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【Story of Life 私の人生】 第30話:六年生 Part 4 〜 水泳競技大会と音楽発表会

こんにちは、木原啓子です。
Story of Life 私の人生
気がつけば、ブログをスタートして30話になっていました。
いつもお付き合いいただき、ありがとうございます。
前回は、 第29話:六年生 Part 3 〜 日光移動教室 をお送りしました。
今日は、六年生の頃の思い出のお話 Part 4です。
前回までは、大きなイベントにまつわるお話でしたが、今日は小さいイベントについてお話ししようと思います。

まずは、四年生からスタートした水泳、その後です。
四年生の最後には、なんとか他のみんなに追いつくまで泳げるようになった私。
五年生の時には、もう水泳が楽しくて仕方ありませんでした。
スイミングスクールに行っている同級生が沢山いて、羨ましかったくらいです。
我が家の家計事情もあっただろうし、無理して喘息がぶり返さないかという懸念もあったと思いますが、結局スイミングスクールに行くことはなく、水泳は夏場の学校の体育の授業のみでした。
それでも水泳が大好きだから、相当のめり込み(笑)
スタートの飛び込み、クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、ターンはマスター。
長距離を泳ぐことも出来るようになり、五年生では学校の級で一番上まで合格出来ました。
余談ですが、学校の水泳の授業では、バタフライは含まれていなかったので、これだけは最後までマスターすることは出来ませんでした。

六年生の時は、何と近隣小学校対抗の水泳競技会の選手に選抜され、他の学校に遠征し、リレーを含む3種目に出場することになりました。
国体選手だった教頭先生が監督となり、夏休み中は毎日学校で練習しました。

さて、大会当日。
五年生と六年生の選手は、学校からバスに乗り、15分くらい離れたところにある小学校まで行きました。
(余談ですが、私の小学校では一年生と二年生の大会が開催され、三年生と四年生は、別の学校へ遠征しました。)

大会は、平日の午後スタートだったので、その日の午後の授業は免除でした。
個人種目は「ビリにならなければいいや」程度で考えて出場。
気楽に泳いだのが良かったのか、どうにか決勝に進めました。
その時点で30人中の6人に入ったので「決勝ビリでも6位だ!」と、それだけで大満足(笑)
結果、決勝は4位でした。

リレーは、タッチのタイミングが難しかった…
それでも、私のチームは決勝で2位に入り、銀メダルをもらいました。
最初から、手取り足取り面倒を見て下さった教頭先生と一緒に、みんなで喜びを分かち合ったことを覚えています。
自分で言うのも何ですが、3年間での進歩は凄まじかったと思います。

次は、音楽発表会のお話です。
全校で開催される音楽会は、毎年12月に開催されていました。
クラス毎に1曲づつ発表するのですが、六年生は、発表会の最後に選抜メンバーで、トリに1曲演奏することになっていました。
私が六年生の時は「マイアミビーチルンバ」を、鉄琴2人、シロフォン2人、マリンバ1人の5人編成で演奏することになりました。
六年生全員が対象で、やりたければ立候補。
数が多ければオーディション。
鼓笛隊と同じシステムで、メンバーが選抜されることになりました。
音楽の授業で、マリンバの音に魅了されてしまった私は、どうしてもマリンバの演奏がしたくて、思い切って立候補しました。
幸い、主旋律が殆どないマリンバは全く人気がなく、オーディション無しで選抜されました(笑)

私のクラスからは、1人がオーディションでシロフォンに選ばれ、残り3人は別のクラスから。
男子は誰も立候補せず、選抜メンバーは全員女子でした。
クラスで発表するも曲は、それぞれ授業中で練習出来るけれど、「マイアミビーチルンバ」は、昼休みか放課後しか練習出来ません。
11月から、給食をさっさと食べて、音楽室で自分のパートを自主練習。
放課後は先生に指導してもらいながら「5人で合わせる」練習をするという日々が、発表会まで1ヶ月半続きました。
最後は「目をつぶっていてもいけそう」と思えるくらいまで仕上がっていたので、本番が楽しみで仕方ありませんでした。

当日は、体育館で全校生徒に父兄がずらっと観ているという、練習の時には無かった環境での演奏。
トリで発表会のフィナーレを飾る演奏なので、流石に緊張しましたが、ここまで練習してきたことに対する「自信」に後押しされ、完全に集中することが出来ました。
1ヶ月半の集大成、恐らくこの時の演奏が、これまでで一番の出来だったと思います。
演奏が終わった後、拍手喝采を浴びて初めて我に帰った感じ。
舞台袖に引っ込んでから、5人で嬉し泣き。
ここでも、クラスを超えた新たな絆が生まれました。

余談ですが、マイアミビーチルンバのマリンバパートは、鼓笛隊の小太鼓同様、今でもしっかり覚えています(笑)

これ以外にも、月1度近隣小学校で行われる科学教室に通ったことや、委員会活動など、色々な思い出があります。
それぞれで色々な学びがありましたが、書き出すとキリがないのでこの辺で終わりにしようと思います。
こうして振り返ってみると、六年生の1年間は目が回るくらい忙しかったけれど、嫌な思い出はほとんどなく、とても充実していたんだなぁと思います。

十条で小学校に入学し、スタートはバラ色だったけど、練馬に来てから一転、奈落の底に落とされたような一年生から二年生時代。
両親との関係も微妙、学校もいじめが酷く、喘息にも悩まされた日々。
最初のクラス替えを機に、少しづつ上向きになり始めた三年生時代。
やっと体育の授業に参加出来るようになり、教頭先生に支えていただきながら水泳を覚え「やれば出来る」ということを身をもって学んだ四年生時代。
「練馬に来たきっかけ」から完全に解放され、両親と共に「本当の自由」を手に入れた喜びに満ち、ある意味「弾けた」五年生時代。
そして「集団行動」の極意をみっちり叩き込まれ、最高に充実した日々を送った六年生時代。
アップダウンの落差が大きかった6年間でしたが、とりあえず右肩上がりに良くなっていた時代だったんだなぁと思う今日この頃です。
両親との関係も、この頃が一番良かったなって思います。

〜続く。

今日はここまでです。
次回は、第31話:辛い別れ に続きます。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう♪

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