗して三浦半島まで。
当時は、今のように高速道路も発達していなかったから、目的地までかなり時間が掛かり、11時半くらいに荒崎公園に到着。
ハイキングコースは、岩場が多いから、干潮の時間に合わせるということで、まずは公園の見晴らしの良い広場に行き、みんなでお弁当を広げて、腹ごしらえ。

お昼過ぎから、4キロくらい続く、シーサイドハイキングコースを歩くことになりました。
歩き出すとすぐに、小さくて狭い入江が見えてきました。
波が入江に打ち寄せた後、どんどん引いていくことから、「どんどんびき」と呼ばれているとのこと。
干潮に近い時間だったから、そんなに波が入って来なかったです。

ここから、磯に向かってどんどん下に降りて行くと、バンと絶景が広がり、テンションが上がる!
十文字洞を通り過ぎ、ハイキングコースを歩き続けていると、弁天島が見えてきました。

この辺りから、道らしいものが無くなり、岩場を歩くことになり…
転んだら痛そうだし、場所によっては滑るし、捻挫しそう…
恐怖心が少ない子達は、どんどん先に歩いて行っちゃうけど、私のような怖がりは、ゆっくり歩くしかない(笑)

暫くすると、頭をぶつけそうな岩のトンネルがありました。
先に歩いていた子達は、ここでおやつ休憩をしていました(笑)

トンネルを抜けて、少し歩くと、小さな浜辺に出て一安心♪
ここから暫くは、浜辺沿いを歩きました。

ここから先は、あまり怖いところは無く、海を見ながらリラックスモードで歩き続けることが出来ました。
小栗漁港を過ぎて、暫く歩くと、ハイキングの終点、和田長浜海岸に到着!
海水浴シーズンは、かなり賑やからしいけど、5月だから誰もいなかった(笑)

全員がゴールするまで、ここで自由時間となり、砂遊びをしたり、裸足になって波打ちぎわで遊びました。
点呼してからバスに乗り、東京に戻りました。
海のハイキング初体験だったけど、山歩きとは違ってアップダウンが少なくて、体力的には楽ちんでしたが、違う「ドキドキ感」を味わいました。

秋の遠足は10月中旬、小学校の時と同じような感じの山歩き。
東武東上線の東武竹沢からスタートして、金勝山〜官ノ倉山〜東武東上線の小川町までの縦走コース。
標高も高くないし、みんな男体山の登山を経験しているから、それとは全く比べ物にならないくらい余裕でした。

二年生の時は林間学校があったので、遠足は春だけ。
バスで千葉まで行き、潮干狩りをしました。
「かなり大きなアサリ」が、すごく沢山獲れました。
家に持ち帰ったら、それは「アサリ」ではなく「アオヤギ」だったことが判明!
まあ、それはそれで美味しかったのですが(笑)

三年生の時は修学旅行があったので、遠足は春だけでした。
5月中旬に久々の山歩きで、西武秩父線の正丸駅から、五輪山〜伊豆ヶ岳〜子の権現〜吾野駅の縦走コース。
「大して高い山じゃないから」と、みんな舐めてかかっていたのですが…
アップダウンがかなりきつく、歩く距離も長くて(汗)

途中、休憩やお昼休みが入りましたが、朝9時過ぎに歩き始めて、吾野駅到着が午後3時半くらい。足はガクガクで棒状態。本当にしんどかったです。
でも、景色は素晴らしかったです!

帰りの電車では、江古田までほぼ全員撃沈状態でした。
駅で解散だったのですが、私の家は江古田から徒歩30分くらい。
同じ小学校から来た子達は、さらに20〜30分掛かるので、帰りが一番大変だったんじゃないかなぁ…

中学時代は、海の遠足が2回あったことが、とても新鮮だったと思います。
荒崎のハイキングコースなら、まだ歩けるかなぁ(笑)
林間学校と修学旅行については、改めてお話ししようと思います。

〜続く

今日はここまでです。
次回は、第40話:林間学校 に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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