「50歳で一足遅くフェミニズムを知った私がひとりで安心して暮らしていくために考えた身近な政治のこと」和田靜香氏著を読んで
和田靜香氏著「50歳で一足遅くフェミニズムを知った私がひとりで安心して暮らしていくために考えた身近な政治のこと」を年末からぼちぼち読む。
先ずは和田靜香氏は、いろいろなきっかけを掴んで、いろいろな気づきをしながらもがいていく。常にそれまでの自分を否定し(これにはエネルギーが要るし、とても辛い作業だ)、新たな自分を獲得しようともがく。
その姿には、みんな感動すると思う。また、好奇心が旺盛でしかも行動力があり記憶力が良い。今、パワフルな女性として、本屋さんを盛り上げている。
決して人付き合いが得意ではない私に対してもツイッターで「仲間やで」と言ってホロリとさせることも。
女性の老後の貧困問題は深刻だ。和田靜香氏は、その問題を自分ごととして解決の糸口を探すべく、これまたもがく。問題と正面から格闘するのだ。
そして、これはフリーランスの仕事に就いて国民年金を納めているすべての人、勿論男性を含めて将来低年金になる可能性の高い人びとの共通の問題なのだ。
モグモグお菓子を食べながら、ゴクゴクお茶を飲んで、仲間と政治の話をしている直後、いきなり憲法の話が出てきて、しかも難解な憲法解釈が出てくる。
また、地方自治体の制度の解説は今まで知っているようで知らなかった会議のシステムが説明されている。
『この「地方自治の本旨」というのは「団体自治」と「住民自治」を指す』。⬅これが大事で何度も出てくる。
和田さんは多くの本を読み、それを咀嚼してこの本の中で私達に披瀝して、だから仲間になって一緒に日本の政治を変えて行こうよ、それには先ずはパリテからだよね、と語りかける。
そしてリプロダクティブ・ライツに言及し、女性の人生における出産・育児への社会的配慮を求め、産んだ女性、産めなかった女性、産まなかった女性がそれぞれ肯定されるようになれば生きやすくなるよね、と主張する。
確かに今の資本主義社会では男性も女性も働き生きていくことで精一杯である。子育てはある意味、制約である。これを、制約ではない子育てに変えて行かなくてはならない。社会が変わらなければならないのだ。
和田さんは主にパリテを実現した大磯町議会に張り付いて、女性の政治参加について学んでいく。PTAや、地元のお店やギャラリーの店主たちや、歴代の女性町議会議長や、議会で知り合った議員さんたちが生きてきた軌跡を追い、そこから和田さんの大磯物語を紡ぐ。
和田さんがすごいのは、東浩紀氏と同様にクレバーなところだ。どういうところがクレバーなのかといえば、自分の行動をその意味も含めて言語化でき、過ちだったと認めれば、新しい意味とともに改めることができる能力を有していることだ。
私はいつも混乱していて言語化できず、あっちに行ったり、こっちに来たりしているうちに、偶然通り道に入り込み反省することなく「これでいいのだ」と思ってしまうので、「和田さんすごい!」と思うのです。
「私たち女性の多くは21世紀が20年以上経った今もまだ、男性主導の資本主義社会を築くために奉仕している。その社会構造を改めてみんなで、認識したい。そのうえで、お互いに慈しみ合いたい」と和田靜香氏は言う。
さらに「ふと周りを見回すとしかし、この資本主義社会を築くために作られた構造に馴染めない、もしくは馴染みたくない男性もまた苦しんでいるのが見える。…私は、言おう!じゃ、なおさら、この構造変えなきゃ!って」と続く。この意見には大賛成である。
「みんな、苦しいのに変わらないなんて、おかしいよねって。議会をパリテにしよう。それは、女性のためだけじゃないんだよ!って」
大磯町議会のパリテは『2000年に施行された地方分権一括法により、…地方自治体は「自ら課題を見つけ、政策を考え、解決していく」自治事務と「法律に基づいて国の事務を受託して行う」法定受託事務に変わり、地方自治体の自主性が求められるようになった』ことから始まったと見られる。
せっかく自治が私たちの手に委ねられているのに、私はこの本を読んで、地方議会の議員のなり手が少ないという現状を「もったいない」と思った。しかし、地方の田舎の議会の難しさは木村友祐氏著「幼な子の聖戦」に如実に描かれている。事は簡単ではないのだ。
『「自信満々、偉そうやな?」と言われたら、「自信というのは、私は生きていいんだという思いです」と答えたい』と喝破する和田さんに拍手を送りたい。この本に救われる私を含めた、数多の女性たちと共に。
『「やれることはやってきたと思います」――私もそう言えて初めてみんなの言葉を、私の言葉にできた。すっごい時間がかかった。けど、必要な時間だった。』という和田さんは等身大の私たちと同じ女性として、苦しみもがき、開眼した。