コーチングとはあなたを行きたい場所に運ぶ馬車 ”コーチ”に由来しています 道 ”人生” に迷えば一緒に道を探し、石 “問題” に躓けばそれを取り除き、 あなたが目的地に着く為のお手伝いをしています。 私たちは時々アクセルを踏みながらブレーキを踏んで消耗してしまうときがあります。 あなたの行動を止める悩みはなんですか? 高く飛びたくても足を引っ張る悩みがあるとなかなか思うように飛べません。 やり方は学んでいるのになんだか一歩が踏み出せない。 できる人を見るとモヤっとする
空にも海にも領域はありますがそこに塀があったり線が引かれていて目に見えるものではありません。 人の心にも目に見えて、ここからは入ってこないでね! という線は見えません。 そのラインがわかるのは自分のみなので、自分の触れて欲しくない領域に 他人が入ってくると、壁を作ったり、下手すれば相手を攻撃してしまう、 という事が起こります。 攻撃は最大の防御、としている人は真、いや心底には恐れがあったりします。 人を攻撃して楽しむサイコパスは別ですが。 その恐れにすら気がつきたくな
相手の反応が自分が予測したものと違う時、あなたはどう感じますか? 笑ってくれると思ったのに怒らせちゃったとか、真摯に気持ちを伝えただけなのに泣かせてしまった。 など、相手の反応に驚く事ってありますよね。 私たちは自分の経験に沿って思考し、感情がでるので、自分ではない誰かの感情なんて、わかるはずもないのに、「こうなるはず」とどこかで思っています。 物事が進まない時というのは、 自分の思った通りの結果がでないかもしれないし、批判されるくらいならやらないという選択をしていた
30年以上前に、とあるセミナーで 「私は正しい」と言いながら、心底そう思いながら腕を押し合うというゲームをしました。 私は正しいと、腹の底から思うほど 声音は大きくなり、押す力は強くなります。相手が「私が正しい」と負けじと押し返すと、それを「いいや、私が正しい」と相手を否定し更に押し返すので、お互いの息が荒くなり、ほんと下手すると喧嘩になりそうなゲームでした。 ゲームですらコレです。 日常で自分が正しいと主張する時、相手を否定し、自分の主張を通そうとすると 更に相手がエス
昨日の噛みつきまくってる人の話の続きです。 最近の、なんでも潜在意識のせいにするのが腑に落ちない。 という思いがあっての潜在意識があるなんて証明されてない!という怒り発言だったのですが、そういう、彼女が怒る気持ちがわからない訳ではないんです。 ただ、すぐに怒る人だとわかっているし怒りを持った話方で周りの人は地雷を踏みたくないので黙ってしまう、そんな伝え方を鑑みて欲しいという気持ちからの記事でした。 直接言う? 怒ってる人にはまさに焼け石に水。。 多くのブログや本を読め
潜在意識を変えれば人生が変わるなんて、そんな事、認められない! そもそも潜在意識なんてあるのかないのか証明できない!といきまく人がいたのでネタにさせてもらった。 人に矢を射るような言葉で詰めよる人がいる。 えーそれ、バカじゃない?というのと アホちゃうかーというのはニュアンスが違うと思うけど。 いやね、私はおかしいと思ってるんですよ。 と言えば済むことを他人攻撃になってしまう人は、非常に残念な人だと思う。 あなたの為を思って私の正当な意見を言ってあげるから神妙に聞け
クライアントさんに感謝日記とか、3行幸せ日記を書くことをお勧めしています。 感謝したこと、今日良かったことを3つ書く、というものです。 なかなか時間がかかるという方は 心から幸せに思えることリストというものを書いてみて 自分自身で意識してみてください。 誰かの幸せを祈るそれも幸せ。 でも、私は!!?? 私はまだ幸せじゃないのに、 誰かの幸せなんて祈れないって? そかそか、そんなこともあります。 おそらく、あなたのお父さんや、お母さんは 自分自身がとても幸せと言える環
意識レベルが上がると得られるものがちがう。 意識レベルを上げたイメージで練習する。 上げると使う言葉が変わる 自分を責めるのをやめる。 信じ込みは何か?
