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小説「パチンコ」ミン・ジン・リー を読んで

この物語は、1910年日本による韓国併合の年から始まるある朝鮮/韓国人の家族の物語である。それは、釜山、済州島、平壌、大阪、横浜、東京、長野が舞台の家族四代にわたる壮大な物語だ。

この100年前の朝鮮と日本の関係は、現在の日本とアメリカの関係と相似形だ。
例えば、無能な政治家や無責任な支配階級が国を宗主国に売り払う。
例えば、正直な朝鮮人が(重税と接収により)日々財産を失っている。(現在、円ドルの為替相場で超円安により、国富が海外に流出している)
日本語の読み書きができなくちゃ、ちゃんとした仕事には就けません。現代の日本では英語の読み書きができなくちゃちゃんとした仕事には就けません、という具合である。

済州島の隣の小さな島影島にフニという顔と脚に障害を持った実直で賢い男とその妻ヤンジンが下宿屋を営んでいた。その娘ソンジャは、浮ついたところのない実直さは父親譲りで十六歳になっても恋もしたことがなかった。
ソンジャは、日本人の不良に絡まれていたところを助けてくれたハンスと出会い、恋愛関係に至った。程なくしてソンジャは身籠り、それを告げたハンスは大阪に妻と娘がいるが生活の面倒は見るから釜山の妻になってくれと言われる。ソンジャは生まれてくる子どもが父の氏を名乗ることができないのはいけないことで、この関係を続けることは尚いけないことだと頑なに別れを切り出す。
ソンジャの母が営んでいる下宿屋に偶然寄宿した平壌から来た牧師のイサクが事情を知り、自分がソンジャと結婚してその子の父親になろうと申し出て、ソンジャはその情にすがることにした。

結婚した二人は、イサクの兄のヨセプを頼り大阪に渡る。そこで兄夫婦と、生まれたソンジャの息子ノアとまたイサクとの間に生まれた弟モーザスとは日本人からの差別に耐え、貧しくも日々楽しく穏やかに暮らしていた。
ところが思想統制が厳しくなった時にキリスト教牧師であるイサクはあるきっかけで憲兵に捕まり投獄される。二年の後釈放されたがそれは死の直前であった。

ヨセプ一人の給料では妻キョンヒ、ソンジャ、ソンジャの息子ノアとモーザスを養っていくことは困難だった。そこで、ソンジャはキムチづくりの達人キョンヒのキムチを街頭で売ることにしたのだった。行商して雨風にさらされながら幼い子を連れているソンジャにある時大きな焼き肉店からキョンヒのキムチを独占的に買いたいとの申し出があり、キョンヒとソンジャは焼き肉店の厨房で働くことになる。

そんなある日、ハンスがソンジャの前に現れた。大阪は近く爆撃されるから疎開せよと言う。ソンジャはハンスが自分の境遇を知っていることに怖れを抱き拒絶するが、ノアが自分の息子だと知っているハンスは息子を守るために説得をやめない。
そうして、ヨセプは長崎に良い職を求め出かけ、残りの家族はハンスの手引で裕福だが戦争で人手を取られて働き手不足の農家に住み込みで雇ってもらった。
それまでの焼き肉店の申し出もハンスの温情から出たものであった。
イサクがあんなに家族の安寧を祈っていたのに、家族を救ったのは金持ちのハンスの金の力だった。これは資本主義社会では金が神だという暗示にも取れるが、私は天上の神がハンスを遣わしたと解釈したい。
そして子どもたちの会話に胸が詰まった。ハンスの息子のノアはイサク父のように学問をしたいという。イサクの息子モーザスはハンスおじさんのようにお金持ちになって母に楽をさせたいという。
子どもを決定するのは血のみではなく、そばにいる大人の精神を継承することなのだと思った。そしてそれは精神教育ではなく、大人が世界に真剣に向き合うその姿を通じてのみ伝え得るのだと。

朝鮮・韓国から戦前戦後に日本に渡ってきた人びとの望郷の念がヒリヒリと痛いほど伝わる。
「記憶にある朝鮮の月や星さえ、日本で見る冷たい月とは別物に思えた」。

意外なことに、モーザスはイサクのように大人しくはなく、乱暴者に育った。学校でいじめられればやり返した。「好ましいコリアンになるつもりはさらさらなかった」。
小さなころから、ノアは優等生で貧しいコリアンと揶揄われても無視をして自分の勉強のみに集中していた。対して弟のモーザスは揶揄われたり虐められたりしたときには実力行使でやり返していた。
そうしてモーザスは学校からお叱りを受けることが頻繁になっていたそんなあるとき、偶然ある事件に遭遇した時モーザスの態度を見込んで「うちのパチンコ店で働かないか?」と持ちかけた後藤さんというパチンコ店主の誘いに乗り退学して働くことを決心した。学校の勉強は面白くなかったし、教室では嫌がらせをされるし、何より早く働いて母を楽させてやりたかった。モーザス16才。
そしてノアは早稲田大学に受かり、ハンスの援助で学業に専念することになった。ハンスは言った。「学べるだけ学びなさい。その頭を知識でいっぱいにしなさいーーそれが唯一、他人には奪えない力になるのだから」
ハンスはいつも勉強という言葉を使わず、学べと言った。その二つはまったく別物だとノアも気づいた。学ぶのは遊びに似ていて、労働ではない。

