2016/04/07 【音楽】E・サティ歴史の揺り戻しが今...
音楽が売れない、音楽業界は 事実上崩壊してしまっている。
音楽だけでは売れなくなってしまった。
他コンテンツ(エロ映像、握手、グッズ)を抱き合わせしないと成立しない
ビジネス事情も 本質からかけ離れてしまっている。
しかし、それは今にはじまったことではないのです。
エリック・サティの時代(1887年くらい)から革命が生まれている。
【聴衆】貴族(閉鎖的)→大衆(開放的)
【禁則】繰り返しNG→繰り返しOK(840回繰り返す「ヴェクサシオン」 )
【型式】コンサート音楽→環境音楽(家具の音楽)
【他コンテンツ】無:音楽だけ聴かせる→有:音楽+映像(映画音楽)
【尺】長尺→短尺(スポーツと気晴らし)
昔は お金持ちの貴族をパトロンに持つサロン型式でしたが
今は 誰でも音楽と接することが可能になりました。
聴くこと、創ること...両方ハードルが低くなりました。
また、ゲームが娯楽の大半を占めるようになり
音楽は YouTubeで無料情報入手が可能なことから
「音楽=無料」の流れになっています。
音楽のみで対価を得れないので「エロ演出」「握手権」「グッズ販売」
などの他コンテンツ(性的要素)を絡めて販売する現状は理解できます。
ただ、理解こそすれど、納得していないので
自分の場合は少し違うルートを歩んでいくことになりそうです。
【昔はプロ一人勝ちの時代】
聴く人:高額なレコード盤を所有するのは 一握りの特権階級だった。
創る人:選ばれし者のみ。ライバル少なく それなりに食べて行けた。
技術力:音楽教育を受けてきた人がリリース。
機 材:2,000万円くらい。
作品力:差別化できる高品質な作品群。
料 理:老舗の創作料理。
売り方:コンサート音楽。
作品尺:長尺なものを作っても聴くリスナーが存在した。
娯楽性:有った
★ 音源入手のハードルが高かった。
★ レコード制作のハードルも高かった。
★ 1アルバム制作費用1,500万円。
★ 供給側のアーティスト数も少なかった。
★ 流行スパン長く 永きにわたり一人勝ちできる時代でもあった。
★ それなりに 差別化された作品群。
【今はプロとアマチュア混交戦国時代】
聴く人:youtubeやDLにより 音楽は無料と認識されるようになった。
創る人:プロアマ混交のミュージシャン過剰で音楽だけで食べていけない。
技術力:音楽教育受けてなくても音楽を創れる音楽ソフトの恩恵。
機 材:数万円〜制作可能。
作品力:音楽ソフトの恩恵により 似たりよったりの作品が過剰生産。
料 理:ファストフード的。
売り方:他コンテンツとの抱き合わせ(エロ路線、グッズ販売等)で勝負。
作品尺:4:00以内の曲を創る業界ルール(長尺は聴いてくれないとの事)
娯楽性:無し。アイドルやゲームへ関心が移り、音楽への関心は減った。
★ 音源入手のハードルは低くなった。
★ レコード制作のハードルも低くなった。(概ねDAWが廉価になった)
★ 1アルバム制作費用60万円。
★ 供給側のアーティスト数は過剰になっている。
★ 流行スパン短すぎて、ヒット曲やアーティストの歴史が生まれ難い。
★ ヒットを狙うやり方が皆おなじで 差別化できぬ作品群が過剰。
【金が無いから「いい音楽」を創れない?】
結論から言うと そんなことは無いと思う。
ただ、バブリーな時代を享受してきたエンジニアさん達は
永きにわたり、其のビジネスモデルが身体に染み付いているので
たとえ 時代が変わっていっているとしても
なかなか 順応するが難しいのかも知れない。
自分も オーケストラの生音が欲しいと
エンジニアさんにポロっと言ったことがある...
「ホリさん オケいいですよね!130万円くらいで準備しますよ!」
130万円という数字が耳に入り込んできたとき
脳内が木っ端微塵になったことは いうまでもありません。
結局 予算不足のため 生オケRECは見送ることにしました。
だからといって、オケ編成を諦めなくてはいけないのか?
それは違うと思う。
オケ編成を適正理解する素養を身につければ
スコアが書けるようになってくる。(各パートの適正音域を理解して...)
そのスコアを生オケで演奏してもらう予算不足であったとしても
諦めることなかれ。
リアル生オケに限りなく近い表現を可能にした
音楽ソフトが 夢を実現させてくれる。(かなり技術力は必要ですが...)