先月 ♯平本式 の瞑想2日間集中セミナーというものを受けました。 瞑想に興味を持ったのは十代後半。 「悟り」とはなんぞや?という疑問からでした。 それは、自分の中にあった劣等感、無価値観に苛まされていたことから、どうやったらこの苦しみから逃れられるのか、を思考していたからでした。 悟りを得るには瞑想しかない。と禅寺にいったこともありました。 その時は何もわからず、ただ、私は苦しみの中にいる、ということがわかったような気がします。。 何度もやっては挫折していた瞑想ですが、最
脳は質問の答えを探しに行くという習性がある。 と、NLPで教わった。 NLPは「脳の取り扱い説明書」とも言われている学問だ。 なぜダメなんだと聞けば、ダメな理由を探しにいく。 ダメな自分のダメさに打ちひしがれる結果になる。 でも、どうやったらうまくいくのかと尋ねるとその方法を探しに行く。 問題の原因を探す、犯人捜しをするとき、 自分の感情が、色々なヒントをくれる。 そこにあるのは怒りなのか、悲しみなのか 罪悪感なのか、恐れなのか。。 その感情を持ったわけは? どんな思考
何年か前に 「ケイコさんはは幸せの王道を歩いているね】 と友人に言われたことがある。 確かに、優しい夫はいるし、出来た息子と、可愛い娘がいて まあ、いいエリアの庭付きの一戸建てをもって、当時はフルタイムで仕事もあって、はたから見たら、超充実。。で、それが幸せの王道と言われる所以であったようだ。 自分が幸せの王道?にいるとき、自分は全くそんなことは思っていなくて 夫の優しさの裏返しに、拘束されて自由にふるまえない、とか、 母親としての役割、妻としての役割をこなすのに必死で、
生まれて初めて、空を体験。平本式の瞑想で。一瞬、自分が消えた。そのあと、いったい、自分がどこにいるのかわからないそんな感覚。寝てるの?起きてるの?彼方に行ってしまった感じ。 これが無我?空?感動の初体験。
私たちは常日ごろから、五感を使って生活しています。 視覚、聴覚、体感覚(触覚、味覚、嗅覚) 困りごとや悩みごとがある時、特に、悲しかったり、怒っていたり、 怯えていたりすると、何を食べても美味しくないし、本も読みたくないとか、映画も見たくないとなり、気分転換さえも難しいときがあります。 そんな時は、散歩など、体を動かすことで、がんじがらめの思考から抜け出すことができたりします。 イライラしたり、悲しくなったりするとき、その感情を引き起こすのは実は自分の思考です。その感情
オーストラリアでは、Willと言って遺書を書いておくことを推奨されています。 遺書がない場合、法定相続人のところへ最終的には割り振りされるのですが遺書がある場合と比べて時間がとてもかかるらしいので。 遺言書を作成するとき、自ずから死と向き合います。 どのようにお葬式をしてほしいか、財産をどうするか、など具体的な内容を遺しておくと、後に遺された人にとって後片付けがしやすい、というだけでなく、実際の自分の死を考えることで、どのように生きていくかということも併せて考える機会にもな
私が以前ホテルで働いていた時のことです。 いわゆる、企業のTOPの方のお部屋を拝見し、気が付いたことがあります それは、TOPの方の部屋は大方、整っていて、片付いていたということ。 そのホテルは、現地の会社の社長として駐在なさる方が自分の家を見つけられるまで1か月ほど滞在になるということが多かったのですが、 BEDが起きっぱなしで、布団がめくれたまま、という方は皆無だったと思います。 大方が日本人男性でしたが、出張で来る人、駐在だけど、まだ若いひとでBED MAKINGされ
6月。日本に3年ぶりに里帰りしました。 久しぶりの日本は、歯医者のために行ったのですが、(そういう名目で) もちろん、思い切り楽しんで、出来る限りの人達に会って来ようと決めて行きました。 3年前の6月に日本に行った2か月後に親友のご主人が突然死されました。「今度」という言葉の儚さを知っていたつもりでした。 帰国の度に会える人になるべく会うスタイルをとってきました。が、また、ここで「今度」の残酷さを思い知りました。 その友人の家に泊めさせてもらって、彼女の話に耳を傾け、お祈