モーザスはパチンコ店でのし上がり、二十歳で店長を務めるまでになり、英語が好きなお針子の裕美と結婚した。
ノアは学生生活を謳歌していたが恋人の晶子に「あなたがコリアンでも構わない、むしろコリアンのあなたが好きなの」と言われ、それは差別意識の裏返しだと気づき深く傷つき、またコ・ハンスとの似姿を指摘され、今までの謎が解けたと思った。ソンジャを問い詰めて真実を知ったノアは、大好きだったイサクの息子ではなく、やくざなハンスの息子であることに失望し、混乱し、大学をやめ、行方をくらました。
ノアは長野に辿り着き、そこで日本人しか雇わないというパチンコ屋さんに就職をした。彼は帰化をして妻にも妻の実家にも、勤め先のパチンコ店にも「日本人」で通した。そこで、一定の安定した生活を手に入れ、ハンスの仕送りも返済し、母ソンジャへの仕送りも欠かさなかった。しかし、依然としてノアの行方はハンスにもソンジャにも分からなかった。

モーザスは横浜に拠店を移しパチンコ店を繁盛させた。そのころ、親友の外山警視の担当案件の中学生自殺事件はあきらかな在日コリアン虐めであったが中学生の父親はこう言った。
「日本人は一致団結して世の中が何一つ変わらないようにしてる。しょうがない、しょうがないと口をそろえて。もう聞き飽きましたよ」。
この言葉は日本人の性質を見事に言い表わしていて虚を突かれショックを受けた。情けないことにその通りだ、と思った。しかし、2024年の都知事選で一人街宣が自然発生的に沸き起こりみんな自分の意見を表明している姿を見ると、日本人も変わってきているのかも知れないと思う。

そんなある日ハンスはソンジャを車で連れ出す。行先は長野だった。ようやく探し当てたのだ、ノアの居場所を。そしてハンスはノアの元気な姿を見るだけだよ、と釘を刺したにもかかわらず、ソンジャは嬉しさのあまり車を飛び出してしまった。そしてノアと再会を果たしたが、ノアはそのあと自殺をしてしまう。完全な日本人として生きている自分と生みの母への愛情とに引き裂かれた末のことだったのだろう。

モーザスにはソロモンという男の子が授かり、モーザスはソロモンを大切に育て、差別の生活から抜け出るように国際スクールに通わせコロンビア大学に通わせた。そうしてソロモンはイギリスの投資会社の日本支店に勤務して大学時代のガールフレンドと日本に来た。
しかし、日本人上司はソロモンを利用してそのあげく解雇した。ソロモンは人種差別の壁が厚いことを知り打ちのめされた。そのことでガールフレンドとの生活に対する価値観の違いが露わになった。ガールフレンドはコリアン・アメリカンだが心はアメリカ人だ。対してソロモンはコリアンだが心は日本人だ。

そして、ソロモンはモーザスのパチンコ店を継ぐことを決心する。どんなに学歴があろうと、どんなにお金持ちであろうと在日コリアンは職業の自由すらない。そして、日本で生きていこうとすると自然にパチンコに引き寄せられる。

敗戦するまでは韓国/朝鮮人は日本国籍を持ち日本人だった。敗戦によって韓国/朝鮮の植民地支配を放棄したとき、日本人だったコリアンは日本国籍を失った。だが小説にも描かれているように朝鮮戦争が始まり国は分断され飢餓が蔓延して帰るどころではなかった。国籍を失って日本にとどまったコリアンに日本政府は北朝鮮か韓国の国籍を取得するようにさせて、日本にとどまっているコリアン、在日コリアンが生まれた。
在日一世は望郷の念があるように故郷は韓国/朝鮮である。しかし二世・三世は日本で生まれ日本で育ち日本語を母語とする。彼らの故郷は日本なのだ。映画「パッチギ」を観ても、日本人、コリアン共に日本で生まれ育っているので、お互いの文化を大切にしながら共存していけたらいいのにと思う。
日本で生まれた子供には帰化せずとも日本国籍を選択できるようにし、指紋押捺は止めて欲しいと思う。

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