極端な話...ドレミファソラシド...音階は仕入れ原価ゼロだ。
しかも 音は 空中いたるところに浮遊しているわけです。
脳内にも 常時 フワフワ待機しているイデアたち。
それらを どう組み合わせるかによって 無限に表現が出来る。
130万円捻出できないからといって
オケ編成が創れないということは 全然無い。
やる気さえあれば 出来る。不可能は無いと自分は思っています。
たしかに 資金不足だと、自前で頭を使う場面が増えます。
それは 技術力を鍛えていると思えば良い。
好きなことであれば 何でもプラス思考で臨むことができます。
「やらされてる感」は一切ありません。
プロアマチュア混交時代になった今...
ほんとうの意味で 制作機会が平等になり
既得権保護などもなくなり 評価や生存も厳しくなりますが
それは 或る意味 スッキリ適正化されたと前向きに捉えたい。
【資金不足でも技術力があれば怖いもの無し】
お金が無くても 技があれば 何とかなる。
くよくよすることなかれ。
制作費用が60万円であればショボい
制作費用が1,500万円であれば全方位申し分ない品質...
なんてこと 全然ないと思う。
身の丈に応じた 入魂作品を創ればいい。
決して品質は 制作費用に比例しないから。
お金をどれだけかけても ショボいものはショボいし
逆にチープなガレージバンド的仕上がりであったとしても
人々の心に響くものだってある。
制作費用の金額で 品質を決めるのはナンセンス。
ましてや、正解のない芸術 音楽の世界で...
技が無い?
独学で技を身につけたらいい。
一緒に行動する仲間が居ない?
ひとりでやればいい。
モノ作りに詳しい人が周りに居ない?
自分がモノ作りに詳しくなればいい。
1曲4分以内が業界ルール?
業界ルールなぞ関係ない。ワクワクするものを創ればいい。
自分は今迄の音楽史に載っていないことをやって行きたい。
売れるコード 売れないコードを意識して書く必要もない。
長尺な作品を 今時つくるのは馬鹿と言われるかもしれない...
しかし、ジャンキーなファストフード音楽ばかり溢れるなかで
職人技光る 丁寧な長尺フルコース音楽もあって良いと思う。
また、自分は後者のほうを目指して行きたいと思っています。
出来ない理由を列挙して 何もしない日々は とても勿体ない。
先のことは 誰にだってわからない。
だから 不安になったり、期待したりすることなく...
ただ、今を丁寧に生きればいい...
報われる 報われない...
有名 無名...そんなこと関係ない。
誰が 何と言おうと 好きなことを無心で取り組むことに意義がある。
自分はそう思います。
最後まで お読みいただき ありがとうございます!
【参考文献】
★佐久間正英からの提言(前編)~日本人が海外のバンドに勝てない理由、これからの戦い方
★金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状
★"音楽が売れない"…これからの時代に、音楽家はどうすれば食べていけるのか
★エリック・サティの時代から「短尺・反復」の誕生
フォーレのパリ音楽院に通っていたサティ。
初期の頃は 型式を守る 美しいけれど凡庸な音楽を書いていた。
1886年「エレジー 3つの歌曲」
このような 凡庸音楽ばかり書く状態だと
今ここにサティという名前が残っていなかったかも知れない...
その翌年...サティが変わってゆく...
1887年「サラバンド」
革命的な和声進行、初期のドビュッシーに比べても遥かに革命的。
此の頃フランスは帝国主義という時代背景であったから
音楽も革命的になったのかも知れない。
20世紀的な音楽(ポップス音楽)を非常によく表している。
①音楽のジャンルを越えて他のアートフォーム(演劇や映画、絵画、詩)と
交差していく。
②これまでの19世紀音楽を拡張させてゆく。
③聴衆が大衆であるということ...映画音楽
④ポップスの時代(学校で学んだ理論だけでおさまりきれなかった)
⑤カフェで弾いたり、家具の音楽...
⑥「スポーツと気晴らし」(見開きで楽譜と絵を見ながら演奏する)
⑦アマチュア(音楽愛好家)向けに書いている
⑧ロック〜プログレ〜揺り戻しでパンク
⑨繰り返しの音楽(サビを繰り返す→ロック、テクノ)
★エリック・サティのミニマリズム元祖(反復)
芸がなく ただ繰り返しの音楽はサティから。
中世音楽時代は 繰り返しを禁則(ゼクエンツ)としていた。
そんなことをサティは お構いなし。
19世紀「サロン(権威)」の音楽→そうではないところへ音楽を普及
《嫌がらせ形式》
「ヴェクサシオン(嫌がらせ)」840回繰り返すという楽曲。
52拍からなる1分程度の楽曲を840回繰り返す。
18時間以上かかる世界一長い曲。
作曲者のノートには「このモチーフを連続して840回繰り返し演奏するためには、大いなる静寂の中で、真剣に身動きしないことを、あらかじめ心構えしておくべきであろう」と書かれている。
因みに 演奏するのに639年かかるジョン・ケージの「ASLSP」という
楽曲も存在しているようです。
《嫌がらせ調性》
また、調性判定の難しい 旋律動機も特徴。... 無調音楽の時代
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