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一方的な正しさ

日本人である私たちは、義務教育の過程で”こうあるべき生徒の姿”という教育方針がありそれに沿って育っている、といっても過言ではないでしょう。

少なくとも昭和の世代はそうであったのではないかと思います。
ゆとり教育世代は違うのかもしれませんが。

私たちがそれぞれ所属する文化圏は年代によっても違います。こうあるべきは、日本国内においても、地域社会によっても違います。

私の父は昭和2年生まれで、女に学問は必要ないと言い高校受験の時に進学校に進むことを反対した人です。高学歴になると嫁にいけないという理由もありました。跡継ぎの兄と私の待遇は全く違うものでした。

担任の先生や母がせめて短大くらいはと説得してくれて進学校に行くことができましたが、塾も行ったことがなかったし、当然、4年制の大学に進むという道はありませんでした。まあ勉強もしなかったので、どのみち受験からは遠のきましたが。

環境が違えば例えば、これが都会ならあるいはもう10年後だったら、違った道があったことでしょう。
当時、「おなごたるもの、こうあるべき」という、父の一方的な正しさの前に、自立していない子供の私は、親への反抗は許されず、従わざるを得なかったのです。

最近はジェンダーを超えた、人間としての在り方を問われるようになってきましたが、まだまだ、あらゆるところで性差別はあります。とはいえ、10年前とはかなり開かれてきてもいますし、多様化も進んでいると思います。

物心ついたときから親の価値観、地域社会の価値観、が「常識」という名前でもって刷り込まれます。
こうせねばならない、~すべき。という観念に縛られ、我慢をし続けていると、我慢しない人が許せない、となります。

ねばねば星人なんて、どこかで聞いたことがありますが、自分の思考が自分を縛っているのです。

父の世代の常識や田舎の常識は、短大の時上京して、東京の常識と違うことに気が付きました。

スイス人の夫と出会い、外国人の友達が多くできたころ、日本の常識に縛られている自分に気が付きました。

その常識が不変のものではなく、ところが違えば、時代が違えば常識ではなくなり、こうであるべきという思考は、そんな流動的な自分の思い込みに過ぎないのだと気が付くことができました。
そんなものに何時まで縛られているんだ!と海外暮らしをして気が付かされることは今でもあります。

生き辛さを抱える時に、自分の中に「こうあるべき」という思考に縛られていないかを立ち止まって向き合ってみてください。
また、他人に対して「私は正しい」を主張しすぎていないか?相手の考えや立場も尊重しているか?と振り返ってみてください。

「私の正しい」や、「こうあるべき」が、意外とそうでないこともあるんだなと気が付けたら、視野が広がった分、選択肢も広がりますよ。


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